長文 6.4週
1. 【1】ところが、そのキツネザルにすら、「ことば」もどきは存在する。例えば彼らかれ の天敵にあたるような捕食ほしょく動物が近づいてきた場面を思い描いおも えが てみよう。そういうとき彼らかれ は独特の声を出す。この声を耳にすると、周辺にいる仲間(同種個体)はただちに自らの身を守る防御ぼうぎょ反応を行う。【2】結果として群れに危険の接近を周知する機能を実行しているところから、警戒けいかい音と命名されている。
2. ただし、天敵の種類はさまざまである。大別しても、空からやって来るものと、地表から来るものとがある。それによって防御ぼうぎょの手段の講じ方も、おのずと異なってくる。【3】空からの場合は、地表近くへ身を伏せふ た方がよい。だが、もし地表から危険が迫っせま てきているのに、空からのときのように逃避とうひ企てるくわだ  と、とんでもないことになる。
3. そこで淘汰とうた圧が働き、キツネザルは複数のタイプの警戒けいかい音を出すにいたったのだった。【4】例えばAとBという二種類の声が存在するとしよう。空から捕食ほしょく動物がやってくるとAの声を出す。すると、聞いた仲間は地表へ逃げるに  。他方、地表から敵が来るとBの声を出す。その際は、仲間は木の上へと逃れるのが  
4. 【5】AもBも、警戒けいかい警報である。ただしAは空からの危険、Bは下からの危険を意味している。これは、ほとんど単語による表現に近い。そういう観点では、彼らかれ も記号的コミュニケーションを行っていることになる。
5. 【6】それどころか、彼らかれ の方が人間よりも、厳密に仲間の発する音声を記号的にとらえているのである。ヨーロッパの昔話で、いつもいつも「おおかみが来た」とウソを村人に伝えて驚かおどろ せては喜んでいた少年の物語というのをご存知だろう。【7】村人たちは、はじめは信じこんでびっくりしていたが、そのうちだれも信じなくなった。あげくのはてに、本当におおかみが来てもだれにも助けてもらえず、羊を食べられてしまった少年のエピソードである。
6. ああいうことは、キツネザルでは起こらない。【8】彼らかれ だったら極端きょくたんなケースとして、一〇〇万回「おおかみが来た」といわれても、やはり逃げるに  ことだろう。警戒けいかい音の認識に、音以外の手がかりは∵介入かいにゅうしない。ともかく身の危険にかかわることだから、少々いかがわしい情報であっても、とりあえず信じた方が安全、という発想が働く。【9】サルの理解の仕方は、柔軟性じゅうなんせいに欠けるのだ。
7. 「柔軟性じゅうなんせいを欠く」と書くと、融通ゆうずうがきかず頭が悪いみたいに聞こえるかも知れない。しかしシグナルの記号としての意味作用に忠実であるという意味では、人間より抽象ちゅうしょう度の高い認識を行っていると言い換えるい か  こともできなくはないのではないだろうか。【0】
8. 人間は、過去の経験にもとづいて、ことばの意味理解を変えていく。反対にこのことは、発話を行う側も、常に相手に聞き入れてもらえるよう配慮はいりょして話をすることを意味している。そして、聞き手は相手がこちらを意識して話をしていることに気づいている以上、その意図を把握はあくしつつ、発話内容を吟味ぎんみする。
9. 考えてもみよう。「君は、よく勉強するね」といわれたにせよ、それが字面通りの誉めほ ことばなのか、「勉強しない」ことへの皮肉なのかは、文字の配列から判断することは不可能に近い。相手の顔色を読み、状況じょうきょう斟酌しんしゃくし、あるいは話し手の普段ふだんの言行を参照しなくてはならない。
10. つまり言語理解というのは、意外なほど記号的でなくて、反対に相手の心を読む(発話を手がかりに心理を推測する)過程であることがわかる。むしろサルの方がよっぽど厳密に記号類別に依拠いきょして情報伝達を行っているのだ。
11. ところが、最近の日本人を観察してみると、そのコミュニケーションはこの言語進化の進んできた方向を逆行しているように思えてならない。つまり、ことばのメッセージを常に記号として把握はあくする傾向けいこうが高まっている。そして、そういう認識の仕方をサルが実行している以上、サル的な方向へとコミュニケーションのスタイルを変えてきたという結論にたどりつくのだ。(中略)
12. こうみてくると、昨今の日本人のコミュニケーションの特徴とくちょうである「サル化」とは、すなわち語用論能力の衰退すいたいと表現することができる。そして、その傾向けいこうの背景としては、社会のIT化、人間同士の情報伝達がケータイのような代物への依存いぞん度を大きく増したことが考えられるのだ。
13. (正高信男『考えないヒト』)