長文集  6月4週  ○ところが、そのキツネザルにすら  ma2-06-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/02/18 12:00:14
 【1】ところが、そのキツネザルにすら、
「ことば」もどきは存在する。例えば彼らの
天敵にあたるような捕食動物が近づいてきた
場面を思い描いてみよう。そういうとき彼ら
は独特の声を出す。この声を耳にすると、周
辺にいる仲間(同種個体)はただちに自らの
身を守る防御反応を行う。【2】結果として
群れに危険の接近を周知する機能を実行して
いるところから、警戒音と命名されている。
 ただし、天敵の種類はさまざまである。大
別しても、空からやって来るものと、地表か
ら来るものとがある。それによって防御の手
段の講じ方も、おのずと異なってくる。【3
】空からの場合は、地表近くへ身を伏せた方
がよい。だが、もし地表から危険が迫ってき
ているのに、空からのときのように逃避を企
てると、とんでもないことになる。
 そこで淘汰圧が働き、キツネザルは複数の
タイプの警戒音を出すにいたったのだった。
【4】例えばAとBという二種類の声が存在
するとしよう。空から捕食動物がやってくる
とAの声を出す。すると、聞いた仲間は地表
へ逃げる。他方、地表から敵が来るとBの声
を出す。その際は、仲間は木の上へと逃れる

 【5】AもBも、警戒警報である。ただし
Aは空からの危険、Bは下からの危険を意味
している。これは、ほとんど単語による表現
に近い。そういう観点では、彼らも記号的コ
ミュニケーションを行っていることになる。
 【6】それどころか、彼らの方が人間より
も、厳密に仲間の発する音声を記号的にとら
えているのである。ヨーロッパの昔話で、い
つもいつも「狼が来た」とウソを村人に伝え
て驚かせては喜んでいた少年の物語というの
をご存知だろう。【7】村人たちは、はじめ
は信じこんでびっくりしていたが、そのうち
誰も信じなくなった。あげくのはてに、本当
に狼が来ても誰にも助けてもらえず、羊を食
べられてしまった少年のエピソードである。
 ああいうことは、キツネザルでは起こらな
い。【8】彼らだったら極端なケースとして
、一〇〇万回「狼が来た」といわれても、や
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はり逃げることだろう。警戒音の認識に、音
以外の手がかりは∵介入しない。ともかく身
の危険にかかわることだから、少々いかがわ
しい情報であっても、とりあえず信じた方が
安全、という発想が働く。【9】サルの理解
の仕方は、柔軟性に欠けるのだ。
 「柔軟性を欠く」と書くと、融通がきかず
頭が悪いみたいに聞こえるかも知れない。し
かしシグナルの記号としての意味作用に忠実
であるという意味では、人間より抽象度の高
い認識を行っていると言い換えることもでき
なくはないのではないだろうか。【0】
 人間は、過去の経験にもとづいて、ことば
の意味理解を変えていく。反対にこのことは
、発話を行う側も、常に相手に聞き入れても
らえるよう配慮して話をすることを意味して
いる。そして、聞き手は相手がこちらを意識
して話をしていることに気づいている以上、
その意図を把握しつつ、発話内容を吟味する

 考えてもみよう。「君は、よく勉強するね
」といわれたにせよ、それが字面通りの誉め
ことばなのか、「勉強しない」ことへの皮肉
なのかは、文字の配列から判断することは不
可能に近い。相手の顔色を読み、状況を斟酌
し、あるいは話し手の普段の言行を参照しな
くてはならない。
 つまり言語理解というのは、意外なほど記
号的でなくて、反対に相手の心を読む(発話
を手がかりに心理を推測する)過程であるこ
とがわかる。むしろサルの方がよっぽど厳密
に記号類別に依拠して情報伝達を行っている
のだ。
 ところが、最近の日本人を観察してみると
、そのコミュニケーションはこの言語進化の
進んできた方向を逆行しているように思えて
ならない。つまり、ことばのメッセージを常
に記号として把握する傾向が高まっている。
そして、そういう認識の仕方をサルが実行し
ている以上、サル的な方向へとコミュニケー
ションのスタイルを変えてきたという結論に
たどりつくのだ。(中略)
 こうみてくると、昨今の日本人のコミュニ
ケーションの特徴である「サル化」とは、す
なわち語用論能力の衰退と表現することがで
きる。そして、その傾向の背景としては、社
会のIT化、人間同士の情報伝達がケータイ
のような代物への依存度を大きく増したこと
が考えられるのだ。
 (正高信男『考えないヒト』)