【1】ところが、そのキツネザルにすら、 「ことば」もどきは存在する。例えば彼らの 天敵にあたるような捕食動物が近づいてきた 場面を思い描いてみよう。そういうとき彼ら は独特の声を出す。この声を耳にすると、周 辺にいる仲間(同種個体)はただちに自らの 身を守る防御反応を行う。【2】結果として 群れに危険の接近を周知する機能を実行して いるところから、警戒音と命名されている。 ただし、天敵の種類はさまざまである。大 別しても、空からやって来るものと、地表か ら来るものとがある。それによって防御の手 段の講じ方も、おのずと異なってくる。【3 】空からの場合は、地表近くへ身を伏せた方 がよい。だが、もし地表から危険が迫ってき ているのに、空からのときのように逃避を企 てると、とんでもないことになる。 そこで淘汰圧が働き、キツネザルは複数の タイプの警戒音を出すにいたったのだった。 【4】例えばAとBという二種類の声が存在 するとしよう。空から捕食動物がやってくる とAの声を出す。すると、聞いた仲間は地表 へ逃げる。他方、地表から敵が来るとBの声 を出す。その際は、仲間は木の上へと逃れる 。 【5】AもBも、警戒警報である。ただし Aは空からの危険、Bは下からの危険を意味 している。これは、ほとんど単語による表現 に近い。そういう観点では、彼らも記号的コ ミュニケーションを行っていることになる。 【6】それどころか、彼らの方が人間より も、厳密に仲間の発する音声を記号的にとら えているのである。ヨーロッパの昔話で、い つもいつも「狼が来た」とウソを村人に伝え て驚かせては喜んでいた少年の物語というの をご存知だろう。【7】村人たちは、はじめ は信じこんでびっくりしていたが、そのうち 誰も信じなくなった。あげくのはてに、本当 に狼が来ても誰にも助けてもらえず、羊を食 べられてしまった少年のエピソードである。 ああいうことは、キツネザルでは起こらな い。【8】彼らだったら極端なケースとして 、一〇〇万回「狼が来た」といわれても、や |
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はり逃げることだろう。警戒音の認識に、音 以外の手がかりは∵介入しない。ともかく身 の危険にかかわることだから、少々いかがわ しい情報であっても、とりあえず信じた方が 安全、という発想が働く。【9】サルの理解 の仕方は、柔軟性に欠けるのだ。 「柔軟性を欠く」と書くと、融通がきかず 頭が悪いみたいに聞こえるかも知れない。し かしシグナルの記号としての意味作用に忠実 であるという意味では、人間より抽象度の高 い認識を行っていると言い換えることもでき なくはないのではないだろうか。【0】 人間は、過去の経験にもとづいて、ことば の意味理解を変えていく。反対にこのことは 、発話を行う側も、常に相手に聞き入れても らえるよう配慮して話をすることを意味して いる。そして、聞き手は相手がこちらを意識 して話をしていることに気づいている以上、 その意図を把握しつつ、発話内容を吟味する 。 考えてもみよう。「君は、よく勉強するね 」といわれたにせよ、それが字面通りの誉め ことばなのか、「勉強しない」ことへの皮肉 なのかは、文字の配列から判断することは不 可能に近い。相手の顔色を読み、状況を斟酌 し、あるいは話し手の普段の言行を参照しな くてはならない。 つまり言語理解というのは、意外なほど記 号的でなくて、反対に相手の心を読む(発話 を手がかりに心理を推測する)過程であるこ とがわかる。むしろサルの方がよっぽど厳密 に記号類別に依拠して情報伝達を行っている のだ。 ところが、最近の日本人を観察してみると 、そのコミュニケーションはこの言語進化の 進んできた方向を逆行しているように思えて ならない。つまり、ことばのメッセージを常 に記号として把握する傾向が高まっている。 そして、そういう認識の仕方をサルが実行し ている以上、サル的な方向へとコミュニケー ションのスタイルを変えてきたという結論に たどりつくのだ。(中略) こうみてくると、昨今の日本人のコミュニ ケーションの特徴である「サル化」とは、す なわち語用論能力の衰退と表現することがで きる。そして、その傾向の背景としては、社 会のIT化、人間同士の情報伝達がケータイ のような代物への依存度を大きく増したこと が考えられるのだ。 (正高信男『考えないヒト』) |