長文 6.3週
1. 【1】わたしはかねてから昔の日本に形見分けという風俗ふうぞくのあったことを、ゆかしいことと思ってきた。死者の遺言で、あるいは跡取りあとと の裁量で、死者の所有物をその思い出に生者に分かち与えるあた  大抵たいていは死者の日常使用していた道具や品物、着物などだが、もらった者はそれを大事にしながら死者の記憶きおくを新たにする。【2】むろんそこに人間喜劇はあり、
2. 
3. 形見分け初めてよめの欲が知れ

4. 泣きながら眼を見張る形見分け

5. といった面白い光景も見られるわけだが、ともかく遺贈いぞうしてまた使うことのできる物がここにはあったのである。【3】着物はほどいて洗い張りし仕立て直せば、自分の身丈みたけにあったものとして生き返る。すずりのいいものなら世代から世代へ何百年でも伝承されうる。けやき長火鉢ながひばち頑丈がんじょうな茶ダンス、きりのタンス、くわの針箱、文箱、小物入れといったものに、江戸えど人は買うとき「一生物」というつもりで思い切って金をかけた。【4】その代わりそれらの物は生涯しょうがい伴侶はんりょとして大事に使いこまれて、物としての値打ちを増したのである。
6. わたしはそういう永続する物に囲まれていた彼らかれ の生活を想像する。気に入ったいい品物というのは物であって物ではない。生活に欠くべからざる伴侶はんりょである。【5】それなしには生活の充足じゅうそくが得られないものだ。
7. だから大事に使いこみ、拭きふ 磨きみが 、そうやって人間の使用のあとをのこすことで物としての価値が上がる。茶碗ちゃわんなどの陶磁器とうじきだって博物館などのガラス戸の中に置かれていては死ぬのである。【6】大事に使うから輝きかがや を増し、また使えば使うほどよくなるそういう品物だけをもつことを、彼らかれ はよしとしたのだ。
8. それにくらべると現代のわれわれは物こそ彼らかれ 比較ひかくにならぬくらいもっているが、はたしてそういう意味での生涯しょうがい伴侶はんりょとなった物をいくつもっているだろう。【7】回りを見渡せみわた ば、われわれのも∵っている物の多くは、買った日が最高であとは一日使えば使うごとに価値の減ってゆくものばかりである。クルマ、電気製品、合板材の家具、ガス器具、いやその家屋そのものが商品としてせいぜい二、三十年しかもたぬ代物だ。【8】昔のように三代四代もの用に耐えるた  、住めば住むほど味の出てくる家づくりではないのである。
9. すべてがこれまた実にイヤな言葉だが耐久たいきゅう消費財などと呼ばれるもので、五、六年からせいぜい十数年の使用を前提にした製品、所有し使用し廃棄はいきし、また購入こうにゅうするサイクルに組みこまれた商品ばかりだ。【9】永続するものなど一つもない。何年かすれば大型ゴミ捨て日に出す以外ないもので、むろんこんなもののどれ一つとっても恥ずかしくは    てとうてい形見分けになど出せやしない。走行五万キロの車などだれがもらってくれるものか。【0】
10. と、そういう目で見ると現代のわれわれの生活は一見いかにもゆたかげで便利に快適にできているが、よく見れば永続しない一時性の品物の上に成立していることがわかる。現代の生活が目の安らぎと落ち着きを欠いた、仮のもの、一時しのぎのものといった感触かんしょくから逃れのが られないのは、一つにはわれわれがそういう性格の物たちに囲まれているためということがあるに違いちが ない。長もちしない、数年すれば必ず消えてゆく物たちを相手に、本当の物と人間の付き合いの生じるわけがなく、物への親しみも生じず、生活に本物の落ち着きのできるわけはないのだから。
11. その点から見れば昔の人は、生活は今のように便利でも快適でもなかったかもしれないが、はるかに気もちの上ではゆったりとし、暮らしをいとおしんでいただろうという気がする。そしてそういう単純だが充実じゅうじつした生活のほうが、たえず物の誘惑ゆうわく刺激しげきされ物への欲望のやむときのない現代生活よりずっと上等な生活のように、わたしには思われるのである。
12. ヨーロッパにも遺産贈与ぞうよ風俗ふうぞくがあった。死んだらもち物を自分の愛していた者たちに遺贈いぞうする。アンピール様式の寝台しんだいだの、曲線を組み合わせたロココ様式の椅子いす頑丈がんじょう戸棚とだなや机などは、古くなれば古くなるほど価値の増す芸術品のようなものだから、贈らおく れるのは一財産もらったと同じであり、また次の一代、大事に使うことになるだろう。それはまたその物を通して個人の生活をひきつぎ、その人をしのぶよすがにもなる。
13.(出典『日本の美徳』中野孝次)