1. 【1】わたしはかねてから昔の日本に形見分けという
風俗のあったことを、ゆかしいことと思ってきた。死者の遺言で、あるいは
跡取りの裁量で、死者の所有物をその思い出に生者に分かち
与える。
大抵は死者の日常使用していた道具や品物、着物などだが、もらった者はそれを大事にしながら死者の
記憶を新たにする。【2】むろんそこに人間喜劇はあり、
2.
3. 形見分け初めて
嫁の欲が知れ
4. 泣きながら眼を見張る形見分け
5. といった面白い光景も見られるわけだが、ともかく
遺贈してまた使うことのできる物がここにはあったのである。【3】着物はほどいて洗い張りし仕立て直せば、自分の
身丈にあったものとして生き返る。
硯のいいものなら世代から世代へ何百年でも伝承されうる。
欅の
長火鉢、
頑丈な茶ダンス、
桐のタンス、
桑の針箱、文箱、小物入れといったものに、
江戸人は買うとき「一生物」というつもりで思い切って金をかけた。【4】その代わりそれらの物は
生涯の
伴侶として大事に使いこまれて、物としての値打ちを増したのである。
6. わたしはそういう永続する物に囲まれていた
彼らの生活を想像する。気に入ったいい品物というのは物であって物ではない。生活に欠くべからざる
伴侶である。【5】それなしには生活の
充足が得られないものだ。
7. だから大事に使いこみ、
拭き、
磨き、そうやって人間の使用のあとをのこすことで物としての価値が上がる。
茶碗などの
陶磁器だって博物館などのガラス戸の中に置かれていては死ぬのである。【6】大事に使うから
輝きを増し、また使えば使うほどよくなるそういう品物だけをもつことを、
彼らはよしとしたのだ。
8. それにくらべると現代のわれわれは物こそ
彼らと
比較にならぬくらいもっているが、はたしてそういう意味での
生涯の
伴侶となった物をいくつもっているだろう。【7】回りを
見渡せば、われわれのも∵っている物の多くは、買った日が最高であとは一日使えば使うごとに価値の減ってゆくものばかりである。クルマ、電気製品、合板材の家具、ガス器具、いやその家屋そのものが商品としてせいぜい二、三十年しかもたぬ代物だ。【8】昔のように三代四代もの用に
耐える、住めば住むほど味の出てくる家づくりではないのである。
9. すべてがこれまた実にイヤな言葉だが
耐久消費財などと呼ばれるもので、五、六年からせいぜい十数年の使用を前提にした製品、所有し使用し
廃棄し、また
購入するサイクルに組みこまれた商品ばかりだ。【9】永続するものなど一つもない。何年かすれば大型ゴミ捨て日に出す以外ないもので、むろんこんなもののどれ一つとっても
恥ずかしくてとうてい形見分けになど出せやしない。走行五万キロの車などだれがもらってくれるものか。【0】
10. と、そういう目で見ると現代のわれわれの生活は一見いかにもゆたかげで便利に快適にできているが、よく見れば永続しない一時性の品物の上に成立していることがわかる。現代の生活が目の安らぎと落ち着きを欠いた、仮のもの、一時しのぎのものといった
感触から
逃れられないのは、一つにはわれわれがそういう性格の物たちに囲まれているためということがあるに
違いない。長もちしない、数年すれば必ず消えてゆく物たちを相手に、本当の物と人間の付き合いの生じるわけがなく、物への親しみも生じず、生活に本物の落ち着きのできるわけはないのだから。
11. その点から見れば昔の人は、生活は今のように便利でも快適でもなかったかもしれないが、はるかに気もちの上ではゆったりとし、暮らしをいとおしんでいただろうという気がする。そしてそういう単純だが
充実した生活のほうが、たえず物の
誘惑に
刺激され物への欲望のやむときのない現代生活よりずっと上等な生活のように、わたしには思われるのである。
12. ヨーロッパにも遺産
贈与の
風俗があった。死んだらもち物を自分の愛していた者たちに
遺贈する。アンピール様式の
寝台だの、曲線を組み合わせたロココ様式の
椅子、
頑丈な
戸棚や机などは、古くなれば古くなるほど価値の増す芸術品のようなものだから、
贈られるのは一財産もらったと同じであり、また次の一代、大事に使うことになるだろう。それはまたその物を通して個人の生活をひきつぎ、その人をしのぶよすがにもなる。
13.(出典『日本の美徳』中野孝次)