長文集  6月2週  ★ある時、荘子が(感)  ma2-06-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】ある時、荘子(そうし)が恵子(け
いし)といっしょに川のほとりを散歩してい
た。恵子(けいし)はものしりで、議論が好
きな人だった。二人が橋の上に来かかった時
に、荘子(そうし)が言った。「魚が水面に
でて、ゆうゆうとおよいでいる。あれが魚の
楽しみというものだ。」
 【2】すると恵子(けいし)は、たちまち
反論した。「君は魚じゃない。魚の楽しみが
わかるはずないじゃないか。」
 荘子(そうし)が言うには、「君は僕じゃ
ない。僕に魚の楽しみがわからないというこ
とがどうしてわかるのか。」
 【3】恵子(けいし)はここぞと言った。
「僕は君でない。だから、もちろん君のこと
はわからない。君は魚でない。だから君には
魚の楽しみがわからない。どうだ、僕の論法
は完全無欠だろう。」
 そこで荘子(そうし)が答えた。【4】「
ひとつ、議論の根元にたちもどってみようじ
ゃないか。君が僕に『君にどうして魚の楽し
みがわかるか』ときいた時には、すでに君は
僕に魚の楽しみがわかるかどうかを知ってい
た。僕は橋の上で魚の楽しみがわかったの 
だ。」
 【5】この話は禅問答に似ているが、実は
大分ちがっている。禅は、いつも科学のとど
かぬところへ話をもってゆくが、荘子(そう
し)と恵子(けいし)の問答は、科学の合理
性と実証性に、かかわりをもっているという
見方もできる。【6】恵子(けいし)の論法
の方が荘子(そうし)よりはるかに理路整然
としているように見える。また、魚の楽しみ
というような、はっきり定義もできず、実証
も不可能なものを認めないという方が、科学
の伝統的な立場に近いように思われる。【7
】しかし、私自身は科学者の一人であるにも
かかわらず、荘子(そうし)の言わんとする
ところの方に、より強く同感したくなるので
ある。
 大ざっぱにいって、科学者のものの考え方
は、次の両極端の間のどこかにある。【8】
一方の極端は「実証されていない物事は一 
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切、信じない。」という考え方であり、他の
極端は「存在しないことが実証されていない
もの、起こり得ないことが証明されていない
ことは、どれも排除しない。」という考え方
である。
 【9】もしも、科学者の全部が、この両極
端のどちらかに固執していたとするならば、
今日の科学はあり得なかったであろう。デモ
ク∵リトスの昔はおろか、十九世紀になって
も、原子の存在の直接的証明はなかった。【
0】それにもかかわらず、原子から出発した
科学者たちの方が、原子抜きで自然現象を理
解しようとした科学者たちより、はるかに深
くかつ広い自然認識に到着し得たのである。
「実証されていない物事は一切、信じない」
という考え方が窮屈すぎることは、科学の歴
史に照らせば、明々白々なのである。されば
といって、実証的あるいは論理的に完全に否
定し得ない事物は、とれも排除しないという
立場が、あまりにも寛容すぎることも明らか
である。科学者は思考や実験の過程において
きびしい選択をしなければならない。いいか
えれば、意識的・無意識的に、あらゆる可能
性の中の大多数を排除するか、あるいは少な
くとも一時、忘れなければならない。
(中略)
 今日の物理学者にとって最もわからないの
は、素粒子なるものの正体である。とにかく
、それが原子よりも、はるかに微小なもので
あることは確かだが、細かく見れば、やはり
、それ自身としての構造がありそうに思われ
る。しかし実験によって、そういう細かいと
ころを直接、見わけるのは不可能に近い。ひ
とつの素粒子をよく見ようとすれば、他の素
粒子を、うんとそばまで近づけた時に、どう
いう反応を示すかを調べなければならない。
ところが、実験的につかめるのは、反応の現
場ではなく、ふたつの素粒子が近づく前と後
だけである。
 こういう事情のもとでは、物理学者の考え
方は、上述の両極端のどちらかに偏りやすい
。ある人たちは、ふたつの素粒子が遠くはな
れている状態だけを問題にすべきだという考
え方、あるいは個々の素粒子の細かい構造な
ど考えてみたってしようがないという態度を
取る。私などは、これとは反対に、素粒子の
構造は何らかの仕方で合理的に把握できるだ
ろうと信じて、ああでもない、こうでもない
と思い悩んでいる。荘子(そうし)が魚の楽
しみを知ったようには簡単にいかないが、い
つかは素粒子の心を知ったといえる日がくる
だろうと思っている。
(湯川秀樹『物質と思考』より)