マキ2 の山 5 月 3 週 (5)
★ある種の動物では(感)   池新  
 【1】ある種の動物では、群れをなして生活している個体と個体の間に交信行動がなされていることが知られている。また、人間とイヌなどの間でも交信行動は認められる。飼い主が飼い犬に対して、物を投げて取ってこいと指示したり、飼い犬が飼い主に対して、ほえたり、衣類を引っ張ったりして食べ物を求めたりするのがこの例である。【2】しかし、伝達できる内容の範囲はごく狭く限定されている。
 動物相互間、人間と動物間の交信行動は、ごく貧しいものであるが、人間相互間で交わされる言語は、これらとは比較にならないほど豊かなものを持っている。
 【3】人類学者によると、地球上のいかなる種族でも、それぞれの言語を持っていると言われる。言語は人間であることの重要なしるしなのである。我々自身の生活を考えればすぐ理解できるように、言語は人間の生活に深いかかわりを持っている。
 【4】第一に、我々は日常、多くの人に接し、意志や感情を伝達し合っているが、そのほとんどは言語を媒介としたものである。身振りや顔の表情などによる、言語を用いない伝達方法もあるが、「これらはしばしば不確実なものになりやすい。【5】言語を通して相互の正確なコミュニケーションが可能なのである。
 第二に、言語を持つことによって、人はその経験を豊かにし、知識を広げることができる。人が自分で直接に見たり聞いたりできる範囲は、ごく限定されたものである。【6】遠い昔の歴史上のことや、行ったことのない国の様子について知ることができ、イメージを描くことができるのは、我々が言語を持っているからである。一つの問題について他の人が研究した論文や著書を読み、それを理解することによって、更に自分の研究を発展させていくことができる。
 【7】四、五歳の幼児が、三、四人集まって昨日の夕方見たテレビのマンガについて話し合っている。どこでも見られる光景であるが、これが可能になるのは、昨日見たマンガの内容を理解し、それを記憶し、そのことを相手に分かるように言語で伝えなくてはならない。【8】幼児たちに共通に理解し合える言語が、ここになければならないのである。たまたまこの幼児の一人が昨夕のテレビを見ていなかったとする。その子は友達の話を聞いて、マンガの筋を理解し、それが今晩見るときの助けにもなるのである。∵
 【9】第三に、我々は、言語の助けを借りて事物を認識し、思考している。何か考えるときに、人は発声はしなくても言語を用いている。世界の様々な言語は、必ずしも一対一に対応させることのできる単語を共通に持っているわけではない。【0】例えば、一人称単数の代名詞は、英語では常にアイと言うが、日本語では、相手との関係によって、私、ぼく、おれなどと様々に変化する。日本語の場合、一人称単数の代名詞は、相手との関係の親密さの度合いなどに基づいて選択されるのである。言い換えれば、私、ぼく、おれなどのうち、どの言葉を選択するかということによって、相手との人間間係に対する認識が明確になるのである。
 英語では男の兄弟一般を示すブラザーという言葉が使われるが、日本語では、自分から見て年長か年少かということが意識されやすいので、兄と弟という言葉が使われる。また、兄弟が相手の名前を呼ぶときには、米国では、ほとんど呼び捨てか、名前を短縮したような愛称で呼んでいる。我が国では、法律の上ではきょうだいが全く平等になった現在でも、年少の者は年長のきょうだいを「おにいさん」「おねえさん」などと、親に対する場合と同じような普通名詞で呼んでいる。このような言葉の使い方の中に、日本人の人間関係の特色が反映しているのである。

 (詫摩武俊の文章による)