長文集  5月1週  ★「好奇心」という言葉は(感)  ma2-05-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】「好奇心」という言葉は、おもしろ
い言葉である。それは読んで字のごとく、「
奇を好む心」であるが、その「奇」というの
は、変わったこと、つまり、日常の環境、自
分がすっかり適応している環境、自分が馴れ
親しんでいる環境と異質なもののことであ 
る。異質だからこそ、「奇」と感じられるの
だ。
 【2】ここでぼくは、あらためて生きると
いうことの逆説的な構図を痛感せざるをえな
い。人間は生きるために環境に適応しなけれ
ばならないのだが、ひとたび環境に適応して
しまうと、こんどは環境にすっかり慣れてし
まったということが、逆に生きるという実感
を失わせてしまう。【3】つまり、生きるた
めの刺激がなくなることで、生命の力がすっ
かり弛緩してしまうのだ。別言すれば、その
ような無重力状態が、生きるためのエネルギ
ーを吸いとってしまうわけである。【4】チ
ンパンジーが退屈のあまり精神的な障害をき
たすというのは、そうした生命力のまったき
弛緩を意味しているのである。チンパンジー
でさえそうなら、人間はなおのことである。
したがって、好奇心とは、そうした生命力の
弛緩に対するカンフル注射のごときものと考
えてもよい。
 【5】よく、都会には強い刺激がありすぎ
るという。けれど、右の事情を考えれば、そ
れはきわめて当然のことといわなくてはなら
ない。都会というのは、人間を自然から守る
装置が幾重にも張りめぐらされている場所の
ことである。【6】だからディズモンド・モ
リスは現代の都会のことを「人間動物園」と
呼んでいるのだ。動物園のように手厚く自然
から、あるいは野性から保護されているから
である。いきおい、都会に住む人間からは抵
抗感が失われてゆく。【7】自然に対する抵
抗感、すなわち適応への努力こそが生きる実
感を人間に与えるのだが、それがなくなれば
、人間は何かべつのものをそれに代えなけれ
ばならない。そうしないと、チンパンジーの
ように退屈のあまり病気になったり、異常な
行動をはじめたりし て、あげくの果て、死
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んでしまいかねないからだ。【8】都会の刺
激というのは、その代替物なのである。
 これに対して、田舎ではそのような刺激を
必要としない。なぜな∵ら、農村や、山村や
、漁村では、人間に抵抗感を与え、適応への
努力を強いる自然の力がまだ十分に働いてい
るからである。【9】けれど、もし田園が都
会同様に自然からの保護施設をたっぷり持つ
ようになれば、そこもまた、自然の力の代役
をするなんらかの刺激を必要とすることにな
るだろう。日本では、ほとんどの場所がそう
なりかけている。【0】
 したがって都会の刺激というのは、第二の
自然、へんないい方になるが、人工的な自然
と考えてよかろう。つまり、文化とか、人間
がつくり出すさまざまな情報といったものは
、人間がいきるため、抵抗するための擬似自
然なのである。
 ところで好奇心の「奇」とは、そもそもは
自然現象の「奇」であった。自然に適応して
生きてゆこうとするとき、適応するために、
よりいっそうの努力が要求される事象、それ
が「奇」と感じられたのである。
 おなじことは都会の刺激、すなわち文化現
象についてもいえる。一応、出来上がった文
明・文化のなかに住むぼくたちにとっての「
奇」とは、あまり聞いたことのない人工的な
音響であるとか、ふだん見なれない人為的な
形であるとか、いつもは考えたこともない事
象だとか、そういったものである。音楽や絵
画などの創作活動や芸術の享受が前二者なら
、新聞や雑誌で知らされるさまざまな情報が
後者である。
 だから、これらすべてをふくめて人間にそ
れらを伝えるマスメディアは、いってみれば
、人間に適応を強いる第二の自然の役割を担
っているわけである。つまりマス・コミュニ
ケーションの世界とは「文化のジャングル」
なのだ。そのジャングルのなかで、適応能力
を欠いたものは脱落する。現代社会における
教育システムは、文化のジャングルのなかで
の適応を教えるシステムといってもよい。だ
とすれば、その中心機能は、人間が本来持っ
ているはずの好奇心を育成することでなけれ
ばならない。