マキ2 の山 4 月 3 週 (5)
★他の痛みは(感)   池新  
 【1】他の痛みは自分と「関係ない」という心は、逆に、自分の痛みは痛がって、それを友や、親や、先生や、社会など、他の責任にして八つあたりする心と、共存しているような気がします。【2】同じことでも、解釈によって、自分の心を励ますこととできるのに、いつも、悪く悪く解釈して、逆うらみや、ねたみや、敵意でこわばってしまうのでは、自分で自分の人間としての成長をはばんでいるようなものです。【3】「それで、あなたは幸福ですか。」そういう声が聞こえます。「人のために何かする」という「何か」は、もとより「よいこと、役に立つこと」「よろこびとなること」をさしています。【4】どんな人の心の中にも、「人をよろこばせて自分もよろこぶ」人間らしいうれしい心があります。これは、「そんな気持ち、ちっともないよ。」なんて、悪ぶっていばってもだめです。【5】必ず、自分の気づかない心の底に、宝物のように輝く美しい心が横たわっています。
 (中略)
 【6】もし、まだそんな気持ちを味わったことがないとお思いなら、ぜひ、自分の中に眠っている、すこし鈍感で怠け者の宝ごころを掘り起こしてください。揺りさましてください。【7】「あ、こんな気持ちがあったのか。」「ちょっとうれしいなあ。」
 お金もほしい。物もほしい。異性の関心もほしい。親の庇護や、先生の真心もほしい。【8】けれど、そういうものより、何より、もっともっとうれしいのが、この「自分発掘の幸福感」、いいかえてみると、「自分の悪意とたたかって、自分を優しく気持ちのいい存在にきたえてゆくうれしさ」だと思います。
 【9】でも、この人間だけが味わえる、本能以上のよろこびは、不断の努力のあげくに、ふっと感じられるもの。このわずかな瞬間の、深い感動が味わいたくて、人は自分を訓練するのでしょう。【0】

 (岡部伊都子の文章による)