長文集  4月2週  ★子どものころ(感)  ma2-04-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】子どものころ、「道草をしてはいけ
ません。」とよく言われたものである。学校
から家に帰るまで道草をせずに、まっすぐに
帰るようにと言われる。しかし、子どもにと
って道草ほどおもしろいものはなかった。【
2】落葉のきれいなのを見つけると拾って友
人と比べっこをしたり、蟻の巣を見つけて、
そのあたりで働く蟻の様子を見てみたり。そ
れに何よりも興味があったのは「近道」であ
る。【3】大人の目から見ると、それは迂路
であり道草にすぎないのだが、何とか「近道
」を見つけて、どこかの家の裏庭に入り込ん
だり、時には畠(はたけ)を踏みつけたと怒
られて逃げまわった り、まったくスリル満
点のおもしろさであった。
 【4】今から考えてみると、このような道
草によってこそ、子どもは通学路の味を満喫
していた、と思えるのである。道草をせず、
まっすぐに家へ帰った子は、勉強をしたり仕
事をしたり、マジメに時間を過ごしたろうし
、それはそれで立派なことであろうが、道の
味を知ることはなかったと言うべきであろう

 【5】ある立派な経営者で、趣味も広いし
、人情味もあり、多くの人に尊敬されている
人にお会いして、どうしてそのような豊かな
生き方をされるようになりましたかとお訊き
したら、「結核のおかげですよ」と答えられ
た。
 【6】学生時代に結核になった。当時は的
確な治療法がなく、ただ安静にするだけが治
療の手段であった。結核という病気は意識活
動の方は全然衰えないので、若い時に他の若
者たちがスポーツや学問などにいそしんでい
ることを知りつつ、ただただ安静にしている
だけ、というのは大変な苦痛である。【7】
青年期のいちばん大切な時期を無駄にしてし
まっている、という考えに苦しめられるので
ある。
 ところが、自分が経営者となって成功して
から考えると、結核による「道草」は、無駄
ではなかったのである。無駄どころか、それ
はむしろ有用なものとさえ思われる。【8】
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そのときに経験したことが、今になって生き
てくるのである。人に遅れをとることの悔し
さや、誰もができることをできないつらさな
どを味わったことによって、弱い人の気持ち
がよくわかるし、死について生についていろ
いろ考え悩んだことが意味をもってくるので
ある。【9】このような生き方の道として、
目的地にいち早く着くことのみを考えている
人は、∵その道の味を知ることがないのであ
る。大学合格という「目的」に向かって道草
などせずにまっしぐらに進むことが要請され
ているようであるが、実際に入学してきた学
生で、入学してから頭角をあらわしてくるの
を見ていると、受験勉強の間に、それなりに
結構「道草」をくっていることがわかるので
ある。【0】そんなことあるものか、と思わ
れそうだが、このあたりが人間のおもしろい
ところで、道草をくっていると、しまったと
思って頑張ったりするから、全体として案外
つじつまの合うものなのである。
 こんなことを考えたのも、実は漱石の『道
草』を読み直す機会があったからである。主
人公の男性は、何かと奥さんとすれ違いをし
腹をたてたり悔んだりしている。昔世話にな
った養父というのが現われて金をせびりに来
る。今更かかわり合う筋合いではないとわか
っているのだが、何となくかかわり合ってし
まう。奥さんから見れば、けじめをつければ
いいのに、ということになるし、それが正し
いこととわかっていながら、何のかのと厄介
なことが続く。
 これは、日常、どこの家でも見られるゴタ
ゴタがただ淡々と描かれているだけのように
さえ思われる。主人公の男性は学者であり、
学問的にしなくてはならないことをたくさん
抱え込んでいながら、このような日常のゴタ
ゴタで「道草」をくわされてしまっているの
だ。
 ところが、この『道草』を読んでいると、
そのような現実をじっと眺めている、高い高
い視点からの「目」の存在が感じられてくる
のである。それは、まったくたじろがずに、
すべてのことを見ようとしている。自分が正
しいのか妻が正しいのか、などという判断を
超えて、現実をそのままに見ている。そのよ
うな目の存在を感じると、『道草』に描かれ
ている日常のいわゆるゴタゴタなるものが、
まさに「道」そのものの味をもっていること
がわかってくるのである。
 道草によってこそ道の味がわかると言って
も、それを味わう力をもたねばならない。そ
のためには漱石の『道草』ほどまでにはいか
ないとしても、それを眺める視点をもつこと
が必要だと思われる。

 (河合隼雄『こころの処方箋』より)