1. 【1】道具との
距離が遠くなったことはそのまま自然がわれわれから遠くなったことでもある。かつてなにをすべきかという人間の
疑問に答えたのは自然だった。【2】自然の解答は時としておそろしく
苛酷で矢つぎばやで、人はそれを
遂行するに
忙しく、時には
遂行しきれないで死ななくてはならないこともあった。【3】だがなにをすればよいかわからないなどという
馬鹿げた
宙ぶらりんなみじめな状態を人は知らなかった。今ではみんなが
途方にくれている。自然との関係において自分を人間にしたてあげてゆくような者はもういない。【4】人間はもうこの世界から
絶滅しかけている。自然は死んだとメアリ・マッカーシーは言うが、死んだのは人間にとっての自然、と言うより自然の前における人間の方なのだ。【5】今、数を
誇っている
奇妙なこの生物をどんな名で
呼ぶべきだろうか。
2.
彼等は最近気まぐれな女々しいノスタルジアから手づくりの道具
云々と口走っている。【6】だが自然からかくも
離れてしまった
彼等、物を加工するにあたって不可欠な形と質と重さと強度の感覚を養成することを
怠ってきた
彼等にいったい何が作れるというのか。【7】一
枚の板がどれだけの荷に
耐え、どれだけの荷でしなうか、それを材料工学によってではなく感覚的に知る者はいない。
従っておそらく
彼等が手で作る物はすべて
醜く、使用に
耐えず(あるいは使用目的さえ明らかでなく)要するにガラクタに過ぎないだろう。【8】あるいは料理にしても、料理Aを作るために材料a・b・cを集めることは知っているが、まず材料aを
与えられてそこから出発するという自然な順序では何一つできない。自然の中で生命を
維持することは生物の基本的条件だが、大半の人間はそれを満たしていない。【9】ロビンソン・クルーソーの資格をもつものはほとんどいないだろう。
3. 道具についてもう少し考えてみよう。道具はどのようにして作られ、どのような関係を人とのあいだに結ぶか。自然に近い場で
暮らす者にとって
斧は大変便利な道具である。【0】そのような場所ではある
年齢に達した男子はみな自分の
斧を持ち、どこへ行くにもそれを
携える。ある少年がやっとその
年齢に達したとしよう。父親は∵息子を
呼んで「
斧を持つべき時が来た」と多分もったいぶった口調で
宣言する。そして
翌日、父親と少年は
僅かな食料を持って山に入り、
密林をぬけ、川を
渡って
特殊な石を産する
山奥のある場所へ行く。そこに転がっている石同士を打ちあわせて
割り、適当な
劈開面の出ている
破片を選び出す。そしてほかの石で一部を注意深く欠いたり、岩に根気強くこすりつけたりして形を整える。
柄を作るにはまた別の場所へ行ってしかるべき種類の木の特定の枝ぶりのところを切ってこなくてはならない。あるいはそれを火にあぶって少々曲げ、
掌になじむようにするかもしれない。枝に
割れ目をいれて石
片をはさむようにすることも考えられる。これらの作業を息子は熱心に見ている。この次にはそれを自分一人でやらなくてはならないのだから。石
片を
柄に
縛りつけるには
藤蔓を切ってきて
乾かし、
裂いてしごいて
丈夫な
繊維を取り出さなくてはならない。これだけの手間をかけて作り、いつも持ち歩いて使用し、時にはそれによって
危険から
脱したりもする
斧となれば、持ち主にとって
貴重なものであるのもうなずける。
貴重ではあるがそれは
宝石などのような
経済の法則が勝手に決めたあやふやな
価値ではなく、使われるが故の
単純な
価値である。道具は作られ、使われ、次第に手になじみ、時にはこわれ、修理され、ゆっくりとある特定の変化をとげてゆく。またすべての道具が自作で
粗末で原始的である必要はない。サン=テクジュペリにとっての飛行機は、まさに農夫にとっての
鍬のように、道具だった。飛行機が人間について
万巻の書よりも多くを教えるからだと
彼は言う。だから
晩年あまりに複雑になりすぎた飛行機を
操縦するようになってからの
彼はもう飛行機のことは書かなかった。
4. 道具が道具になってゆく過程と対応してその前で一人の人間が作られてゆく。それが
珍しいことになってからもうずいぶん長い時間がたった。人がものを大事にしなくなったから、ものの方も居心地悪げで、折を見ては
逃げだそうと待ちかまえている、とリルケが書∵いたのは今世紀初頭のことだ。それ以来人と物との関係は
劇的な速度で悪化した。われわれはみな
甘やかされて
駄目になった
子供たち、
鉛筆をけずることさえできない
子供たちの時代に属している。