長文 12.3週
1. 【1】道具との距離きょりが遠くなったことはそのまま自然がわれわれから遠くなったことでもある。かつてなにをすべきかという人間の疑問ぎもんに答えたのは自然だった。【2】自然の解答は時としておそろしく苛酷かこくで矢つぎばやで、人はそれを遂行すいこうするに忙しくいそが  、時には遂行すいこうしきれないで死ななくてはならないこともあった。【3】だがなにをすればよいかわからないなどという馬鹿げばか 宙ぶらりんちゅう    なみじめな状態を人は知らなかった。今ではみんなが途方とほうにくれている。自然との関係において自分を人間にしたてあげてゆくような者はもういない。【4】人間はもうこの世界から絶滅ぜつめつしかけている。自然は死んだとメアリ・マッカーシーは言うが、死んだのは人間にとっての自然、と言うより自然の前における人間の方なのだ。【5】今、数を誇っほこ ている奇妙きみょうなこの生物をどんな名で呼ぶよ べきだろうか。
2. 彼等かれらは最近気まぐれな女々しいノスタルジアから手づくりの道具云々うんぬんと口走っている。【6】だが自然からかくも離れはな てしまった彼等かれら、物を加工するにあたって不可欠な形と質と重さと強度の感覚を養成することを怠っおこた てきた彼等かれらにいったい何が作れるというのか。【7】一まいの板がどれだけの荷に耐えた 、どれだけの荷でしなうか、それを材料工学によってではなく感覚的に知る者はいない。従ってしたが  おそらく彼等かれらが手で作る物はすべて醜くみにく 、使用に耐えた ず(あるいは使用目的さえ明らかでなく)要するにガラクタに過ぎないだろう。【8】あるいは料理にしても、料理Aを作るために材料a・b・cを集めることは知っているが、まず材料aを与えあた られてそこから出発するという自然な順序では何一つできない。自然の中で生命を維持いじすることは生物の基本的条件だが、大半の人間はそれを満たしていない。【9】ロビンソン・クルーソーの資格をもつものはほとんどいないだろう。
3. 道具についてもう少し考えてみよう。道具はどのようにして作られ、どのような関係を人とのあいだに結ぶか。自然に近い場で暮らすく  者にとっておのは大変便利な道具である。【0】そのような場所ではある年齢ねんれいに達した男子はみな自分のおのを持ち、どこへ行くにもそれを携えるたずさ  。ある少年がやっとその年齢ねんれいに達したとしよう。父親は∵息子を呼んよ で「おのを持つべき時が来た」と多分もったいぶった口調で宣言せんげんする。そして翌日よくじつ、父親と少年は僅かわず な食料を持って山に入り、密林みつりんをぬけ、川を渡っわた 特殊とくしゅな石を産する山奥やまおくのある場所へ行く。そこに転がっている石同士を打ちあわせて割りわ 、適当な劈開へきかい面の出ている破片はへんを選び出す。そしてほかの石で一部を注意深く欠いたり、岩に根気強くこすりつけたりして形を整える。を作るにはまた別の場所へ行ってしかるべき種類の木の特定の枝ぶりのところを切ってこなくてはならない。あるいはそれを火にあぶって少々曲げ、てのひらになじむようにするかもしれない。枝に割れ目わ めをいれて石へんをはさむようにすることも考えられる。これらの作業を息子は熱心に見ている。この次にはそれを自分一人でやらなくてはならないのだから。石へん縛りつけるしば    には藤蔓ふじづるを切ってきて乾かしかわ  裂いさ てしごいて丈夫じょうぶ繊維せんいを取り出さなくてはならない。これだけの手間をかけて作り、いつも持ち歩いて使用し、時にはそれによって危険きけんから脱しだっ たりもするおのとなれば、持ち主にとって貴重きちょうなものであるのもうなずける。貴重きちょうではあるがそれは宝石ほうせきなどのような経済けいざいの法則が勝手に決めたあやふやな価値かちではなく、使われるが故の単純たんじゅん価値かちである。道具は作られ、使われ、次第に手になじみ、時にはこわれ、修理され、ゆっくりとある特定の変化をとげてゆく。またすべての道具が自作で粗末そまつで原始的である必要はない。サン=テクジュペリにとっての飛行機は、まさに農夫にとってのくわのように、道具だった。飛行機が人間について万巻まんがんの書よりも多くを教えるからだとかれは言う。だから晩年ばんねんあまりに複雑になりすぎた飛行機を操縦そうじゅうするようになってからのかれはもう飛行機のことは書かなかった。
4. 道具が道具になってゆく過程と対応してその前で一人の人間が作られてゆく。それが珍しいめずら  ことになってからもうずいぶん長い時間がたった。人がものを大事にしなくなったから、ものの方も居心地悪げで、折を見ては逃げだそに   うと待ちかまえている、とリルケが書∵いたのは今世紀初頭のことだ。それ以来人と物との関係は劇的げきてきな速度で悪化した。われわれはみな甘やかさあま   れて駄目だめになった子供こどもたち、鉛筆えんぴつをけずることさえできない子供こどもたちの時代に属している。