長文集  12月3週  ★道具との距離が(感)  hu2-12-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】道具との距離が遠くなったことはそ
のまま自然がわれわれから遠くなったことで
もある。かつてなにをすべきかという人間の
疑問に答えたのは自然だった。【2】自然の
解答は時としておそろしく苛酷で矢つぎばや
で、人はそれを遂行するに忙しく、時には遂
行しきれないで死ななくてはならないことも
あった。【3】だがなにをすればよいかわか
らないなどという馬鹿げた宙ぶらりんなみじ
めな状態を人は知らなかった。今ではみんな
が途方にくれている。自然との関係において
自分を人間にしたてあげてゆくような者はも
ういない。【4】人間はもうこの世界から絶
滅しかけている。自然は死んだとメアリ・マ
ッカーシーは言うが、死んだのは人間にとっ
ての自然、と言うより自然の前における人間
の方なのだ。【5】 今、数を誇っている奇
妙なこの生物をどんな名で呼ぶべきだろう 
か。
 彼等は最近気まぐれな女々しいノスタルジ
アから手づくりの道具云々と口走っている。
【6】だが自然からかくも離れてしまった彼
等、物を加工するにあたって不可欠な形と質
と重さと強度の感覚を養成することを怠って
きた彼等にいったい何が作れるというのか。
【7】一枚の板がどれだけの荷に耐え、どれ
だけの荷でしなうか、それを材料工学によっ
てではなく感覚的に知る者はいない。従って
おそらく彼等が手で作る物はすべて醜く、使
用に耐えず(あるいは使用目的さえ明らかで
なく)要するにガラクタに過ぎないだろう。
【8】あるいは料理にしても、料理Aを作る
ために材料a・b・cを集めることは知って
いるが、まず材料aを与えられてそこから出
発するという自然な順序では何一つできない
。自然の中で生命を維持することは生物の基
本的条件だが、大半の人間はそれを満たして
いない。【9】ロビンソン・クルーソーの資
格をもつものはほとんどいないだろう。
 道具についてもう少し考えてみよう。道具
はどのようにして作られ、どのような関係を
人とのあいだに結ぶか。自然に近い場で暮ら
す者にとって斧は大変便利な道具である。【
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0】そのような場所ではある年齢に達した男
子はみな自分の斧を持ち、どこへ行くにもそ
れを携える。ある少年がやっとその年齢に達
したとしよう。父親は∵息子を呼んで「斧を
持つべき時が来た」と多分もったいぶった口
調で宣言する。そして翌日、父親と少年は僅
かな食料を持って山に入り、密林をぬけ、川
を渡って特殊な石を産する山奥のある場所へ
行く。そこに転がっている石同士を打ちあわ
せて割り、適当な劈開(へきかい)面の出て
いる破片を選び出す。そしてほかの石で一部
を注意深く欠いたり、岩に根気強くこすりつ
けたりして形を整え る。柄を作るにはまた
別の場所へ行ってしかるべき種類の木の特定
の枝ぶりのところを切ってこなくてはならな
い。あるいはそれを火にあぶって少々曲げ、
掌になじむようにするかもしれない。枝に割
れ目をいれて石片をはさむようにすることも
考えられる。これらの作業を息子は熱心に見
ている。この次にはそれを自分一人でやらな
くてはならないのだから。石片を柄に縛りつ
けるには藤蔓(ふじづる)を切ってきて乾か
し、裂いてしごいて丈夫な繊維を取り出さな
くてはならない。これだけの手間をかけて作
り、いつも持ち歩いて使用し、時にはそれに
よって危険から脱したりもする斧となれば、
持ち主にとって貴重なものであるのもうなず
ける。貴重ではあるがそれは宝石などのよう
な経済の法則が勝手に決めたあやふやな価値
ではなく、使われるが故の単純な価値である
。道具は作られ、使われ、次第に手になじみ
、時にはこわれ、修理され、ゆっくりとある
特定の変化をとげてゆく。またすべての道具
が自作で粗末で原始的である必要はない。サ
ン=テクジュペリにとっての飛行機は、まさ
に農夫にとっての鍬(くわ)のように、道具
だった。飛行機が人間について万巻の書より
も多くを教えるからだと彼は言う。だから晩
年あまりに複雑になりすぎた飛行機を操縦す
るようになってからの彼はもう飛行機のこと
は書かなかった。
 道具が道具になってゆく過程と対応してそ
の前で一人の人間が作られてゆく。それが珍
しいことになってからもうずいぶん長い時間
がたった。人がものを大事にしなくなったか
ら、ものの方も居心地悪げで、折を見ては逃
げだそうと待ちかまえている、とリルケが書
∵いたのは今世紀初頭のことだ。それ以来人
と物との関係は劇的な速度で悪化した。われ
われはみな甘やかされて駄目になった子供た
ち、鉛筆をけずることさえできない子供たち
の時代に属している。