長文 12.1週
1. 【1】人間には、身体的なエネルギーだけではなく、心のエネルギーというものもある、と考えると、ものごとがよく了解りょうかいできるようである。【2】同じ椅子いすに一時間座っすわ ているにしても、一人でぼうっと座っすわ ているのと、 客の前で座っすわ ているのとではつかれ方がまったくちがう。【3】身体的には同じことをしていても「心」を使っていると、それだけ心のエネルギーを使用しているのでつかれるのだ、 と思われる。
2. このようなことはだれしもある程度知っていることである。そこで、人間はエネルギーの節約につとめることになる。【4】仕事など必要なことに使うのは仕方ないとして、不必要なことに、心のエネルギーを使わないようにする、となってくると、人間が何となく無愛想になってきて、生き方にうるおいがなくなってくる。【5】他人に会うたびに、にこにこしていたり、相手のことに気をつかったりするとエネルギーの浪費ろうひになるというわけである。ときに、役所の窓口まどぐちなどに、このような省エネの見本のような人を見かけることがある。【6】まったくもって無愛想に、じゃまくさそうに応対をしているのである。そのくせ、つかれた顔をしたりしているところが、おもしろいところである。
3. 【7】これとは逆に、エネルギーがあり余っているのか、と思う人もある。仕事に熱心なだけではなく、趣味しゅみにおいても大いに活躍かつやくしている。他人に会うときも、いつも元気そうだし、いろいろと心づかいをしてくれる。【8】それでいて、それほどつかれているようではない。むしろ、人よりは元気そうである。
4. このような人たちを見ていると、人間には生まれつき、心のエネルギーをたくさんもっている人と、少ない人とがあるのかな、と思わされる。【9】いろいろな能力において、人間に差があるように、心のエネルギー量というのにも生まれつきの差があるのだろうか。これは大問題なので、今回は取りあげないことにして、もう少し他のことを考えてみよう。
5. 【0】他との比較ひかくではなくて、自分自身のことを考えてみよう。たとえば、自分がが好きだとして、を打っているために使用される心のエネルギーを節約して、もう少し仕事の方に向けようと考えてみるとしよう。そこで、友人とを打つ回数を少なくして、仕事に力を入れようとして、果たしてうまくゆくだろうか。あるいは、今まで運動などまったくしなかったのに、ふと友人にさそわれてテニスをはじめると、それがなかなかおもしろい。だんだんと熱心にテ∵ニスの練習に打ちこむようになる。そんなときに、仕事の方は、前より能率が悪くなっているだろうか。あんがい、以前と変わらないことが多い。テニスの練習のために、以前よりも朝一時間早く起きているのに、仕事をさぼるどころか、むしろ、仕事に対しても意欲いよく的になっている、というときもあるだろう。
6. もちろん、ものごとには限度ということがあるから、趣味しゅみに力を入れれば入れるほど、仕事もよくできる、などと簡単かんたんには言えないが、ともかく、エネルギーの消耗しょうもう片方かたほうでおさえると、片方かたほうで多くなる、というような単純たんじゅん計算が成立しないことは了解りょうかいされるであろう。片方かたほうでエネルギーをついやすことが、かえって他の方に用いられるエネルギーの量も増加させる、というようなことさえある。
7. 以上のことは、人間は「もの」でもないし「機械」でもない、生きものである、という事実によっている。
8. 人間の心のエネルギーは、多くの「鉱脈」のなかにうずもれていて、新しい鉱脈をほり当てると、これまでとは異なること  エネルギーが供給きょうきゅうされてくるようである。このような新しい鉱脈をほり当てることなく、「手持ち」のエネルギーだけにたよろうとするときは、確かに、それを何かに使用すると、その分だけどこかで節約しなければならない、という感じになるようである。
9. このように考えると、エネルギーの節約ばかり考えて、新しい鉱脈をほり当てるのをおこたっている人は、たからの持ちぐされのようなことになってしまう。あるいは、ほり出されないエネルギーが、底の方で動くので、何となくイライラしていたり、時にエネルギーの暴発現象を起こしたりする。これは、いつも無愛想に、感情をめったに表に出さない人が、ちょっとしたことで、カッとおこったりするような現象としてあらわれたりする。
10. 自分のなかの新しい鉱脈をうまくほり当ててゆくと、人よりは相当に多く動いていても、それほどつかれるものではない。それに、心のエネルギーはうまく流れると効率のいいものなのである。他人に対しても、心のエネルギーを節約しようとするよりも、むしろ、上手に流してゆこうとする方が、効率もよいし、そのことを通じて新しい鉱脈の発見に至るいた こともある。心のエネルギーの出しおしみは、結果的に損につながることが多いものである。