長文集  11月4週  ○簡単にいえば、「義」とは(感)  hu2-11-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/09/10 19:37:22
 【1】簡単にいえば、「義」とは、打算や
損得のない人としての正しい道、つまり「正
義」である。「道義」「節義」の意味もこれ
にあたる。
 新渡戸博士がいうように、なんと厳しい「
掟」であるか。なぜなら、簡単に「人として
の正しい道」といっても、それは個人的な観
念であり、いわば「道徳」である。実行しな
ければ罰(ばっ)せられるといった「法律」
とは違う。【2】法律ならば「してはいけな
いこと」が法文化されていて明確にわかるが
、自己の観念にもとづく道徳は人間の内面に
据えられた「良心の掟」であり、その基準は
個人によって違うからである。
 【3】道徳(モラル)と法律(ルール)の
本質的な違いは、道徳は良心の掟である以上
「不変」なものだが、法律は社会の都合で「
変化」させることができるもの、とされてい
る。
 【4】たとえば交通法規などは社会の都合
にともなって、それに即応したものに変えら
れるが、「嘘をつくな」「弱い者をいじめる
な」といった良心の掟は、いかに社会が変わ
ろうとも変わるものではないからだ。
 【5】では、良心の掟とされる普遍的な道
徳とは何か。一般にはそれが儒教のいう「五
常」、すなわち「仁()・義・礼・智()・
信」とされている。【6】簡単にいえば、そ
の基本は先に少し触れたように、「人に優し
くあれ」「正直であれ(嘘をつくな)」「約
束を守れ」「弱い者をいじめるな」「卑怯な
ことをするな」「人に迷惑をかけるな」など
があげられ、人が人として行なわなければな
らない良心のことだ。だから、これらを犯す
とき、われわれは「良心の呵責」に襲われる
のである。
 【7】キリスト教ではこの良心の掟を「神
の声」としているが、儒教は神を語らない。
それに代るものとして「天」を置いた。儒教
を学んだ武士も、その良心の相手を「天」と
なし、天が見ているものとして守ったのであ
る。【8】そのことを示す有名な言葉が、∵
老子の「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)
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にして漏らさず」(天道は厳正で悪事には早
晩かならず悪の報いがあるとの意)である。
要するに武士道では、個人の道徳律、人倫の
道として、現実社会の法律を超越した「天道
」に従うことが義務づけられたのである。
 【9】ところで、ここが重要なところだが
、武士道は「五常」の中でも、とくに「義」
を最高の支柱に置いている。
 なぜか。その理由の第一は「人としての正
しい道」である「義」が、他の徳目とくらべ
てみて、もっとも難しいものだからである。
【0】というのも、この「義」は武士のみな
らず、いかなる人間においても、どのような
社会にあっても人の世の基本であるからだ。
この「義」(正義)が守られなければ平穏な
社会は築けない。これは現在の社会とて変る
ものではない。歌の文句ではないが、「義理
(正義)がすたれば、この世は闇」である。
 それゆえにこそ為政者側の武士は、江戸時
代あたりから軍人的性格より行政官としての
任務をもつようになると、「庶民の手本」と
なることが要求され、「義」を美学として生
きることが義務づけられたのである。武士道
では徹底的に、何が正しいかの「義の精神」
を教え、彼らの行動判断の基準をこの「義」
と定め、その行動の中に「義」があるかない
かを常に問われたのである。

 (岬龍一郎()『日本人の品格』〈PHP
文庫〉)