1. 【1】
価値が変動し、
混乱していくなかで、健康な体というのは、ひとつのよりどころにはなるでしょうが、健康な体、たくましい体だけがあればいいのかといえば、そうではないことは当然です。
2. 【2】前にC・W・ニコルさんから南極かどこかへ
探検に行ったときの話を聞いたことがあるのですが、
彼はこんなことを言っていました。
3. 【3】南極などの極地では、長いあいだテントを張って、くる日もくる日も風と雪と氷のなかで、じっと
我慢して待たなければいけないときがある。そういうときに、どういうタイプの連中がいちばん
辛抱づよく、最後まで自分を見失わずに
耐えぬけたか。【4】ニコルさんに言わせると、それは必ずしも
頑健な体をもった、いわゆる男らしい男といわれるタイプの人ではなかったそうです。
4. 【5】たとえば、南極でテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるし、そういうところでは
体裁をかまう必要がないから、身だしなみなどということはほとんど考えなくてもいいわけです。【6】にもかかわらず、なかには、きちんと朝起きると顔を
洗ってひげを
剃り、一応、
服装をととのえて
髪もなでつけ、顔をあわせると「おはよう」とあいさつし、物を食べるときには「いただきます」と言う人もいる。【7】こういう社会的なマナーを身につけた人が意外にしぶとく強く、
厳しい生活
環境のなかで最後まで弱音を
吐かなかった、というわけです。これはおもしろい話だと思います。
5. 【8】
礼儀、身だしなみ、こういうことは極限状態のなかでは最後に考えることのような気がします。しかし実際には、そういうなかで顔をあわせたときにきちんと「おはよう」とあいさつのできるような人、「ありがとう」と言えるような人、【9】あるいは朝、ほんのわずかな水で顔を
洗い、ひげも
剃って、それなりに
服装をととのえ、そして他人と
礼儀を
忘れずに接するという、小さいときからの自分の生活態度をずっと守りつづけたようなタイプの人のほうが、最後までがんばりぬいて弱音を
吐くことがなかった、という。【0】そんな話を聞いたりすると、うーん、それも新しいサバイバルの方法であるな、という感じがします。
6. 同じようなことは、今世紀最大の
悲劇と語りつがれるアウシュヴィツの強制
収容所でもいえそうです。∵
7. 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがユダヤ人を連行し、そして強制的な
収容所をつくり、そのなかでもっとも
残虐な
殺戮が行われたのが
アウシュヴィッツです。
8. その
地獄から
奇蹟の
生還をしたフランクルという人が、そこで起こったことを記録にまとめ世に出します。それが
翻訳されて日本では『夜と
霧』というタイトルの本になり、多くの人びとに、人間
存在の
残酷さと、そのなかで
宝石のように光る生の
尊厳を静かに
訴えて、いまでもロングセラーとして読まれつづけています。
9. ほとんどの人が死んでゆくなかでフランクルがどのようにその極限状態を生きぬいて
奇蹟の
生還をとげたか、ということが、ぼくにとっては興味の的だった。いろんなことがあります。
10. 精神科医だったフランクルは、人間がこの極限状態のなかを
耐えて最後まで生きぬいていくためには、感動することが大事、
喜怒哀楽の人間的な感情が大切だ、と考えるのです。無感動のあとにくるのは死のみである。そして自分の親しい友だちと相談し、なにか毎日ひとつずつおもしろい話、ユーモラスな話をつくりあげ、
お互いにそれを
披露しあって笑おうじゃないか、と決めるのです。
11. あすをも知れない極限状態のなかで笑い話をつくって、
お互いに笑いあうなんていうことになんの意味があるのか、と思われそうですけれども、そうではないのです。あすの命さえも知れないような強制
収容所の生活のなかでユーモアのあるジョークを
一生懸命に考え、
お互いに
披露しあって、栄養失調の体で、うふ、ふ、ふ、と、力なく笑う。
12. こういうことをノルマのように決めて毎日実行したというのですが、むしろそういうことも、ひょっとしたらフランクルが
奇蹟の
生還をとげる上での大事な
役割を果たしていたのではないか、と思います。
13. ユーモアというのは単に
暇つぶしのことでなく、ほんとに人間が人間性を失いかけるような局面のなかでは人間の
魂をささえていく大事なものだ、ということがよくわかります。
14. また、同じように――風景というものに対して非常に感受性のつよい人間がいる。そして、たとえば強制労働のなかで水たまりに∵
映った冬の
枯れ枝の風景を
眺めて、あの、レンブラントの絵のようだ、なんていうことを考えたりする人がいる。こういう感じかたをする人のほうがじつは強制
収容所の非人間的な生活のなかでは、むしろ強く、
生き延びることができたのです。
15. このエピソードは、人間が健康とか体力だけで
厳しい条件に
耐えられるものではない、ということを
如実に表現しているような気がしないでもありません。
16.(五木
寛之の文章より)