長文 10.3週
1. 【1】一九八〇年代に入ると、日本では「国際化」の必要性が非常に大きく叫ばさけ れるようになりました。一九九〇年代から新世紀にかけては「グローバリゼーション」とのかけ声がどこでも聞こえます。
2. 【2】国際化が、どちらかと言えば日本なら日本一国の変化を指し、それが他の国々も互いにたが  国際化をしなくてはならないといった傾向けいこうが強かったのに対し、グローバリゼーションは、地球全域ぜんいきでの変化に重きを置いた言葉です。【3】国際化はやはり国と国といった関係が中心の考え方というべきでしょう。グローバリゼーションには国というわくにとらわれない見方が含まふく れています。【4】実際、インターネットや衛星放送が世界中で見られることを含めふく て情報化が進行し、経済けいざいがボーダーレスになり(企業きぎょう活動の場が全地球的になること)、中国やロシアが積極的に市場経済けいざいの仲間入りをするという現象からも、グローバリゼーションが加速していることは事実だと思います。
3. 【5】そこでグローバリゼーションとは何か、とその内実を考えてみると、少なくともその変化を表面的に覆っおお ているのは、現代アメリカの作り出した大衆たいしゅう文化あるいは生活様式です。【6】高層こうそうビルもハンバーガーも、二〇世紀アメリカの経済けいざい力によってつくり出されたものであり、それが世界中に発信され、どの国の大都市にも波のように押し寄せお よ ているのだと思います。
4. 【7】アメリカ大衆たいしゅう文化の表現形式は、特に二〇世紀後半の世界の国々には非常に受け入れやすいということがありました。【8】いくらアメリカが政経軍事にわたるちょう大国といっても、また文化の産業化の力が強大といっても、その文化そのものに魅力みりょくがなければ世界に広まるわけはありません。【9】ハリウッド映画えいがやポピュラーミュージック、コカ・コーラ     やハンバーガーなどの食文化を含めふく たライフスタイルなどが世界の多くの人に好まれるから広まるわけです。
5. 【0】アメリカの消費経済けいざいとそこに広まる文化のグローバリゼーションの波には抵抗ていこうしがたいものがあります。かつてインドのムンバイ(旧ボンベイ)では、人民とうコカ・コーラ     追放運動なども起きました。しかし、いまではデリーにもファストフードの店がありま∵す。フランスのように、アメリカ映画えいがの輸入本数を制限するなど、アメリカの「文化侵略しんりゃく」に対する防衛さくを講じる国もあります。しかしそういう抵抗ていこうも効果的ではありません。パリではハリウッド映画えいがからファストフード店まで人が群がっています。
6. こうしたグローバリゼーションを政治権力けんりょくで禁じることは難しいむずか  でしょう。というのは、情報化の時代には、テレビやインターネットなどの通信伝達手段しゅだんによってどこに何があるのかだれでも知ってしまうからです。そして同じものをほしがったり同じことをしたくなるからです。そういう消費欲望よくぼうを起させるところがアメリカ的な文化のグローバリゼーションの強みなのです。
7. ただ、この文化のグローバリゼーションによって、やがて世界の文化が均質化してしまうのかというと、それも違いちが ます。戦後憲法けんぽうや学校制度に始まり、アメリカ化の影響えいきょうを受け続けた日本ですが、アメリカから見るとまだ「日本異質いしつろん」が出てくるぐらい、彼我ひがの文化の違いちが 依然としていぜん   消えていないのです。確かに、食生活やファッション、経済けいざいや社会の制度まで、グローバリゼーションによって変わるものはたくさんあります。しかし同時に、文化的社会的に残るものは残っています。英語が情報通信の第一言語として世界を覆っおお ていることは事実としても、タイ語もネパール語ももちろん日本語もしっかりと存在そんざいしています。アメリカ的なファストフード支配の傾向けいこうはあっても、回転寿司すしもあり、和食の伝統は残っています。それが消え去るとも思えません。こういう事実を見ても、わたしは、それぞれの文化が全て画一化してしまうとは思いません。しかし、他方でそれも楽観的にすぎるかもしれないと感じたりもします。実はこうしたグローバル化の勢いは、人々に自文化への関心を薄めうす させ、子どもや若いわか 世代に伝統や歴史についての関心を弱くさせる働きがあるのも事実だと思うからです。
8. 本来は文化のグローバリゼーションと文化は必ずしも対立関係にはなく、グローバリゼーションも受け入れながら文化は文化として存在そんざいするというあり方になるのが一番良いのではないでしょ∵うか。

9.(青木保「文化理解」より)