長文集  10月3週  ★一九八〇年代に入ると(感)  hu2-10-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】一九八〇年代に入ると、日本では「
国際化」の必要性が非常に大きく叫ばれるよ
うになりました。一九九〇年代から新世紀に
かけては「グローバリゼーション」とのかけ
声がどこでも聞こえます。
 【2】国際化が、どちらかと言えば日本な
ら日本一国の変化を指し、それが他の国々も
互いに国際化をしなくてはならないといった
傾向が強かったのに対し、グローバリゼーシ
ョンは、地球全域での変化に重きを置いた言
葉です。【3】国際化はやはり国と国といっ
た関係が中心の考え方というべきでしょう。
グローバリゼーションには国という枠にとら
われない見方が含まれています。【4】実 
際、インターネットや衛星放送が世界中で見
られることを含めて情報化が進行し、経済が
ボーダーレスになり(企業活動の場が全地球
的になること)、中国やロシアが積極的に市
場経済の仲間入りをするという現象からも、
グローバリゼーションが加速していることは
事実だと思います。
 【5】そこでグローバリゼーションとは何
か、とその内実を考えてみると、少なくとも
その変化を表面的に覆っているのは、現代ア
メリカの作り出した大衆文化あるいは生活様
式です。【6】高層ビルもハンバーガーも、
二〇世紀アメリカの経済力によってつくり出
されたものであり、それが世界中に発信され
、どの国の大都市にも波のように押し寄せて
いるのだと思います。
 【7】アメリカ大衆文化の表現形式は、特
に二〇世紀後半の世界の国々には非常に受け
入れやすいということがありました。【8】
いくらアメリカが政経軍事にわたる超大国と
いっても、また文化の産業化の力が強大とい
っても、その文化そのものに魅力がなければ
世界に広まるわけはありません。【9】ハリ
ウッド映画やポピュラーミュージック、コカ
・コーラやハンバーガーなどの食文化を含め
たライフスタイルなどが世界の多くの人に好
まれるから広まるわけです。
 【0】アメリカの消費経済とそこに広まる
文化のグローバリゼーションの波には抵抗し
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がたいものがあります。かつてインドのムン
バイ(旧ボンベイ)では、人民党のコカ・コ
ーラ追放運動なども起きました。しかし、い
まではデリーにもファストフードの店があり
ま∵す。フランスのように、アメリカ映画の
輸入本数を制限するなど、アメリカの「文化
侵略」に対する防衛策を講じる国もありま 
す。しかしそういう抵抗も効果的ではありま
せん。パリではハリウッド映画からファスト
フード店まで人が群がっています。
 こうしたグローバリゼーションを政治権力
で禁じることは難しいでしょう。というのは
、情報化の時代には、テレビやインターネッ
トなどの通信伝達手段によってどこに何があ
るのか誰でも知ってしまうからです。そして
同じものをほしがったり同じことをしたくな
るからです。そういう消費欲望を起させると
ころがアメリカ的な文化のグローバリゼーシ
ョンの強みなのです。
 ただ、この文化のグローバリゼーションに
よって、やがて世界の文化が均質化してしま
うのかというと、それも違います。戦後憲法
や学校制度に始まり、アメリカ化の影響を受
け続けた日本ですが、アメリカから見るとま
だ「日本異質論」が出てくるぐらい、彼我の
文化の違いは依然として消えていないのです
。確かに、食生活やファッション、経済や社
会の制度まで、グローバリゼーションによっ
て変わるものはたくさんあります。しかし同
時に、文化的社会的に残るものは残っていま
す。英語が情報通信の第一言語として世界を
覆っていることは事実としても、タイ語もネ
パール語ももちろん日本語もしっかりと存在
しています。アメリカ的なファストフード支
配の傾向はあっても、回転寿司もあり、和食
の伝統は残っていま す。それが消え去ると
も思えません。こういう事実を見ても、私 
は、それぞれの文化が全て画一化してしまう
とは思いません。しかし、他方でそれも楽観
的にすぎるかもしれないと感じたりもしま 
す。実はこうしたグローバル化の勢いは、人
々に自文化への関心を薄めさせ、子どもや若
い世代に伝統や歴史についての関心を弱くさ
せる働きがあるのも事実だと思うからです。
 本来は文化のグローバリゼーションと異(
い)文化は必ずしも対立関係にはなく、グロ
ーバリゼーションも受け入れながら異(い)
文化は異(い)文化として存在するというあ
り方になるのが一番良いのではないでしょ∵
うか。

(青木保「異文化理解」より)