長文集  10月1週  ○私には一つ、自分の好奇心を(感)  hu2-10-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/09/10 19:35:45
 【1】私には一つ、自分の好奇心を呼び覚
ます発見があった。お茶室というものが時代
を経る中で、広い書院からだんだん小さく縮
んでいって、最後は一坪だけの空間に至ると
いう、その縮小の流れを見つけてハッとした
のだ。【2】このお茶室の面積が縮小してい
く流れが、ある不思議な引力をもって見えた
のである。
 前から気になっていたことだが、懐石料理
というものは、何故大きな器にホンの少々の
食品を載せるのだろうか。
 【3】同様に、生花というものもおうおう
にして、大きな器にホンの一輪の花をすっと
斜めに生けたりする。そんなことが何故か気
にかかっていた。
 懐石料理がほんの一口の分量を大きな器に
入れてあること、それを経済要素から見れば
貧乏性である。【4】大きな花器に花一輪も
同じことだと思う。ヨーロッパでは花はたく
さんあるほど美しく、それが豊かさの表現と
なっている。それに対して一輪の花で満足し
ようというのだから、これは貧乏性の美学と
いうより、むしろ貧しさの美学、といった方
がいいのかもしれない。【5】しかしお茶室
の縮小していく流れには、ただ経済からの解
釈による貧乏性とは違う別の引力があるので
はないか、という印象があるのだった。
 懐石料理というものは、利休たちの茶の湯
の世界が究められていく過程で生れたものだ
。【6】つまりお茶を飲むために、その事前
運動として料理を食べる。
 私たちがいまふつうに飲む煎茶にしても、
まず食事をすませたその後に、ゆっくりと飲
むものである。まして茶の湯でいうお茶とは
抹茶である。【7】お茶の葉を摺って粉にし
たものを、そのままお湯に溶かして飲むのだ
から、ずいぶん濃い。それでも薄茶と濃茶(
こいちゃ)とあって、お濃茶(こいちゃ)と
いうのはほとんどドロドロである。カフェイ
ンであるから、空っ腹(すきっぱら)には相
当こたえる。【8】何か食べたあとの満たさ
れたお腹でなければ受けとめられない。そこ
でお茶の前には必ずお茶受けのお菓子が出る
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わけで、そのお茶受けをさらに強化したもの
として懐石料理があらわれてくる。∵
 【9】つまり食欲を満たすための食事では
なく、あくまでお茶に至るための食事である
から、分量的には最低限のものでいいわけで
ある。しかしそうやって生れた極小の懐石料
理が、お茶という最終目標を失ったところで
もなお美しい料理として崇められていく。そ
ういう美意識がこの国にはあるのだった。
 【0】その極小を愛でる美意識が、貧乏性
と重なってあるのである。そもそもディテー
ルへの愛というものが、基礎的な感性として
あるのだ。
 たとえば大和心のシンボルともいわれるサ
クラというもの、漢字ではこれを櫻と書く。
嬰という字には、まとう、めぐらす、とりま
くという意味があるという。中国ではサクラ
の花がぐるりと木をとりまいて咲く全体像を
見て櫻という文字が出来ているのだ。
 それでは漢字が伝わってくる前、サクラと
いう和音による呼び名にはどのような意味が
あるのか。日本語の古訓でサクの音のものは
裂、割、刳、その他、いずれも「二つに分か
れる」という意味を持っているという。
 おそらく桜を見てサクラと発音していた古
代の日本人たちは、桜の花びらを見つめてい
たのであろう。ご存知のように桜の花びらの
先端には小さな切れ込みがあり、M字形とな
っている。花びらの先が二つに分かれる。つ
まり大陸の人々は茫洋とピンクの固まりに包
まれた桜の木の総体を見ていた。そして列島
日本人は、散った桜の花びらの一つを掌に載
せて、その先端部分に見入っていたのであ 
る。
 そもそも日本人の崇める神さまたちは、自
然の風物の樹や、石 や、動物の一つ一つに
宿っているわけで、自然のディテールを愛で
る感性はこの列島の条件として備わっていた
ものなのだろう。
 おそらくそのような感性は、この国の人々
に、自然に、無自覚的にあったのだと思う。

(赤瀬()川原平『千利休 無言の前衛』〈
岩波新書〉)