フジ の山 11 月 1 週
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○自由な題名
◎いたずらをしたこと
★うちにある古い物、木登りをしたこと

笑顔の赤ちゃん
 【1】我が家のリビングには、僕の赤ん坊の頃の写真が飾られている。よく「小さいころの写真を見るのは恥ずかしい」という人がいるが、この写真に限って言うなら、僕はそうは感じない。物心ついたときからそこにあり、毎日見ているため、もはや慣れてしまって、今さら照れくさい気持ちにはならないのである。
 【2】むしろ、写真の中の赤ちゃんは、我ながらとてもかわいらしいと思うほどだ。何がそんなに嬉しいのか、というほど目を細め、口を上げて微笑んでいる。それがピントもばっちりのアップで写された、良い写真である。【3】僕はときどき「こんなに可愛い赤ちゃんが、今ではすっかりかわいくない少年になってしまったね」と冗談を言う。母はそれを聞くたびに、そうねえと大笑いをするのだ。
 ある日、僕はひとりで留守番をしていて暇だったので、その写真をしげしげと眺めてみた。【4】本当に自分なのか疑った、というわけではないが、成長した現在の顔と、どれくらい変わったか見比べてみようと思ったのだ。
 色々と見回してみて、一つ、昔と今でまったく変わっていない部分を発見した。それは、鼻の頭にある小さな傷だ。【5】今では痛くもかゆくもない傷あとであるが、写真ではついたばかりのようで、よく見ると結構痛々しい感じだった。こんな傷があるのににこにこしているとは、やはり赤ん坊は無邪気なのだなと、僕は他人事のように思った。
 【6】やがて母が帰ってきて、僕は気付いたことを報告した。すると母は、やけに重々しい口調で、「実は今まで隠していたことがある」と切り出した。それは、僕にとって衝撃の事実であった。
 なんと、僕の鼻の傷は、まさにこの写真を撮った時についたものなのだという。【7】カメラを構えた父に向かって、赤ん坊の僕はすごい勢いで這っていったらしい。母が止める暇もなかったという。そして僕はそのままカメラのレンズに激突し、火がついたように泣きわめいたのだそうだ。∵
 【8】そう、微笑ましい一枚だとばかり思っていたこの写真は、笑っているのではなく、痛みと驚きで泣き出す寸前の歪(ゆが)んだ表情をとらえたものだったのである。
 人間の先入観とは恐ろしいものだ。ただ、それが分かった上で見てみても、写真の中の赤ちゃんはやはり幸せそうに見える。【9】痛みや失敗も含めて、愉快な家族の思い出になっているからだろうか。
 今まで注目してこなかった写真にも、さまざまな隠された物語があるのかもしれない。僕は今度の留守番のとき、改めて古いアルバムを開いてみようかと考えた。【0】

(言葉の森長文(ちょうぶん)作成委員会 ι)