ヒイラギ2 の山 9 月 2 週
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○自由な題名

○家族それぞれのよいところ
○おかしかった思い出
★この数年、おりおりに森を(感)
 【1】この数年、おりおりに森を歩いている。
 日本列島で森といえば山のことだが、私のは登山ではなくて森あるきだ。頂上をめざしてひたすら登るという年齢ではなく、そんな体力もないのだが、山のすそや中腹の森をゆっくり歩いていると気が安まり心が満ちてくる。
 【2】谷川の石河原で寝そべってみたら若葉のざわめきと水の音と鳥の声につつまれている心地よさに、半日を過ごしてしまい、日暮れどきになってそのまま帰って来たこともある。【3】紅葉のブナの森を歩いていたら、その前から立ち去りがたい大きな木があちらにもこちらにもあって、そのときも気がつくと半日が過ぎていた。その日予定していた別の森には行かずじまいだった。なにも数多くの森をせっせと歩きまわることはない。【4】訪ねた森の数や歩いた距離をだれかと競うわけではないのだから、森の豊かな時間のなかに身を置いて、森の大きないのちの鼓動を静かに聴きつづける。時を忘れさせる森では足はおのずとゆっくりになり、しばしば立ちどまってしまう。
 【5】そういう森で見かけるのが、倒木だ。三人抱(がか)え四人抱え(がか)という大きな木が倒れている。何百年かを生きてきて、半ば朽ちて立っていた木が、ある日強い風に倒されたのだろう。太い幹の途中から折れて上部が地上に横たわっている。【6】倒れたときの衝撃でいくつかに分かれて縦に並んでいる倒木もある。
 古くなった倒木には苔が生えている。倒木の割れ目にたまった土に若木が育っていたりする。【7】倒れた木そのものがもう半ば土のようになって、そこに育った木が倒木同様に太くなり、倒木をかかえて天にそびえているのも見かける。森はそういう生と死をはらんで大きないのちを生きつづけている。
 【8】私の知るかぎり、時を忘れさせるほどに豊かな森は、倒木のある森だ。人工林には倒木がない。伐採されて搬出を待っている木が寝かされているだけで、自然の倒木が次の世代の木を育てているということはない。【9】日本庭園にも倒木を見かけることはまれで∵ある。自然の森を模してあり、半ばは自然の森になっている庭園もあるのだが、ほんとうの森とちがうのはそこに倒木のないことだ。若木を育てたり虫たちが巣くっている倒木がない。【0】まして、公園には倒木がない。台風で倒れることもあるだろうが、何日かしたらクレーン車などがやって来て取り除いてゆくだろう。人工林にも日本庭園にも公園にも、自然の森に流れているあの豊かな時間はない。
 ある森で、三人抱えでは足りないほどの大きなブナの木が、上半分が折れ倒れて、下半分ばかりが立ち枯れているのに出会った。立っている幹は大きく割れていた。近づいてみると割れ目の上下に黒く焦げた線が走っていた。落雷でやられたのだろう。巨木のこういう死もあるのだなと思いながら太い幹の裏にまわってみると、おどろいたことに一本の太枝が張り出して豊かな葉を茂らせていた。
 生と死がさまざまなかたちを見せているのが森というものだ。生と死を精妙に織りなして、森という大きないのちが息づいている。

──高田 宏 東京新聞(3・1・13)「生命 はぐくむもの」のらんによる──