ヒイラギ2 の山 8 月 1 週
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○自由な題名
○私の日曜日
★私の家族、痛かった思い出
○虫をつかまえたこと
○二、三年前、小学高学年の(感)
 【1】二、三年前、小学高学年の子どもたち三〇〇人に、どんな公園、どんなあそび場が欲しいかという絵を描いてもらったことがある。その時子どもだけしか入れない公園が欲しいというのがかなりあった。
 【2】児童公園など、あそんでいるのは子どもがほとんどなのに、と思うのだが、子どもたちに言わせれば、児童公園には大人もたくさん来て、野球をしちゃあいけない、木に登ってもいけないなど、いろいろ言う。
 【3】そのくせ、自分たちはゲートボールとかゴルフの練習とかして、危ないから向こうであそべという。そういうのでなく、子どもだけで自由に勝手にあそべる公園が欲しいというわけである。
 【4】なるほど、いま子どもたちにとって、大人から全く干渉されない空間はほとんどない。子どものための施設、子ども用の施設というのはある。しかし多くの場合、大人が管理している子どもの施設である。子どもが大人から離れて、自立的に持っている空間はない。
 【5】私の子どものころは、何をどうしようと大人たちからあれこれ言われないあそび場がたくさんあった。防空壕や空き地や裏山や、さまざまな所に子どもたちだけの秘密の場所を持っていた。大人も子どもに干渉するほど暇ではなく、忙しかった。
 【6】かつて、子どものころの秘密の場所とか秘密の小屋とか子どもだけの場所をアジトスペースと名づけて調査をしたことがある。ほとんどの大人は子どものころそういうものを持っていたし、集団でよくあそんだと答えた。【7】一五年ほど前、子どもたちに同じ質問をしたところ、一〇人に一人しか持っていなかった。特に、都市部の子どもたちは少なかった。横浜で一九八九年に調査したところ、子どもたちは全員そういう場所を持っていなかった。
 【8】かつては子どもだけの場所、言うなれば子どもの独立国が町や村のそこここにあったのである。昔、私たちはそこで自立心を学んだのだろう。ところが今、それらは大人たちによって滅ぼされ、植民地のようになっているのかもしれない。∵
 【9】今の子どもたちは自立心がない、独立心がない、と大人はよく言う。その心を育てる空間を自分たちが奪ってしまっていることを忘れている。子どもたちが自由な独立国をつくれるような、都市や環境のゆとりのある改造が必要だろう。
 【0】昔も今も、子どもたちは大人から干渉されない自由なあそび場を求めているはずだ。

(仙田(せんだ) 満(みつる)「子どもとあそび」より)