ヒイラギ2 の山 7 月 3 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

○自由な題名
○私の入っているクラブ

○暑い日の思い出
★わたしは四歳のときに(感)
 【1】わたしは四歳のときに小児マヒにかかった。幸い重症ではなかったが、それでも左足にマヒが残っているのでびっこを引いている。わたしを形成した最大の先生はこの足だと思っている。
 【2】そのため、さまざまなことを味わってきたが、わたしに限らず、身障者にとっていちばんの願いはできるなら自分が不具(身体が不自由なこと)であることを、相手が心の底から忘れてくれることである。ごくふつうの人間として扱ってくれることである。
 【3】いつだったか、わたしは電車のなかで青年から席を譲られたことがあった。かれは立上がるとわたしの顔を見ながら、はっきりした声で「おすわりなさい。あなた足が悪いんでしょう」といったのである。【4】かれの善意、親切はわかったが、わたしはその時、いささか憂うつであった。
 反対に一つの席をねらってお互いにダッシュする時がある。これは勝っても負けてもうれしいのである。相手はわたしを一人前の相手と認めているのだから。
 【5】群馬県の高崎に心身障害者のための国立コロニーができるということである。コロニーとは、いわば、障害のために、社会的・職業的に一人だちできない、そういう人間が日々を生きていくための村とでもいうべきものである。
 【6】今の社会の現状では、実際問題として、このようなコロニーはなくてはならないだろう。
 そのことは認めた上でのことなのだが、わたしにはひとつの気がかりがある。【7】それは、この種の構想が社会にとってあまり有用でないものをまとめて「隔離」する、というような気持とどこかで関係がなければいいが、ということである。
 それは、おそらくひねくれた見方であろう。【8】しかし、実際の生活のなかでそのような差別意識が生きていることもまた事実である。精神に障害のない肢体(手足または身体)不自由な者などの場合、そのような厄介者意識・差別意識と出会うことの苦悩はひとしお大きい。
 【9】たとえば社会復帰の不可能なもの、ということであるが、これ∵は要するにおカネを自分でかせいで自活できないもの、という意味であろう。そして確かに、現状では自分で働けないものは、家庭の世話になって生きるか、このような施設にはいるよりないのである。
 【0】しかし、では人間の価値というものは何であろう。今のわたしたちが生きている社会の基準では、それは、働いておかねがかせげるかどうか、役立つかどうかということにかかっているように思われる。だから、かりに、身障者のある人が非常にすぐれた知力を持っていたとしても、かれが、労働能力を持っていなければやはり厄介者であろう。
 わたしは正直いって、そういう事実を悲しく思う。人間として立派に一人前のものを持っているのに、これらの人々の場合には、それを認めるだけの余裕が社会の側にないのである。だから社会はかれらを施設へ収容しなければならない、またかれらも施設を避難港として考える、ということになるのであろう。
 労働能力や外見が事実上人間の価値をきめる――これは、この社会が物質的・精神的に貧しいことにほかならない。そして真に豊かな社会が来、あらゆる問題が解決するまで、ほんとうの解決はこないであろう。

(三木 卓(たく)の文章より)