a 長文 4.1週 ha2
 こうしてこれまでに人間は、平和のための備えをし、平和のためと称するしょう  戦争を始め、いつしかそれが人間から平和を奪ううば ただの戦争になっていた、という経験をしばしばしてきました。備えをすることが全く不要だとは言えないでしょうが、平和というものが相手のある問題、他者との関係である以上、備えさえあれば平和でいられるという単純たんじゅんなものではないことも、次第に明らかになってきたのです。
 加えて、平和についての思索しさくが進むにつれ、こういう別の問題も意識されるようになります。すなわち、戦争さえなければそれで平和と言えるか――。
 たとえば、多くの人々が極度の貧困ひんこんにさいなまれ、飢えう に苦しんでいるような社会は平和だろうか。また、人種や性による差別が根強く残り、女児の就学しゅうがく率が男児のそれよりもいちじるしく低いような社会は平和だろうか。あるいは、字が読めないばかりに十分な社会参加ができず、自分たちが不利益をこうむっていることさえ気づかない人がたくさんいる社会は平和か。そういう問題です。
 一九六〇年代も終わるころ、それらもまた暴力と呼ぶよ べきだ、と主張する学者が現れました。ノルウェーのヨハン・ガルトゥンクという人です。いま述べたさまざまな問題は、だれかが誰かだれ 殴っなぐ たり殺したりするという意味での暴力ではないが、みずから望んだわけではない不利益をこうむる人は確実にいるのだから、それもまた別のかたちの暴力と呼ぶよ べきだという考え方で、その種の「暴力」に「構造的暴力」という名前をつけました。これに対し、人を殴っなぐ たり殺したりするような種類の暴力を「直接的暴力」と呼びよ ます。
 「構造的」という言葉づかいはあまりなじみのないものかもしれませんが、おおよそ次のような意味です。たとえば、一つの社会の中で、一方には巨額きょがくの富を占めし 飽食ほうしょくしている人がいる。もう一方にはいくら働いても十分な収入しゅうにゅうが得られず、あるいは職さえも得られず、十分な食糧しょくりょうさえ得られない人がいる。それが当人たちの能力ややる気の問題ではなく、富の配分の仕組みが不適切であることの結果であるとしたなら、また、特定の人種や性が原因でなかば自動的に貧困ひんこん飢餓きがの中に閉じ込めと こ られているとしたなら
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―それは社会構造が原因で生み出されている暴力と呼ぶよ ほかないのではないか。富める人々が貧しい人々を殴りつけなぐ   飢えう させているのではなく、したがって加害者は特定できないが、社会構造の被害ひがい者はいるという意味での「暴力」なのではないか。
 この構造的暴力ろんは、それまでの平和ろんの見落としていた点を浮き彫りう ぼ にし、新たな地平を開くものでした。それまでは「戦争のないこと」が「平和」だとされていたのに対し、戦争がなくとも「平和ならざる状態」はある、という視点してん理論りろん化するものだったからです。その背後はいごには、平和とは何より社会正義の問題なのではないか、という問題意識があります。人間が自分の責任によらないことで差別され、排除はいじょされ、悲しみ、傷つくきず  のは平和とは言えないのではないか、という問題意識です。
 平和研究の課題は一挙に広がりました。戦争や武力紛争ふんそう軍拡ぐんかくが主題だった(少なくともそう信じられていた)のに対し、貧困ひんこんや開発や人権じんけんや平等といった、いわば非軍事的な社会問題に関心を広げていったのです。いまでも平和研究といいますと戦争や軍拡ぐんかくの研究ですねと言う方が少なくありませんが、けっしてそうではありません。それ以外の問題に対する関心も高く、その中にはジェンダーとか環境かんきょうとかいった、今日的な問題も含まふく れます。それは単に「研究対象を広げた」ということではありません。暴力の意味が変わり、平和の意味が変わったからそれらの問題が必然的に平和研究に入り込んはい こ できた、ということなのです。

(最上敏樹としき『いま平和とは』)
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a 長文 4.2週 ha2
 最近、しょ外国とくにアメリカとの貿易摩擦まさつが国民の大きな関心を集めている。第二次世界大戦の敗戦国としてほとんど無の状態から出発した我が国わ くにしょ産業が著しいいちじる  発展はってんをとげた結果、いまや経済けいざい大国として世界の注目を集めているのはまぎれもない事実である。ところが、日本と同じように、戦後めざましい経済けいざい発展はってんをとげた西ドイツも自動車産業をはじめ、世界のトップレベルの工業力を持つ、有数の黒字国であるが、我が国わ くにほどの貿易摩擦まさつをおこしているということはあまり聞かない。
 我が国わ くにの商社マンは、語学力に優れすぐ 、相手国の政治や経済けいざいに精通している有能な人ばかりである。彼らかれ の働きで、日本製品は、どんどん海外に進出できたわけである。しかし、商品を大量に売りさばいてさえいればはたして事足りるのであろうか。
 昨年の秋、わたしの友人の画家がニューヨークで個展こてんを開いた。ふとしたことがきっかけであちらの新聞記者と知り合いになって、話がとんとん進み、はるばるかの地での個展こてん実現の運びとなったのだという。帰国後のかれの話はわたしにはとても興味深かった。友人は当然のことながら美術に関する深い理解を持っているが、それに加えて能や歌舞伎かぶきなどの日本の古典芸能にもくわしく、かなりの知識を持っている。そのためにアメリカで実に多くの友人を得ることができたというのである。彼らかれ は日本の古典を愛し、日本人を通してその文化にふれることを熱心に望んでいるというのである。果たして、我が国わ くにの商社マン諸君しょくんはこういう外国人の期待にどの程度こたえてきたのだろうか。歌舞伎かぶきや能を熱心に鑑賞かんしょうし、何かを吸収きゅうしゅうしようと食い入るように舞台ぶたいを見つめている外国人をよく目にする。ところが、日本の若者わかものはおおむね我が国わ くにの古典芸術には関心がうすいように見受けられる。たとえば、俳句はいくはアメリカでは小学校の教科書にもとりいれられているのだが、日本の大学生は、ほとんど見向きもしない。音楽や、映画えいが演劇えんげきなどには、多くの若者わかものがかなりの興味を示すのだが、歌舞伎かぶきや能などにはそれほど関心をもたない。お茶や、お花を習っているといえば、ヘェーとびっくりされるぐらいのものである。
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 本居宣長のりながという江戸えど時代の学者がこんなことをいっている。我が国わ くに儒者じゅしゃ(中国の思想家孔子こうしの教えを学び、それを教える人)のうちには、日本のことを聞かれて知らないことは恥じは と思わず、中国のことを聞かれて知らないというのを大変恥ずかしくは    思って、ろくすっぽ知らないことまで知ったかぶりをする者がいる。かれはまさに日本人なのだから、日本のことをやらなくていいはずがない。もし中国の人に日本のことを何か聞かれて、自分はあなたの国のことはよく知っているけれど、日本のことはあまり知らないとは、まさかいえないだろう。もし、そんなことをいったら、自分の国のことすら知らない学者が、どうして外国のことを知ろうぞ、といって手を打ってひどく笑うだろう――。
 わたしたちは有能な商人であると共に、自国の伝統に深い理解を持った日本人でなければならないのである。そして外国人と友人どうしのつきあいができるようになれば、現在のような貿易摩擦まさつもかなり少なくなるのではないだろうか。優れすぐ た商社マン諸君しょくんのすべてが、同時にりっぱな日本文化の担い手にな てであってくれることを願うのである。
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a 長文 4.3週 ha2
 何年か前、中米奥地おくちの調査に出かけた研究チームの報告を読んだ中に、こんなことがありました。調査団は、必要な器機等の持物一式を持って行くためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には完璧かんぺきな日程表ができていた。そして初日から四日間はプログラムが予想以上によくはかどった。運搬うんぱん役のインディアンたちは屈強くっきょう従順じゅうじゅんで、日程どおりにことが進んだのだ。ところが五日目になって、彼らかれ は先へ行く足をぷっつり止めた。だまって全員で輪になり、地べたに座りこんすわ   で、もうてこでも動かない。調査団の人たちは賃金ちんぎんアップを提案したがだめだった。しかりつけたり、ついには武器まで持ち出しておどしたりしてみたが、インディアンたちは無言で車座くるまざになったまま動かない。学者たちはおてあげの状態で、とうとうあきらめた。日程には大幅おおはば遅れおく が生じた。と、とつぜん――二日後のことだった――インディアンたちは同時に全員が立ちあがった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。賃金ちんぎんアップの要求はなかった。調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口をとざしたままだった。ずっと後になって、はじめてひとりが答えをあかした。「はじめの歩みが速すぎたのでね。」という答えだった。「わたしらのたましいがあとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした。」この答えについて、わたしはよく考えこむことがあります。わたしたちは、外的な時間計画=日程をとどこおりなくこなしていきます。が、内的時間、たましいの時間にたいするこまやかな感情を、とっくに殺してしまいました。わたしたちの個々人にはもはや逃げ道に みちがありません。ひとりでワクをはずれるわけにはいきませんから。わたしたち自身がつくってしまったシステムは、厳しいきび  競争と殺人的な業績強制の経済けいざい原理です。これをともにしないものは落伍らくごします。昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに狂気きょうきと化した輪舞りんぶなのてす。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づけるわたしたちです。が、あわただしく走り続けるわたし
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ちは、はたしていかなるみなもとから遠ざかりゆくのでしょう。わたしたちのたましいからですって? そうわたしたちのたましいは、もうはるか以前に途上とじょうに置き捨てす られました。それにしてもたましいを捨て子す ごにしたことで、肉体が病んでいきます。だから病院は、ひとびとであふれています。
 もうひとつの答えもひとりのインディアンの女性の口から出ています。ある山の頂上ちょうじょう彼らかれ の村があった。その地方一帯には水源すいげんがたった一ヵ所かしょしかなくて、それは山のふもとの井戸いどだった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りは重い水がめをかたにして一時間、山をのぼって行く。あるとき、女たちのひとりにたずねた――いっそ村ごと、ふもとの水源すいげん近くに移したほうがかしこいのではないかね――。女の答えはこうだった。「かしこい、かもしれませんね。でも、そうしたらわたしたちは、快適さという誘惑ゆうわくに負けることになると思います。」
 快適であることがなぜ誘惑ゆうわく呼ばよ れるのか。わたしたちが手にした自動車、飛行機、電話、コンピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは快適な生活のためにつくられたはずです。これらのものはくらしを楽にします。ほねの折れる仕事からわたしたちを解放し、もっと本質的なことのための時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしょうか、わたしたちを解放するんでしょう? そうです、確かに――。ただ何から解放するのでしょう。ひょっとして、まさに本質的なことから、だとしたら、いったいどうなっているんでしょう。わたしには、あのふしぎな言葉を口にしたインディアンの女性のほうが、ほんとうはこのわたしたちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ、という思いがつきまとってはなれません。

(ミヒャエル・エンデの文章より)
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a 長文 4.4週 ha2
 最近の日本にはプロフェッショナルが少ないと思います。いつからか専門せんもん家というか、プロフェッショナルが敬遠けいえんされ始めた。なぜそうなったか分析ぶんせきはしていないけれど、結果としてアマチュアがもてはやされる国になってしまった。何のプロでもない者が、日常感覚でものをいうことが大変重要だというような、そんな価値かち観がはびこっています。
 たとえば審議しんぎ会などに参加しても、普通ふつうの人としかいいようのない委員が堂々と日常感覚の意見を述べる。その情報はいわゆるマスコミで取り上げられるような程度で、実際のところはどうなっているのか、そのデータを知らないのに、ある限られた情報げんに基づく日常感覚があたかもすべての判断の基準かのようなことを主張する。またそれがもっともなことのように、マスコミで取り上げられる。最近はそういうことを頻繁ひんぱんに見かけます。
 本来、そういう場は、さまざまな分野のプロフェッショナルの意見を聞くところでした。プロとはあることがらに関する事実がどうなっているのか、少なくともある条件下ではあるにしても、客観的なデータとして把握はあくしています。国というものは、プロフェッショナルが運営しなければ危険きけんきわまりない。もっとも、最近の政治家も大衆たいしゅう迎合げいごうするばかりですから、その程度のアマチュアの政治家が多いということですが。いまの我が国わ くには、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると思います。
 ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠こんきょがほとんどマスコミに出ている程度のことにある人のことです。自分の知っている範囲はんいのことをすべてだと思い込みおも こ 、あたかもそれが正論せいろんであるかのように、堂々としゃべる。そんな風潮ふうちょうが目につきすぎます。
 結局、そういう人たちには謙虚けんきょさがないということです。実際のところはよく知りませんが、わたしの知っている範囲はんいはこうだけど――といういい方をするのが当然なのに、そうではありません。これっぽっちの経験しかないのに、それを拡大かくだいして、人類一般いっぱん普遍ふへん的な話としてどうのこうのというような議論ぎろんまでするわけです。こういう状態を見ていると、この国はどうしようもない国になったなという感じがします。
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 プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートが少なくなったということかもしれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートという意味ではありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかもその座標軸ざひょうじくは古今東西の歴史から、芸術、哲学てつがくに通じ、科学に通じる、それがエリートです。このような広い時空スケールの中に自分の尺度しゃくどを持ち、したがってすべてのことが判断でき、行動できる。それがエリートです。
 秀才しゅうさい呼ばよ れ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆる秀才しゅうさいというのは所詮しょせん与えあた られた問題が解けるだけの人間です。解くべき問題がつくれない人が、多い。問題がつくれない人はエリートではありません。
 戦後教育は、あえてエリートをつくろうとしなかったともいえます。すべての子どもに、最初からがある、などという誤っあやま た前提に立ったために、教育と呼べるよ  ような教育をしてこなかったのではないでしょうか。だから、当然のことながらエリートは育たなかったのです。

松井まつい孝典たかのり『コトの本質』(講談社))
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a 長文 5.1週 ha2
 僕たちぼく  は人間として生きてゆく途中とちゅうで、子供こども子供こどもなりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。もちろん、それはだれにとっても、決して望ましいことではない。しかしこうして悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、僕たちぼく  は、本来人間がどういうものであるか、ということを知るんだ。
 心に感じる苦しみやいたさだけではない。からだにじかに感じるいたさや苦しさというものが、やはり、同じような意味をもっている。健康で、からだになんの故障こしょうも感じなければ、僕たちぼく  は、心臓しんぞうとか胃とか腸とか、いろいろな内臓ないぞうがからだの中にあって、平生大事な役割やくわりをつとめていてくれるのに、それをほとんど忘れわす 暮らしく  ている。ところが、からだに故障こしょうが出来て、動悸どうきがはげしくなるとか、おなかが痛みいた 出すとかすると、はじめて僕たちぼく  は、自分の内臓ないぞうのことを考え、からだに故障こしょうの出来たことを知る。からだに痛みいた を感じたり、苦しくなったりするのは故障こしょうが出来たからだけれど、逆に、僕たちぼく  がそれに気づくのは、苦痛くつうのおかげなのだ。
 苦痛くつうを感じ、それによってからだの故障こしょうを知るということは、からだが正常な状態にいないということを、苦痛くつう僕たちぼく  に知らせてくれるということだ。もし、からだに故障こしょうが出来ているのに、なんにも苦痛くつうがないとしたら、僕たちぼく  はそのことに気づかないで、場合によっては、命をも失ってしまうかも知れない。だからからだの痛みいた は、だれだって御免ごめんこうむりたいものに相違そういないけれど、この意味では、僕たちぼく  にとってありがたいもの、なくてはならないものなんだ。それによって僕たちぼく  は、自分のからだに故障こしょうの生じたことを知り、同時にまた、人間のからだが、本来どういう状態にあるのが本当か。そのこともはっきりと知る。
 同じように、心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちぼく  に知らせてくれるものだ。そして僕たちぼく  は、その苦痛くつうのおかげで、人間が本来ど
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ういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕らえると   ことが出来る。

吉野よしの源三郎げんざぶろう『君たちはどう生きるか』より)
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a 長文 5.2週 ha2
 個人が集まって社会を作りあげている。だから、個人をぬきにしては社会はなりたたないし、考えることもできないということにまちがいはありません。しかし、それは砂粒さりゅうが集まって砂山すなやまを作り、歯車やネジが集まって機械を作りあげているのと同じでしょうか。あるいは、動物や植物のからだが無数の細胞さいぼうからできあがっているのと同じなのでしょうか。個人とは、社会に対して、砂山すなやまを作っている一つぶすなや、機械の一部分である一つの歯車や、あるいは、生物のからだをつくっている一つの細胞さいぼうのようなものにすぎないのでしょうか。――いいえ、そこには、けっして同一に考えられない大きな大きなちがいがあるのです。
 砂粒さりゅうは喜ぶことも悲しむこともありません。歯車は自分から動くことはできず、ただ動かされるままに動くだけです。そして細胞さいぼうは生きてはいても、自分で考えたり自分で目的をさだめたりすることはありません。ところが、ひとりひとりの人間は、喜んだり悲しんだりする心の持ち主です。また、自分から動きだして、ほかのものを動かしてゆく力の持ち主です。自分の選んだ目的に向かって、自分の意志で行動してゆく能力の持ち主です。石もすなも、草も木も、人間以外のものはすべて、自分で自分のありかたや行動を選ぶことができないのに、ただ人間だけがそれをやれるのです。それが人間の自由というものであって、しかもひとりひとりの人間が、いや、ひとりひとりの人間だけが、この能力を持っているのです。――社会が個人の集まりからできているということは、ほかでもない、このような能力の持ち主の集まりだということです。そして、個人にくらべてどんなに大きくとも、社会がこの能力を持っているというのではありません。社会全体の動き、あの大波のようにゆれ動き、大河のように流れてゆく動きというものも、このような能力を持った個人個人の動きが、あるいはぶつかりあい、あるいは結びつき、あるいはからみあって生じてくるものなのです。

吉野よしの源三郎げんざぶろう『人間のとうとさを守ろう』より)
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a 長文 5.3週 ha2
 赤字その他の理由で姿すがたを消した鉄道線路は、これまで数多くあるが、わたしが夢の中でもいいからもう一度乗りたいと願っているものに岡山おかやま県の小私鉄してつ、西大寺鉄道がある。
 岡山おかやま市の有名な後楽園のそばから西へ向かって、お寺の門前町、西大寺まで、たった一一・四キロ。左右の線路の間隔かんかくは九一センチ四ミリという日本ではめずらしい狭軌きょうきである。明治十四年開業当時は西大寺軌道きどうと名乗っていたが、大正三年以来鉄道となり、戦後両備バス会社と合併がっぺい、昭和三十七年鉄道線が廃止はいしとなった。わたしが乗ったのは戦後のことで、もう蒸気じょうき機関車はいなくてディーゼル車であった。後楽園を出て間もなく、百けん川を横切るのだが、ここがおもしろいのだ。
 百けん川は岡山おかやま市内を流れる旭川あさひかわの放水路であって、ふだんは左右の堤防ていぼうにはさまれた広い河川敷かせんじきには水は全然流れていない。ほとんどが畑として利用されている。上流で大雨が降りふ 、市内に洪水こうずい危険きけんがせまったときだけ、こちらに水を流すのである。平常は何の役にも立たぬ余計者のように見え、非常の時だけその真価が認めみと られる。普通ふつう、鉄道が川を横切る時は、堤防ていぼうの高さまで上がり、橋で川を渡るわた 。JRの山陽本線も新幹線も、もちろんこのようにして百けん川を渡っわた ている。ところが西大寺鉄道はちがう。堤防ていぼうの一部を切りとり、河原にじかに線路をしいているのだ。
 めったに水の流れない川に橋をかけるのは、金のむだづかいである。非常の際には切りとった土手を頑丈がんじょうとびらでふさげばよい。線路の一部は流されるかもしれないが、水が引いた後またしき直せばよい。バカな、と笑う人もいよう。わたしも最初のうち、なんてみみっちい、と笑っていたが、次第に考えが変わってきた。
 鉄道建設は確かに人間のちえである科学技術による自然の征服せいふく、おさえこみである。技術が進めば進むほどそのおさえこみ方が強引になってきた。かつては自然の障害しょうがい物(例えば高い山や深い谷)があれば、線路の方がまわり道をしたり、坂で上り下りして――つまり、自然との妥協だきょうによって問題を解決していたのだが、それ
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で満足できなくなってきた。
 山があれば切り通しやトンネルで、谷があれば土手や橋を造ってごりおしに突進とっしんするのが技術の進歩、人知の自然に対する勝利と見なされる。明治以来新幹線に至るいた 鉄道の歴史がそれを物語っている。しかし、その勝利のかげでどれほどの自然が、生きもの(人間をふくむ)が犠牲ぎせいになってきたことか。
 わたしが西大寺鉄道に脱帽だつぼうしたのは、自然に対して実に合理的に、しかも謙虚けんきょに対応していたからだ。むだな金や力を使って自然の力をねじふせるのではなく、自然とうまく折り合いをつけ、だましだまし共存きょうぞんしようという姿勢しせいに対してである。

(小池しげる『西大寺鉄道の知恵ちえ』より)
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a 長文 5.4週 ha2
 メダカは長さが三、四センチしかない小さな魚で、わたしたちが子どものころはほんとうにどこにでもいました。あまりにありふれていたので、フナやコイなどとくらべると、子どもにとってあまり魅力みりょくのない、雑魚の代表のような魚でした。
 ところが、このメダカがなんと「絶滅ぜつめつ危惧きぐ種」として絶滅ぜつめつを心配されているというニュースが流れたのです。一九九九年のことです。子どものころ魚とりに熱中したことのある、わたしたちの世代にはとても信じられないことでした。減ったことは事実かもしれない、でもメダカにかぎって絶滅ぜつめつということは考えられない、というのが実感でした。しかし、これはどうやら信じなければならない事実のようです。じつに悲しいことです。その背景はいけいにはつぎのようなことがありました。
 かつて田んぼは用水路で水を引いていました。その用水路は田んぼとほぼ同じ高さにあり、微妙びみょうな高さの違いちが を利用して水の入り口と出口がつくられていました。ひとつの田んぼから出た水がとなりの田んぼに入る、という構造になっているものもありました。そのような用水路は地形に応じて曲がっており、深さも一定でないので、水の流れにも微妙びみょう違いちが があり、それに応じて違うちが 植物が生えていました。昔の子どもが夢中で魚とりをしたのは、このような用水路でした。秋になって田んぼから水が抜かぬ れても用水路には水が残っており、くぼみが「魚だまり」となって魚が生きていたのです。
 ところが、一九六〇年代からはじまった農業基本整備事業によって、自然の地形に応じてつくられていた田んぼに大きな変化が生じました。かつて人力で営々と築かれてきた田んぼは、大規模きぼな土木工事によって完全につくりかえられてしまったのです。田んぼの水が管理しやすいように、用水路はU字管というコンクリートの管にされました。断面の形がU字型なのでこう呼ばよ れます。U字管の機能は水田に水を運ぶことですから、それ以外のものは必要ありません。その結果、水を流すときは洪水こうずいのように大量の水が勢いよく流れます。
 魚が隠れるかく  ところもなければ、カエルがたまごを産むところもありません。用水路は田んぼから効率的に排水はいすいするために、水田との
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高さの差が大きくなるようにつくられました。このため、水を抜くぬ と田んぼは完全に干上がりひあ  ます。U字管には魚だまりはありませんから、土の中にもぐって生きるドジョウや小さなメダカも生き延びるい の  ことはできません。その結果、夏の「洪水こうずい」と冬の「砂漠さばく」がくりかえされることになります。これでは生きていける動物はいません。
 ところが、小動物に対する仕打ちはこれにとどまりませんでした。ちまちました小さな田んぼは農作業の効率が悪いことは確かです。そこで「暗渠排水あんきょはいすい」といって、田んぼの地中に管を埋めう 、水を集めて排水はいすいすることがすすめられたのです。こうすれば水路に使った土地も使えるし、細かなデコボコをなくすことができると考えたのです。こうなると動物には生活する場所がまったくなくなってしまいます。こうして、メダカに代表される無数の小さな生きものたちは、田んぼから姿すがたを消していったのです。
 日本の農業は稲作いなさくが中心ですが、それは米を巨大きょだいなポットのようなところで効率的につくることだけではありませんでした。毎日の営みの中で米づくりを中心におきながらも、家畜かちくを飼い、裏山うらやまから肥料となる枯れ葉か はを集め、ときどきドジョウやフナをとるなど、じつにさまざまな営みの中でおこなわれたものでした。また、田植えのときには若いわか 女性が晴れ着を着て早苗さなえを植え、近所の人が助けあって田植えや稲刈りいねか をするという社会の営みでもありました。そして先祖から引き継いひ つ だ土地に祈りいの をささげ、収穫しゅうかく物に感謝をささげるという心に支えられたものだったはずです。それは工場で米という名の製品をつくるのとはほど遠い営みでした。
 しかし、この土木工事はそのようなことをすべて無視むししたものでした。そのことの意味の深さをわたしたちは考えつづけなければならないと思います。

高槻たかつき成紀『野生動物と共存きょうぞんできるか――保全生態学入門』(岩波ジュニア新書))
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a 長文 6.1週 ha2
 「話に花が咲くさ 」とはだれがいちばん初めにいい出したのか知りませんが、なんといい形容だろうと思います。これがなければ、世の中の花のいくつかの種類が消失するようなものです。
 しかし、あらためて考えてみると、話に花を咲かせるさ   には、それなりの水やりならぬ気の配りが欠かせないように思えます。
 いつだったか、テレビで、俳優はいゆうのKさんを中心に、噺家はなしかさんやタレントさんが、ひとときの座談ざだんや歌を楽しむ、といった番組をみていたら、終わり近くなってKさんがこんなことを言ったのが印象に残りました。きょう、ぼくは都々逸どどいつ江戸えど時代にはやった歌)などいくつかやらしてもらったけど、ここにいるみんなは、たいていその文句を知っているものばかりだっただろう。しかし、初めて聞くような顔をして、聞き入ってくれ、拍手はくしゅをしてくれた。ありがとう、と。
 自分が知っていることというのは、なかなか自分のなかにしまっておけないものです。友人と会って、雑談のとき、仕入れたばかりのニュースを口にし、とくとくとして説明しようとしたら、相手はこちらよりもっとそのニュースにくわしかった、なんていうとき、全くがっかりした気分を味わうものです。
 知っていることというのは、とにかくだまっていられないものです。あるとき、つり好きの女性に出会ったことがあります。始めて三年目くらい、熱の入れ方がピークに達する時期です。わたしはもっと年季が入っている。そこで二人でつり談義がえんえんと続くことになった。かなり話がはずんだころ、その人がこんなことをいいました。「ほんと、つりの話をするときって、もう自分がしゃべりたくって、人の話なんて耳に入らないのよね。そうだ、こんどはあの話をしようって、てぐすねひいて待っているの。相手の話が終わるや否やいな 、待ってましたとばかり、ぱっと割りわ こんで、なんていうふうでしょう? あはは。」「あははは、ほんとにそうだね、それでぼく、いつだったか小笠原おがさわらの父島に行ったとき、カヌーに船外機を取りつけたやつで、オキザワラの引きつりをやったんだけど、サメがうようよいてね……」
 と、さっそく話をとったりしたのでした。
 話に花が咲くさ というより、花が咲きさ 競うという感じで。ですが、つり好き同士の話のときは、どうしても、そんなふうになる
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し、また逃がしに  た魚ばかりでなく、つり上げた魚の大きさも尾ひれお  がついて大きくなり、数もサバを読むことが、暗黙あんもく了解りょうかい事項じこうとなっているのを感じます。
 ここでまた、Kさんの話にもどるわけですが、話に花を咲かせるさ   ためには、それぞれが聞き上手にならなければなりません。話し上手というのは、聞き上手ということでもあります。ことばを変えていえば、思いやりです。思いやりというのは、わたしは、想像力の問題だと思っています。相手の立場に立ってみる、その想像力があるかないかでしょう。
 いつもいつも、自分が知っていることをロに出すなというのではありませんが、雑談に花が咲いさ ているときくらい、相手に花を持たせ、自分も持たせてもらう、それでこそ、お互い たが の言葉はお互い たが の心にとどくのだと思います。
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a 長文 6.2週 ha2
 本とはふしぎな王国だ。そこにはこの世のあらゆるものごとが生きながらにとじこめられている。
 本たちはおとなしい。白い紙の上につつましくくりひろげられた黒い文字の織りなすレース。そのとばりのかげに数々の驚異きょういをひそめながら、彼らかれ はあくまでも沈黙ちんもくのうちにやすろうている。ページをひらき、この文字という暗号を読み解かないかぎり、すべてはひっそりと眠っねむ たままだ。
 ときどきふっと、こんなふうに思うことがある。字というものをおぼえてこのかたこの年までに、本のなかで出会った人々の数ははたしてどれくらいだろうか、と。何百人、いや何千人にも及ぶおよ だろうか。その数は、もしかすると現実に生身のわたしが知り合った人の数をはるかに上回るかもしれない。わたしのまずしい行動半径ではおよそ考えられないような出会いも、本の王国では、たしかになしとげられたのであるから。
 現実の人間がそうであるように、本のなかの人々も、会ったひとすべてがそのまま友達になれるわけではない。会うそばからわすれてしまうこともあり、目のまえをただ通りすぎていっただけでそれっきり思い出さない場合もあるだろう。
 それでも、長年のうちには、そうした本のなかの住人のいく人かと、生身の友人にもまさるとも劣らおと ぬ友情をむすぶことができた。一目ぼれでぞっこんまいってしまった相手もあれば、はじめは反発しながらも奇妙きみょうに心にこびりついて、いつしか忘れわす られない人物になっていった人もある。
 本がもたらしてくれた友人は、何も作中人物ばかりとはかぎらない。たいていの本にはその生みの親である作者がいて、その人々との交流もまた楽しいものだ。作品自体はそれほど成功していなくても、また文学書以外の実用書や科学書でも、それを書かずにいられなかった作者や著者ちょしゃのよろこびや痛みいた 、その一さつにたくした夢や、時にはその人間的弱味までが生き生きと、たくまずして伝わってきて、思いがけない親しみのきっかけになったりもする。
 本のなかの子供こども――。作者という存在そんざいを考えるとき、本のなかの人々はすべてその作者の血をわけた生みの子であり、また本そのものが彼らかれ 子供こどもだということもできよう。

(矢川澄子すみこの文章より)
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a 長文 6.3週 ha2
 わたしたちは、日本も外国もみんなおなじようだと思いがちです。そこで、治水のためにはダムを作り、雨をためこみ、そして洪水こうずいをなくそうと考えるでしょう。そういう考えによって、エジプトを流れるナイル川をせきとめ、年々の洪水こうずいをとめて、下流の農業地域ちいきに水利をきりひらき、肥沃ひよくな農村にしようという計画が生まれました。
 ダムには発電所を作り、電気をおこして肥料会社をつくる。その肥料で農地を豊かにしよう。こういう計画がナイルの川をせきとめてつくったアスワン・ハイ・ダムです。
 しかし、これと同じような計画が、すでに、一九〇二年にアスワン・ロー・ダムとしてイギリスによっておこなわれていたのです。規模きぼは小さいのです。しかし、それによって、年々のナイルの洪水こうずいはとまったかに思えました。だが、その結果なにがおこったでしょう。
 エジプトは、非常に暑い熱帯地域ちいきにある国です。そこは、暑さゆえに、たえず地中の水が蒸発じょうはつしていく土地なのです。そういう土地では、塩分が地表にどんどんすいあげられていきます。
 エジプトでは、洪水こうずいがなくなったために、塩分が、どんどん地表に集まりだしたのです。昔ならば、一年一度の洪水こうずいが、この塩をとかして流してくれました。それがなくなったのです。その結果、塩が地表にたまってしまいます。加えて、洪水こうずいのために上流から流れてきた有機物――あのアフリカの密林みつりんから流れでる豊富な有機質が昔は洪水こうずいとともに畑にまかれ、肥料となったものが流れてこなくなってしまったのです。
 こうして、有機質をたくさん必要とする熱帯のはげしい自然条件のもとでは、有機質が急速に不足しだして、作物の収穫しゅうかくはへりだしました。
 おまけに塩分の問題です。この結果、五、六年たつと、畑の収穫しゅうかく量は落ちだし、十年ののちには、畑をすててよそに逃げるに  ということがおこったのです。このためエジプトの砂漠さばくは逆に拡大かくだいしてしまいました。
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 豊かな農地をつくろう、洪水こうずいから農民をまもろうという温帯の人の親切な心が、じつはエジプトの農民から農地をうばったのです。
 風土の違いちが 、それを無視むしして自分たちも相手も同じだという具合に考えると、こうしたことがおきてしまうのです。日本は、外国との仕事上のつきあいがますます多くなりました。みなさんが大きくなる時代には、さらに盛んさか になるでしょう。そうしたとき、自分たちの国の通念で相手を割りわ きって考えると、このエジプトのダムのように、思わぬあやまちをおかしてしまいます。その意味では、わたしたちの時代より、皆さんみな  の生きる時代のほうが、むずかしいということができます。

伊東いとう光晴『君たちの生きる社会』より)
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a 長文 6.4週 ha2
 小学生のとき、夢中になって『ファーブル昆虫こんちゅう記』を読んだ。理科よりも国語、算数よりも社会が好きだったわたしは、はじめこの本のタイトルを見て、敬遠けいえんしていた。
 「おもしろいわよ。たまには、こういうのも読んでみたら?」
 物語にばかり偏るかたよ わたしに、勧めすす てくれたのは母だった。
 朝顔の観察とか、ありの巣づくりを調べるとかいうことは、好きなほうではなかった。たぶん、そんなようなことが、たくさん書いてある本だろうと思っていた。そして実際に読んでみると、たしかに内容は、そんなようなことである。にもかかわらず、ぐいぐい引き込まひ こ れていった。勧めすす た母親のほうがあきれるくらい、ても覚めても『ファーブル昆虫こんちゅう記』、という感じだった。
 それでは、わたしはファーブルによって、昆虫こんちゅうへの理科的な興味を開眼させられた、といっていいだろうか?
 ちょっと違うちが ような気がする。それまで夢中になった本と同じように、わたしはそこに「物語」を読んでいたのだ。
 登場する昆虫こんちゅうたちは、ユニークで頭がよくて愛嬌あいきょうのある主人公。彼らかれ のくりひろげる「生きる」という物語にすっかり魅せみ られてしまった。
 『ファーブル昆虫こんちゅう記』の素晴らしさは、ここにあるのだと思う。自然のなかに隠さかく れている、楽しくて不思議でときには厳しいきび  物語の数々を、現在進行形でファーブルとともに発見してゆく喜び。『オズの魔法使いまほうつか 』や『不思議の国のアリス』を読んでいるときにも似たような興奮こうふんが、そこにはあった。
 なかでも印象に残っておもしろかったのは「ふんころがし」すなわち「オオタマオシコガネ」の章である。今回あらためて読みかえしてみて、この虫を描くえが ときのファーブルの筆には、ひときわ愛情がこもっているように感じられた。子ども心にもそれが伝わったのだろうか。
 自然の恵みめぐ を受けることと、自然と戦うことが、表裏一体ひょうりいったいとなって紡がつむ れるドラマ。西洋ナシの形をしたお団子のなかで生きる
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幼虫ようちゅうの話は、何度読んでも飽きあ ないものである。虫の持つ知恵ちえへの驚きおどろ も、もっとも大きい章だった。
 ところで、昆虫こんちゅうというと、最近ちょっと気になる報道があった。
 昆虫こんちゅう採集は自然破壊はかいにつながるのでやめようという意見があるという。子どもにも自然を大切にする心を教えなければ、と。
 一瞬いっしゅん、なるほどと思いかけて、いやいや待てよ、と思った。せみを採ったり甲虫かぶとむしをつかまえることは、自然と親しむことにこそなれ、自然を破壊はかいすることにはならないのではないだろうか。むしろ、そういう体験をすることなしに大人になってしまうことのほうが、こわいような気がする。
 貴重きちょうな高山植物やちん種のちょうを採ることはもちろん規制されてしかるべきだろう。が、そういう特殊とくしゅな例を除けのぞ ば、昆虫こんちゅう採集の禁止は、それこそ近視眼きんしがん的な発想ではないかと思う。子どもが採集するぐらいで、せみ昆虫こんちゅう絶滅ぜつめつしたりはしない。山を切り崩しき くず たり、ゴルフ場を造ったりするほうがよっぽど虫たちを脅かすおびや  ことになるだろう。
 そんな愚行ぐこうから虫たちを守ろうと、将来しょうらい発想することができるのは、どんな育ちかたをした子どもだろうか。せみ甲虫かぶとむしも見たことがない、というのでは、はなはだ心もとない。
 ファーブルも、さまざまな実験の途中とちゅうでは、多くの虫たちを死なせてしまっている。せみをフライにして食べちゃったりもする。が、ファーブルが心から虫を愛していた人であることはいうまでもない。昆虫こんちゅう採集禁止をとなえる人は、ファーブルの行為こういもまた残酷ざんこくだというのだろうか。
 愛情は、なにもないところからは生まれない。まず「知る」ことが、愛情のめばえのスタートだ。

(俵万智まち「二十一世紀の子どもたちへ」(『世界文学の玉手箱四 昆虫こんちゅう記 下』(解説)(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ所収しょしゅう)より)
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