長文 4.1週
1. 【1】こうしてこれまでに人間は、平和のための備えをし、平和のためと
称する戦争を始め、いつしかそれが人間から平和を
奪うただの戦争になっていた、という経験をしばしばしてきました。【2】備えをすることが全く不要だとは言えないでしょうが、平和というものが相手のある問題、他者との関係である以上、備えさえあれば平和でいられるという
単純なものではないことも、次第に明らかになってきたのです。
2. 【3】加えて、平和についての
思索が進むにつれ、こういう別の問題も意識されるようになります。すなわち、戦争さえなければそれで平和と言えるか――。
3. たとえば、多くの人々が極度の
貧困にさいなまれ、
飢えに苦しんでいるような社会は平和だろうか。【4】また、人種や性による差別が根強く残り、女児の
就学率が男児のそれよりもいちじるしく低いような社会は平和だろうか。あるいは、字が読めないばかりに十分な社会参加ができず、自分たちが不利益をこうむっていることさえ気づかない人がたくさんいる社会は平和か。そういう問題です。
4. 【5】一九六〇年代も終わる
頃、それらもまた暴力と
呼ぶべきだ、と主張する学者が現れました。ノルウェーのヨハン・ガルトゥンクという人です。【6】いま述べたさまざまな問題は、
誰かが
誰かを
殴ったり殺したりするという意味での暴力ではないが、みずから望んだわけではない不利益をこうむる人は確実にいるのだから、それもまた別のかたちの暴力と
呼ぶべきだという考え方で、その種の「暴力」に「構造的暴力」という名前をつけました。【7】これに対し、人を
殴ったり殺したりするような種類の暴力を「直接的暴力」と
呼びます。
5. 「構造的」という言葉づかいはあまりなじみのないものかもしれませんが、おおよそ次のような意味です。たとえば、一つの社会の中で、一方には
巨額の富を
占め、
飽食している人がいる。【8】もう一方にはいくら働いても十分な
収入が得られず、あるいは職さえも得られず、十分な
食糧さえ得られない人がいる。それが当人たちの能力ややる気の問題ではなく、富の配分の仕組みが不適切であることの結果であるとしたなら、また、特定の人種や性が原因でなかば自動的に
貧困や
飢餓の中に
閉じ込められているとしたなら【9】―∵―それは社会構造が原因で生み出されている暴力と
呼ぶほかないのではないか。富める人々が貧しい人々を
殴りつけて
飢えさせているのではなく、したがって加害者は特定できないが、社会構造の
被害者はいるという意味での「暴力」なのではないか。【0】
6. この構造的暴力
論は、それまでの平和
論の見落としていた点を
浮き彫りにし、新たな地平を開くものでした。それまでは「戦争のないこと」が「平和」だとされていたのに対し、戦争がなくとも「平和ならざる状態」はある、という
視点を
理論化するものだったからです。その
背後には、平和とは何より社会正義の問題なのではないか、という問題意識があります。人間が自分の責任によらないことで差別され、
排除され、悲しみ、
傷つくのは平和とは言えないのではないか、という問題意識です。
7. 平和研究の課題は一挙に広がりました。戦争や武力
紛争や
軍拡が主題だった(少なくともそう信じられていた)のに対し、
貧困や開発や
人権や平等といった、いわば非軍事的な社会問題に関心を広げていったのです。いまでも平和研究といいますと戦争や
軍拡の研究ですねと言う方が少なくありませんが、けっしてそうではありません。それ以外の問題に対する関心も高く、その中にはジェンダーとか
環境とかいった、今日的な問題も
含まれます。それは単に「研究対象を広げた」ということではありません。暴力の意味が変わり、平和の意味が変わったからそれらの問題が必然的に平和研究に
入り込んできた、ということなのです。
8.(最上
敏樹『いま平和とは』)
長文 4.2週
1. 【1】最近、
諸外国とくにアメリカとの貿易
摩擦が国民の大きな関心を集めている。第二次世界大戦の敗戦国としてほとんど無の状態から出発した
我が国の
諸産業が
著しい発展をとげた結果、いまや
経済大国として世界の注目を集めているのはまぎれもない事実である。【2】ところが、日本と同じように、戦後めざましい
経済発展をとげた西ドイツも自動車産業をはじめ、世界のトップレベルの工業力を持つ、有数の黒字国であるが、
我が国ほどの貿易
摩擦をおこしているということはあまり聞かない。
2. 【3】
我が国の商社マンは、語学力に
優れ、相手国の政治や
経済に精通している有能な人ばかりである。
彼らの働きで、日本製品は、どんどん海外に進出できたわけである。しかし、商品を大量に売りさばいてさえいればはたして事足りるのであろうか。
3. 【4】昨年の秋、
私の友人の画家がニューヨークで
個展を開いた。ふとしたことがきっかけであちらの新聞記者と知り合いになって、話がとんとん進み、はるばるかの地での
個展実現の運びとなったのだという。帰国後の
彼の話は
私にはとても興味深かった。【5】友人は当然のことながら美術に関する深い理解を持っているが、それに加えて能や
歌舞伎などの日本の古典芸能にもくわしく、かなりの知識を持っている。そのためにアメリカで実に多くの友人を得ることができたというのである。【6】
彼らは日本の古典を愛し、日本人を通してその文化にふれることを熱心に望んでいるというのである。果たして、
我が国の商社マン
諸君はこういう外国人の期待にどの程度こたえてきたのだろうか。
歌舞伎や能を熱心に
鑑賞し、何かを
吸収しようと食い入るように
舞台を見つめている外国人をよく目にする。【7】ところが、日本の
若者はおおむね
我が国の古典芸術には関心がうすいように見受けられる。たとえば、
俳句はアメリカでは小学校の教科書にもとりいれられているのだが、日本の大学生は、ほとんど見向きもしない。【8】音楽や、
映画、
演劇などには、多くの
若者がかなりの興味を示すのだが、
歌舞伎や能などにはそれほど関心をもたない。お茶や、お花を習っているといえば、ヘェーとびっくりされるぐらいのものである。∵
4. 本居
宣長という
江戸時代の学者がこんなことをいっている。【9】
我が国の
儒者(中国の思想家
孔子の教えを学び、それを教える人)のうちには、日本のことを聞かれて知らないことは
恥じと思わず、中国のことを聞かれて知らないというのを大変
恥ずかしく思って、ろくすっぽ知らないことまで知ったかぶりをする者がいる。【0】
彼はまさに日本人なのだから、日本のことをやらなくていいはずがない。もし中国の人に日本のことを何か聞かれて、自分はあなたの国のことはよく知っているけれど、日本のことはあまり知らないとは、まさかいえないだろう。もし、そんなことをいったら、自分の国のことすら知らない学者が、どうして外国のことを知ろうぞ、といって手を打ってひどく笑うだろう――。
5.
私たちは有能な商人であると共に、自国の伝統に深い理解を持った日本人でなければならないのである。そして外国人と友人どうしのつきあいができるようになれば、現在のような貿易
摩擦もかなり少なくなるのではないだろうか。
優れた商社マン
諸君のすべてが、同時にりっぱな日本文化の
担い手であってくれることを願うのである。
長文 4.3週
1. 【1】何年か前、中米
奥地の調査に出かけた研究チームの報告を読んだ中に、こんなことがありました。調査団は、必要な器機等の持物一式を持って行くためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には
完璧な日程表ができていた。【2】そして初日から四日間はプログラムが予想以上によくはかどった。
運搬役のインディアンたちは
屈強で
従順で、日程どおりにことが進んだのだ。ところが五日目になって、
彼らは先へ行く足をぷっつり止めた。【3】だまって全員で輪になり、地べたに
座りこんで、もうてこでも動かない。調査団の人たちは
賃金アップを提案したがだめだった。しかりつけたり、ついには武器まで持ち出しておどしたりしてみたが、インディアンたちは無言で
車座になったまま動かない。【4】学者たちはおてあげの状態で、とうとうあきらめた。日程には
大幅な
遅れが生じた。と、とつぜん――二日後のことだった――インディアンたちは同時に全員が立ちあがった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。
賃金アップの要求はなかった。【5】調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口をとざしたままだった。ずっと後になって、はじめてひとりが答えをあかした。【6】「はじめの歩みが速すぎたのでね。」という答えだった。「わたしらのたましいがあとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした。」この答えについて、
私はよく考えこむことがあります。
私たちは、外的な時間計画=日程をとどこおりなくこなしていきます。【7】が、内的時間、たましいの時間にたいするこまやかな感情を、とっくに殺してしまいました。
私たちの個々人にはもはや
逃げ道がありません。ひとりでワクをはずれるわけにはいきませんから。
私たち自身がつくってしまったシステムは、
厳しい競争と殺人的な業績強制の
経済原理です。【8】これをともにしないものは
落伍します。昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに
狂気と化した
輪舞なのてす。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づける
私たちです。【9】が、あわただしく走り続ける
私た∵ちは、はたしていかなる
源から遠ざかりゆくのでしょう。
私たちのたましいからですって? そう
私たちのたましいは、もうはるか以前に
途上に置き
捨てられました。それにしてもたましいを
捨て子にしたことで、肉体が病んでいきます。【0】だから病院は、ひとびとであふれています。
2. もうひとつの答えもひとりのインディアンの女性の口から出ています。ある山の
頂上に
彼らの村があった。その地方一帯には
水源がたった一
ヵ所しかなくて、それは山のふもとの
井戸だった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りは重い水がめを
肩にして一時間、山をのぼって行く。あるとき、女たちのひとりにたずねた――いっそ村ごと、ふもとの
水源近くに移したほうがかしこいのではないかね――。女の答えはこうだった。「かしこい、かもしれませんね。でも、そうしたら
私たちは、快適さという
誘惑に負けることになると思います。」
3. 快適であることがなぜ
誘惑と
呼ばれるのか。
私たちが手にした自動車、飛行機、電話、コンピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは快適な生活のためにつくられたはずです。これらのものはくらしを楽にします。
骨の折れる仕事から
私たちを解放し、もっと本質的なことのための時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしょうか、
私たちを解放するんでしょう? そうです、確かに――。ただ何から解放するのでしょう。ひょっとして、まさに本質的なことから、だとしたら、いったいどうなっているんでしょう。
私には、あのふしぎな言葉を口にしたインディアンの女性のほうが、ほんとうはこの
私たちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ、という思いがつきまとってはなれません。
4.(ミヒャエル・エンデの文章より)
長文 4.4週
1. 【1】最近の日本にはプロフェッショナルが少ないと思います。いつからか
専門家というか、プロフェッショナルが
敬遠され始めた。なぜそうなったか
分析はしていないけれど、結果としてアマチュアがもてはやされる国になってしまった。【2】何のプロでもない者が、日常感覚でものをいうことが大変重要だというような、そんな
価値観がはびこっています。
2. たとえば
審議会などに参加しても、
普通の人としかいいようのない委員が堂々と日常感覚の意見を述べる。【3】その情報はいわゆるマスコミで取り上げられるような程度で、実際のところはどうなっているのか、そのデータを知らないのに、ある限られた情報
源に基づく日常感覚があたかもすべての判断の基準かのようなことを主張する。【4】またそれがもっともなことのように、マスコミで取り上げられる。最近はそういうことを
頻繁に見かけます。
3. 本来、そういう場は、さまざまな分野のプロフェッショナルの意見を聞くところでした。【5】プロとはあることがらに関する事実がどうなっているのか、少なくともある条件下ではあるにしても、客観的なデータとして
把握しています。国というものは、プロフェッショナルが運営しなければ
危険きわまりない。【6】もっとも、最近の政治家も
大衆に
迎合するばかりですから、その程度のアマチュアの政治家が多いということですが。いまの
我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると思います。
4. 【7】ここでいうアマチュアとは、その主張の
根拠がほとんどマスコミに出ている程度のことにある人のことです。自分の知っている
範囲のことをすべてだと
思い込み、あたかもそれが
正論であるかのように、堂々としゃべる。そんな
風潮が目につきすぎます。
5. 【8】結局、そういう人たちには
謙虚さがないということです。実際のところはよく知りませんが、
私の知っている
範囲はこうだけど――といういい方をするのが当然なのに、そうではありません。これっぽっちの経験しかないのに、それを
拡大して、人類
一般の
普遍的な話としてどうのこうのというような
議論までするわけです。【9】こういう状態を見ていると、この国はどうしようもない国になったなという感じがします。∵
6. プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートが少なくなったということかもしれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートという意味ではありません。【0】自分の頭できちっと考えることができる、しかもその
座標軸は古今東西の歴史から、芸術、
哲学に通じ、科学に通じる、それがエリートです。このような広い時空スケールの中に自分の
尺度を持ち、したがってすべてのことが判断でき、行動できる。それがエリートです。
7.
秀才と
呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆる
秀才というのは
所詮、
与えられた問題が解けるだけの人間です。解くべき問題がつくれない人が、多い。問題がつくれない人はエリートではありません。
8. 戦後教育は、あえてエリートをつくろうとしなかったともいえます。すべての子どもに、最初から
我がある、などという
誤った前提に立ったために、教育と
呼べるような教育をしてこなかったのではないでしょうか。だから、当然のことながらエリートは育たなかったのです。
9.(
松井孝典『コトの本質』(講談社))
長文 5.1週
1. 【1】
僕たちは人間として生きてゆく
途中で、
子供は
子供なりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。もちろん、それは
誰にとっても、決して望ましいことではない。【2】しかしこうして悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、
僕たちは、本来人間がどういうものであるか、ということを知るんだ。
2. 心に感じる苦しみや
痛さだけではない。【3】からだにじかに感じる
痛さや苦しさというものが、やはり、同じような意味をもっている。健康で、からだになんの
故障も感じなければ、
僕たちは、
心臓とか胃とか腸とか、いろいろな
内臓がからだの中にあって、平生大事な
役割をつとめていてくれるのに、それをほとんど
忘れて
暮らしている。【4】ところが、からだに
故障が出来て、
動悸がはげしくなるとか、おなかが
痛み出すとかすると、はじめて
僕たちは、自分の
内臓のことを考え、からだに
故障の出来たことを知る。【5】からだに
痛みを感じたり、苦しくなったりするのは
故障が出来たからだけれど、逆に、
僕たちがそれに気づくのは、
苦痛のおかげなのだ。
3. 【6】
苦痛を感じ、それによってからだの
故障を知るということは、からだが正常な状態にいないということを、
苦痛が
僕たちに知らせてくれるということだ。【7】もし、からだに
故障が出来ているのに、なんにも
苦痛がないとしたら、
僕たちはそのことに気づかないで、場合によっては、命をも失ってしまうかも知れない。だからからだの
痛みは、
誰だって
御免こうむりたいものに
相違ないけれど、この意味では、
僕たちにとってありがたいもの、なくてはならないものなんだ。【8】それによって
僕たちは、自分のからだに
故障の生じたことを知り、同時にまた、人間のからだが、本来どういう状態にあるのが本当か。そのこともはっきりと知る。
4. 【9】同じように、心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを
僕たちに知らせてくれるものだ。そして
僕たちは、その
苦痛のおかげで、人間が本来ど∵ういうものであるべきかということを、しっかりと心に
捕らえることが出来る。【0】
5.(
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』より)
長文 5.2週
1. 【1】個人が集まって社会を作りあげている。だから、個人をぬきにしては社会はなりたたないし、考えることもできないということにまちがいはありません。【2】しかし、それは
砂粒が集まって
砂山を作り、歯車やネジが集まって機械を作りあげているのと同じでしょうか。あるいは、動物や植物のからだが無数の
細胞からできあがっているのと同じなのでしょうか。【3】個人とは、社会に対して、
砂山を作っている一
粒の
砂や、機械の一部分である一つの歯車や、あるいは、生物のからだをつくっている一つの
細胞のようなものにすぎないのでしょうか。――いいえ、そこには、けっして同一に考えられない大きな大きなちがいがあるのです。
2. 【4】
砂粒は喜ぶことも悲しむこともありません。歯車は自分から動くことはできず、ただ動かされるままに動くだけです。そして
細胞は生きてはいても、自分で考えたり自分で目的をさだめたりすることはありません。【5】ところが、ひとりひとりの人間は、喜んだり悲しんだりする心の持ち主です。また、自分から動きだして、ほかのものを動かしてゆく力の持ち主です。【6】自分の選んだ目的に向かって、自分の意志で行動してゆく能力の持ち主です。石も
砂も、草も木も、人間以外のものはすべて、自分で自分のありかたや行動を選ぶことができないのに、ただ人間だけがそれをやれるのです。【7】それが人間の自由というものであって、しかもひとりひとりの人間が、いや、ひとりひとりの人間だけが、この能力を持っているのです。【8】――社会が個人の集まりからできているということは、ほかでもない、このような能力の持ち主の集まりだということです。そして、個人にくらべてどんなに大きくとも、社会がこの能力を持っているというのではありません。【9】社会全体の動き、あの大波のようにゆれ動き、大河のように流れてゆく動きというものも、このような能力を持った個人個人の動きが、あるいはぶつかりあい、あるいは結びつき、あるいはからみあって生じてくるものなのです。【0】
3.(
吉野源三郎『人間の
尊さを守ろう』より)
長文 5.3週
1. 【1】赤字その他の理由で
姿を消した鉄道線路は、これまで数多くあるが、
私が夢の中でもいいからもう一度乗りたいと願っているものに
岡山県の小
私鉄、西大寺鉄道がある。
2.
岡山市の有名な後楽園のそばから西へ向かって、お寺の門前町、西大寺まで、たった一一・四キロ。【2】左右の線路の
間隔は九一センチ四ミリという日本ではめずらしい
狭軌である。明治十四年開業当時は西大寺
軌道と名乗っていたが、大正三年以来鉄道となり、戦後両備バス会社と
合併、昭和三十七年鉄道線が
廃止となった。【3】
私が乗ったのは戦後のことで、もう
蒸気機関車はいなくてディーゼル車であった。後楽園を出て間もなく、百けん川を横切るのだが、ここがおもしろいのだ。
3. 百けん川は
岡山市内を流れる
旭川の放水路であって、ふだんは左右の
堤防にはさまれた広い
河川敷には水は全然流れていない。【4】ほとんどが畑として利用されている。上流で大雨が
降り、市内に
洪水の
危険がせまったときだけ、こちらに水を流すのである。平常は何の役にも立たぬ余計者のように見え、非常の時だけその真価が
認められる。【5】
普通、鉄道が川を横切る時は、
堤防の高さまで上がり、橋で川を
渡る。JRの山陽本線も新幹線も、もちろんこのようにして百けん川を
渡っている。ところが西大寺鉄道はちがう。
堤防の一部を切りとり、河原にじかに線路をしいているのだ。
4. 【6】めったに水の流れない川に橋をかけるのは、金のむだづかいである。非常の際には切りとった土手を
頑丈な
扉でふさげばよい。線路の一部は流されるかもしれないが、水が引いた後またしき直せばよい。バカな、と笑う人もいよう。【7】
私も最初のうち、なんてみみっちい、と笑っていたが、次第に考えが変わってきた。
5. 鉄道建設は確かに人間のちえである科学技術による自然の
征服、おさえこみである。技術が進めば進むほどそのおさえこみ方が強引になってきた。【8】かつては自然の
障害物(例えば高い山や深い谷)があれば、線路の方がまわり道をしたり、坂で上り下りして――つまり、自然との
妥協によって問題を解決していたのだが、それ∵で満足できなくなってきた。
6. 【9】山があれば切り通しやトンネルで、谷があれば土手や橋を造ってごりおしに
突進するのが技術の進歩、人知の自然に対する勝利と見なされる。明治以来新幹線に
至る鉄道の歴史がそれを物語っている。しかし、その勝利のかげでどれほどの自然が、生きもの(人間をふくむ)が
犠牲になってきたことか。【0】
7.
私が西大寺鉄道に
脱帽したのは、自然に対して実に合理的に、しかも
謙虚に対応していたからだ。むだな金や力を使って自然の力をねじふせるのではなく、自然とうまく折り合いをつけ、だましだまし
共存しようという
姿勢に対してである。
8.(小池
滋『西大寺鉄道の
知恵』より)
長文 5.4週
1. 【1】メダカは長さが三、四センチしかない小さな魚で、
私たちが子どものころはほんとうにどこにでもいました。あまりにありふれていたので、フナやコイなどとくらべると、子どもにとってあまり
魅力のない、雑魚の代表のような魚でした。
2. 【2】ところが、このメダカがなんと「
絶滅危惧種」として
絶滅を心配されているというニュースが流れたのです。一九九九年のことです。子どものころ魚とりに熱中したことのある、
私たちの世代にはとても信じられないことでした。【3】減ったことは事実かもしれない、でもメダカにかぎって
絶滅ということは考えられない、というのが実感でした。しかし、これはどうやら信じなければならない事実のようです。じつに悲しいことです。その
背景にはつぎのようなことがありました。
3. 【4】かつて田んぼは用水路で水を引いていました。その用水路は田んぼとほぼ同じ高さにあり、
微妙な高さの
違いを利用して水の入り口と出口がつくられていました。ひとつの田んぼから出た水がとなりの田んぼに入る、という構造になっているものもありました。【5】そのような用水路は地形に応じて曲がっており、深さも一定でないので、水の流れにも
微妙に
違いがあり、それに応じて
違う植物が生えていました。昔の子どもが夢中で魚とりをしたのは、このような用水路でした。【6】秋になって田んぼから水が
抜かれても用水路には水が残っており、くぼみが「魚だまり」となって魚が生きていたのです。
4. ところが、一九六〇年代からはじまった農業基本整備事業によって、自然の地形に応じてつくられていた田んぼに大きな変化が生じました。【7】かつて人力で営々と築かれてきた田んぼは、大
規模な土木工事によって完全につくりかえられてしまったのです。田んぼの水が管理しやすいように、用水路はU字管というコンクリートの管にされました。断面の形がU字型なのでこう
呼ばれます。【8】U字管の機能は水田に水を運ぶことですから、それ以外のものは必要ありません。その結果、水を流すときは
洪水のように大量の水が勢いよく流れます。
5. 魚が
隠れるところもなければ、カエルが
卵を産むところもありません。【9】用水路は田んぼから効率的に
排水するために、水田との∵高さの差が大きくなるようにつくられました。このため、水を
抜くと田んぼは完全に
干上がります。U字管には魚だまりはありませんから、土の中にもぐって生きるドジョウや小さなメダカも
生き延びることはできません。【0】その結果、夏の「
洪水」と冬の「
砂漠」がくりかえされることになります。これでは生きていける動物はいません。
6. ところが、小動物に対する仕打ちはこれにとどまりませんでした。ちまちました小さな田んぼは農作業の効率が悪いことは確かです。そこで「
暗渠排水」といって、田んぼの地中に管を
埋め、水を集めて
排水することがすすめられたのです。こうすれば水路に使った土地も使えるし、細かなデコボコをなくすことができると考えたのです。こうなると動物には生活する場所がまったくなくなってしまいます。こうして、メダカに代表される無数の小さな生きものたちは、田んぼから
姿を消していったのです。
7. 日本の農業は
稲作が中心ですが、それは米を
巨大なポットのようなところで効率的につくることだけではありませんでした。毎日の営みの中で米づくりを中心におきながらも、
家畜を飼い、
裏山から肥料となる
枯れ葉を集め、ときどきドジョウやフナをとるなど、じつにさまざまな営みの中でおこなわれたものでした。また、田植えのときには
若い女性が晴れ着を着て
早苗を植え、近所の人が助けあって田植えや
稲刈りをするという社会の営みでもありました。そして先祖から
引き継いだ土地に
祈りをささげ、
収穫物に感謝をささげるという心に支えられたものだったはずです。それは工場で米という名の製品をつくるのとはほど遠い営みでした。
8. しかし、この土木工事はそのようなことをすべて
無視したものでした。そのことの意味の深さを
私たちは考えつづけなければならないと思います。
9.(
高槻成紀『野生動物と
共存できるか――保全生態学入門』(岩波ジュニア新書))
長文 6.1週
1. 【1】「話に花が
咲く」とはだれがいちばん初めにいい出したのか知りませんが、なんといい形容だろうと思います。これがなければ、世の中の花のいくつかの種類が消失するようなものです。
2. しかし、あらためて考えてみると、話に花を
咲かせるには、それなりの水やりならぬ気の配りが欠かせないように思えます。
3. 【2】いつだったか、テレビで、
俳優のKさんを中心に、
噺家さんやタレントさんが、ひとときの
座談や歌を楽しむ、といった番組をみていたら、終わり近くなってKさんがこんなことを言ったのが印象に残りました。【3】きょう、ぼくは
都々逸(
江戸時代にはやった歌)などいくつかやらしてもらったけど、ここにいるみんなは、たいていその文句を知っているものばかりだっただろう。しかし、初めて聞くような顔をして、聞き入ってくれ、
拍手をしてくれた。ありがとう、と。
4. 【4】自分が知っていることというのは、なかなか自分のなかにしまっておけないものです。友人と会って、雑談のとき、仕入れたばかりのニュースを口にし、とくとくとして説明しようとしたら、相手はこちらよりもっとそのニュースにくわしかった、なんていうとき、全くがっかりした気分を味わうものです。
5. 【5】知っていることというのは、とにかくだまっていられないものです。あるとき、つり好きの女性に出会ったことがあります。始めて三年目くらい、熱の入れ方がピークに達する時期です。
私はもっと年季が入っている。【6】そこで二人でつり談義がえんえんと続くことになった。かなり話がはずんだころ、その人がこんなことをいいました。「ほんと、つりの話をするときって、もう自分がしゃべりたくって、人の話なんて耳に入らないのよね。【7】そうだ、こんどはあの話をしようって、てぐすねひいて待っているの。相手の話が終わるや
否や、待ってましたとばかり、ぱっと
割りこんで、なんていうふうでしょう? あはは。」【8】「あははは、ほんとにそうだね、それでぼく、いつだったか
小笠原の父島に行ったとき、カヌーに船外機を取りつけたやつで、オキザワラの引きつりをやったんだけど、サメがうようよいてね……」
6. と、さっそく話をとったりしたのでした。
7. 【9】話に花が
咲くというより、花が
咲き競うという感じで。ですが、つり好き同士の話のときは、どうしても、そんなふうになる∵し、また
逃がした魚ばかりでなく、つり上げた魚の大きさも
尾ひれがついて大きくなり、数もサバを読むことが、
暗黙の
了解事項となっているのを感じます。【0】
8. ここでまた、Kさんの話にもどるわけですが、話に花を
咲かせるためには、それぞれが聞き上手にならなければなりません。話し上手というのは、聞き上手ということでもあります。ことばを変えていえば、思いやりです。思いやりというのは、わたしは、想像力の問題だと思っています。相手の立場に立ってみる、その想像力があるかないかでしょう。
9. いつもいつも、自分が知っていることをロに出すなというのではありませんが、雑談に花が
咲いているときくらい、相手に花を持たせ、自分も持たせてもらう、それでこそ、
お互いの言葉は
お互いの心にとどくのだと思います。
長文 6.2週
1. 【1】本とはふしぎな王国だ。そこにはこの世のあらゆるものごとが生きながらにとじこめられている。
2. 本たちはおとなしい。白い紙の上につつましくくりひろげられた黒い文字の織りなすレース。【2】そのとばりのかげに数々の
驚異をひそめながら、
彼らはあくまでも
沈黙のうちにやすろうている。ページをひらき、この文字という暗号を読み解かないかぎり、すべてはひっそりと
眠ったままだ。
3. 【3】ときどきふっと、こんなふうに思うことがある。字というものをおぼえてこのかたこの年までに、本のなかで出会った人々の数ははたしてどれくらいだろうか、と。何百人、いや何千人にも
及ぶだろうか。【4】その数は、もしかすると現実に生身のわたしが知り合った人の数をはるかに上回るかもしれない。わたしのまずしい行動半径ではおよそ考えられないような出会いも、本の王国では、たしかになしとげられたのであるから。
4. 【5】現実の人間がそうであるように、本のなかの人々も、会ったひとすべてがそのまま友達になれるわけではない。会うそばからわすれてしまうこともあり、目のまえをただ通りすぎていっただけでそれっきり思い出さない場合もあるだろう。
5. 【6】それでも、長年のうちには、そうした本のなかの住人のいく人かと、生身の友人にもまさるとも
劣らぬ友情をむすぶことができた。一目ぼれでぞっこんまいってしまった相手もあれば、はじめは反発しながらも
奇妙に心にこびりついて、いつしか
忘れられない人物になっていった人もある。
6. 【7】本がもたらしてくれた友人は、何も作中人物ばかりとはかぎらない。たいていの本にはその生みの親である作者がいて、その人々との交流もまた楽しいものだ。【8】作品自体はそれほど成功していなくても、また文学書以外の実用書や科学書でも、それを書かずにいられなかった作者や
著者のよろこびや
痛み、その一
冊にたくした夢や、時にはその人間的弱味までが生き生きと、たくまずして伝わってきて、思いがけない親しみのきっかけになったりもする。
7. 【9】本のなかの
子供――。作者という
存在を考えるとき、本のなかの人々はすべてその作者の血をわけた生みの子であり、また本そのものが
彼らの
子供だということもできよう。【0】
8.(矢川
澄子の文章より)
長文 6.3週
1. 【1】
私たちは、日本も外国もみんなおなじようだと思いがちです。そこで、治水のためにはダムを作り、雨をためこみ、そして
洪水をなくそうと考えるでしょう。そういう考えによって、エジプトを流れるナイル川をせきとめ、年々の
洪水をとめて、下流の農業
地域に水利をきりひらき、
肥沃な農村にしようという計画が生まれました。
2. 【2】ダムには発電所を作り、電気をおこして肥料会社をつくる。その肥料で農地を豊かにしよう。こういう計画がナイルの川をせきとめてつくったアスワン・ハイ・ダムです。
3. しかし、これと同じような計画が、すでに、一九〇二年にアスワン・ロー・ダムとしてイギリスによっておこなわれていたのです。【3】
規模は小さいのです。しかし、それによって、年々のナイルの
洪水はとまったかに思えました。だが、その結果なにがおこったでしょう。
4. エジプトは、非常に暑い熱帯
地域にある国です。そこは、暑さゆえに、たえず地中の水が
蒸発していく土地なのです。【4】そういう土地では、塩分が地表にどんどんすいあげられていきます。
5. エジプトでは、
洪水がなくなったために、塩分が、どんどん地表に集まりだしたのです。昔ならば、一年一度の
洪水が、この塩をとかして流してくれました。【5】それがなくなったのです。その結果、塩が地表にたまってしまいます。加えて、
洪水のために上流から流れてきた有機物――あのアフリカの
密林から流れでる豊富な有機質が昔は
洪水とともに畑にまかれ、肥料となったものが流れてこなくなってしまったのです。
6. 【6】こうして、有機質をたくさん必要とする熱帯のはげしい自然条件のもとでは、有機質が急速に不足しだして、作物の
収穫はへりだしました。
7. おまけに塩分の問題です。この結果、五、六年たつと、畑の
収穫量は落ちだし、十年ののちには、畑をすててよそに
逃げるということがおこったのです。【7】このためエジプトの
砂漠は逆に
拡大してしまいました。∵
8. 豊かな農地をつくろう、
洪水から農民をまもろうという温帯の人の親切な心が、じつはエジプトの農民から農地をうばったのです。
9. 【8】風土の
違い、それを
無視して自分たちも相手も同じだという具合に考えると、こうしたことがおきてしまうのです。日本は、外国との仕事上のつきあいがますます多くなりました。みなさんが大きくなる時代には、さらに
盛んになるでしょう。【9】そうしたとき、自分たちの国の通念で相手を
割りきって考えると、このエジプトのダムのように、思わぬあやまちをおかしてしまいます。その意味では、
私たちの時代より、
皆さんの生きる時代のほうが、むずかしいということができます。【0】
10.(
伊東光晴『君たちの生きる社会』より)
長文 6.4週
1. 【1】小学生のとき、夢中になって『ファーブル
昆虫記』を読んだ。理科よりも国語、算数よりも社会が好きだった
私は、はじめこの本のタイトルを見て、
敬遠していた。
2. 「おもしろいわよ。たまには、こういうのも読んでみたら?」
3. 物語にばかり
偏る私に、
勧めてくれたのは母だった。
4. 【2】朝顔の観察とか、
蟻の巣づくりを調べるとかいうことは、好きなほうではなかった。たぶん、そんなようなことが、たくさん書いてある本だろうと思っていた。そして実際に読んでみると、たしかに内容は、そんなようなことである。【3】にもかかわらず、ぐいぐい
引き込まれていった。
勧めた母親のほうがあきれるくらい、
寝ても覚めても『ファーブル
昆虫記』、という感じだった。
5. それでは、
私はファーブルによって、
昆虫への理科的な興味を開眼させられた、といっていいだろうか?
6. 【4】ちょっと
違うような気がする。それまで夢中になった本と同じように、
私はそこに「物語」を読んでいたのだ。
7. 登場する
昆虫たちは、ユニークで頭がよくて
愛嬌のある主人公。
彼らのくりひろげる「生きる」という物語にすっかり
魅せられてしまった。
8. 【5】『ファーブル
昆虫記』の素晴らしさは、ここにあるのだと思う。自然のなかに
隠されている、楽しくて不思議でときには
厳しい物語の数々を、現在進行形でファーブルとともに発見してゆく喜び。『オズの
魔法使い』や『不思議の国のアリス』を読んでいるときにも似たような
興奮が、そこにはあった。
9. 【6】なかでも印象に残っておもしろかったのは「ふんころがし」すなわち「オオタマオシコガネ」の章である。今回あらためて読みかえしてみて、この虫を
描くときのファーブルの筆には、ひときわ愛情がこもっているように感じられた。子ども心にもそれが伝わったのだろうか。
10. 【7】自然の
恵みを受けることと、自然と戦うことが、
表裏一体となって
紡がれるドラマ。西洋ナシの形をしたお団子のなかで生きる∵
幼虫の話は、何度読んでも
飽きないものである。虫の持つ
知恵への
驚きも、もっとも大きい章だった。
11. 【8】ところで、
昆虫というと、最近ちょっと気になる報道があった。
12.
昆虫採集は自然
破壊につながるのでやめようという意見があるという。子どもにも自然を大切にする心を教えなければ、と。
13.
一瞬、なるほどと思いかけて、いやいや待てよ、と思った。【9】
蝉を採ったり
甲虫をつかまえることは、自然と親しむことにこそなれ、自然を
破壊することにはならないのではないだろうか。むしろ、そういう体験をすることなしに大人になってしまうことのほうが、こわいような気がする。【0】
14.
貴重な高山植物や
珍種の
蝶を採ることはもちろん規制されてしかるべきだろう。が、そういう
特殊な例を
除けば、
昆虫採集の禁止は、それこそ
近視眼的な発想ではないかと思う。子どもが採集するぐらいで、
蝉や
昆虫は
絶滅したりはしない。山を
切り崩したり、ゴルフ場を造ったりするほうがよっぽど虫たちを
脅かすことになるだろう。
15. そんな
愚行から虫たちを守ろうと、
将来発想することができるのは、どんな育ちかたをした子どもだろうか。
蝉も
甲虫も見たことがない、というのでは、はなはだ心もとない。
16. ファーブルも、さまざまな実験の
途中では、多くの虫たちを死なせてしまっている。
蝉をフライにして食べちゃったりもする。が、ファーブルが心から虫を愛していた人であることはいうまでもない。
昆虫採集禁止をとなえる人は、ファーブルの
行為もまた
残酷だというのだろうか。
17. 愛情は、なにもないところからは生まれない。まず「知る」ことが、愛情のめばえのスタートだ。
18.(俵
万智「二十一世紀の子どもたちへ」(『世界文学の玉手箱四
昆虫記 下』(解説)(
河出書房新社)
所収)より)