1. 【1】小学生のとき、夢中になって『ファーブル
昆虫記』を読んだ。理科よりも国語、算数よりも社会が好きだった
私は、はじめこの本のタイトルを見て、
敬遠していた。
2. 「おもしろいわよ。たまには、こういうのも読んでみたら?」
3. 物語にばかり
偏る私に、
勧めてくれたのは母だった。
4. 【2】朝顔の観察とか、
蟻の巣づくりを調べるとかいうことは、好きなほうではなかった。たぶん、そんなようなことが、たくさん書いてある本だろうと思っていた。そして実際に読んでみると、たしかに内容は、そんなようなことである。【3】にもかかわらず、ぐいぐい
引き込まれていった。
勧めた母親のほうがあきれるくらい、
寝ても覚めても『ファーブル
昆虫記』、という感じだった。
5. それでは、
私はファーブルによって、
昆虫への理科的な興味を開眼させられた、といっていいだろうか?
6. 【4】ちょっと
違うような気がする。それまで夢中になった本と同じように、
私はそこに「物語」を読んでいたのだ。
7. 登場する
昆虫たちは、ユニークで頭がよくて
愛嬌のある主人公。
彼らのくりひろげる「生きる」という物語にすっかり
魅せられてしまった。
8. 【5】『ファーブル
昆虫記』の素晴らしさは、ここにあるのだと思う。自然のなかに
隠されている、楽しくて不思議でときには
厳しい物語の数々を、現在進行形でファーブルとともに発見してゆく喜び。『オズの
魔法使い』や『不思議の国のアリス』を読んでいるときにも似たような
興奮が、そこにはあった。
9. 【6】なかでも印象に残っておもしろかったのは「ふんころがし」すなわち「オオタマオシコガネ」の章である。今回あらためて読みかえしてみて、この虫を
描くときのファーブルの筆には、ひときわ愛情がこもっているように感じられた。子ども心にもそれが伝わったのだろうか。
10. 【7】自然の
恵みを受けることと、自然と戦うことが、
表裏一体となって
紡がれるドラマ。西洋ナシの形をしたお団子のなかで生きる∵
幼虫の話は、何度読んでも
飽きないものである。虫の持つ
知恵への
驚きも、もっとも大きい章だった。
11. 【8】ところで、
昆虫というと、最近ちょっと気になる報道があった。
12.
昆虫採集は自然
破壊につながるのでやめようという意見があるという。子どもにも自然を大切にする心を教えなければ、と。
13.
一瞬、なるほどと思いかけて、いやいや待てよ、と思った。【9】
蝉を採ったり
甲虫をつかまえることは、自然と親しむことにこそなれ、自然を
破壊することにはならないのではないだろうか。むしろ、そういう体験をすることなしに大人になってしまうことのほうが、こわいような気がする。【0】
14.
貴重な高山植物や
珍種の
蝶を採ることはもちろん規制されてしかるべきだろう。が、そういう
特殊な例を
除けば、
昆虫採集の禁止は、それこそ
近視眼的な発想ではないかと思う。子どもが採集するぐらいで、
蝉や
昆虫は
絶滅したりはしない。山を
切り崩したり、ゴルフ場を造ったりするほうがよっぽど虫たちを
脅かすことになるだろう。
15. そんな
愚行から虫たちを守ろうと、
将来発想することができるのは、どんな育ちかたをした子どもだろうか。
蝉も
甲虫も見たことがない、というのでは、はなはだ心もとない。
16. ファーブルも、さまざまな実験の
途中では、多くの虫たちを死なせてしまっている。
蝉をフライにして食べちゃったりもする。が、ファーブルが心から虫を愛していた人であることはいうまでもない。
昆虫採集禁止をとなえる人は、ファーブルの
行為もまた
残酷だというのだろうか。
17. 愛情は、なにもないところからは生まれない。まず「知る」ことが、愛情のめばえのスタートだ。
18.(俵
万智「二十一世紀の子どもたちへ」(『世界文学の玉手箱四
昆虫記 下』(解説)(
河出書房新社)
所収)より)