長文集  6月4週  ○小学生のとき、夢中になって  ha2-06-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/02/18 11:48:33
 【1】小学生のとき、夢中になって『ファ
ーブル昆虫記』を読んだ。理科よりも国語、
算数よりも社会が好きだった私は、はじめこ
の本のタイトルを見て、敬遠していた。
 「おもしろいわよ。たまには、こういうの
も読んでみたら?」
 物語にばかり偏る私に、勧めてくれたのは
母だった。
 【2】朝顔の観察とか、蟻の巣づくりを調
べるとかいうことは、好きなほうではなかっ
た。たぶん、そんなようなことが、たくさん
書いてある本だろうと思っていた。そして実
際に読んでみると、たしかに内容は、そんな
ようなことである。【3】にもかかわらず、
ぐいぐい引き込まれていった。勧めた母親の
ほうがあきれるくら い、寝ても覚めても『
ファーブル昆虫記』、という感じだった。
 それでは、私はファーブルによって、昆虫
への理科的な興味を開眼させられた、といっ
ていいだろうか?
 【4】ちょっと違うような気がする。それ
まで夢中になった本と同じように、私はそこ
に「物語」を読んでいたのだ。
 登場する昆虫たちは、ユニークで頭がよく
て愛嬌のある主人公。彼らのくりひろげる「
生きる」という物語にすっかり魅せられてし
まった。
 【5】『ファーブル昆虫記』の素晴らしさ
は、ここにあるのだと思う。自然のなかに隠
されている、楽しくて不思議でときには厳し
い物語の数々を、現在進行形でファーブルと
ともに発見してゆく喜び。『オズの魔法使い
』や『不思議の国のアリス』を読んでいると
きにも似たような興奮が、そこにはあった。
 【6】なかでも印象に残っておもしろかっ
たのは「ふんころが し」すなわち「オオタ
マオシコガネ」の章である。今回あらためて
読みかえしてみて、この虫を描くときのファ
ーブルの筆には、ひときわ愛情がこもってい
るように感じられた。子ども心にもそれが伝
わったのだろうか。
 【7】自然の恵みを受けることと、自然と
戦うことが、表裏一体となって紡がれるドラ
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マ。西洋ナシの形をしたお団子のなかで生き
る∵幼虫の話は、何度読んでも飽きないもの
である。虫の持つ知恵への驚きも、もっとも
大きい章だった。
 【8】ところで、昆虫というと、最近ちょ
っと気になる報道があった。
 昆虫採集は自然破壊につながるのでやめよ
うという意見があるという。子どもにも自然
を大切にする心を教えなければ、と。
 一瞬、なるほどと思いかけて、いやいや待
てよ、と思った。【9】蝉を採ったり甲虫を
つかまえることは、自然と親しむことにこそ
なれ、自然を破壊することにはならないので
はないだろうか。むしろ、そういう体験をす
ることなしに大人になってしまうことのほう
が、こわいような気がする。【0】
 貴重な高山植物や珍種の蝶を採ることはも
ちろん規制されてしかるべきだろう。が、そ
ういう特殊な例を除けば、昆虫採集の禁止 
は、それこそ近視眼的な発想ではないかと思
う。子どもが採集するぐらいで、蝉や昆虫は
絶滅したりはしない。山を切り崩したり、ゴ
ルフ場を造ったりするほうがよっぽど虫たち
を脅かすことになるだろう。
 そんな愚行から虫たちを守ろうと、将来発
想することができるのは、どんな育ちかたを
した子どもだろうか。蝉も甲虫も見たことが
ない、というのでは、はなはだ心もとない。
 ファーブルも、さまざまな実験の途中では
、多くの虫たちを死なせてしまっている。蝉
をフライにして食べちゃったりもする。が、
ファーブルが心から虫を愛していた人である
ことはいうまでもな い。昆虫採集禁止をと
なえる人は、ファーブルの行為もまた残酷だ
というのだろうか。
 愛情は、なにもないところからは生まれな
い。まず「知る」ことが、愛情のめばえのス
タートだ。

(俵万智「二十一世紀の子どもたちへ」(『
世界文学の玉手箱四 昆虫記 下』(解説)
(河出書房新社)所収)より)