長文集  6月2週  ★本とはふしぎな王国だ(感)  ha2-06-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】本とはふしぎな王国だ。そこにはこ
の世のあらゆるものごとが生きながらにとじ
こめられている。
 本たちはおとなしい。白い紙の上につつま
しくくりひろげられた黒い文字の織りなすレ
ース。【2】そのとばりのかげに数々の驚異
をひそめながら、彼らはあくまでも沈黙のう
ちにやすろうている。ページをひらき、この
文字という暗号を読み解かないかぎり、すべ
てはひっそりと眠ったままだ。
 【3】ときどきふっと、こんなふうに思う
ことがある。字というものをおぼえてこのか
たこの年までに、本のなかで出会った人々の
数ははたしてどれくらいだろうか、と。何百
人、いや何千人にも及ぶだろうか。【4】そ
の数は、もしかすると現実に生身のわたしが
知り合った人の数をはるかに上回るかもしれ
ない。わたしのまずしい行動半径ではおよそ
考えられないような出会いも、本の王国で 
は、たしかになしとげられたのであるから。
 【5】現実の人間がそうであるように、本
のなかの人々も、会ったひとすべてがそのま
ま友達になれるわけではない。会うそばから
わすれてしまうこともあり、目のまえをただ
通りすぎていっただけでそれっきり思い出さ
ない場合もあるだろう。
 【6】それでも、長年のうちには、そうし
た本のなかの住人のいく人かと、生身の友人
にもまさるとも劣らぬ友情をむすぶことがで
きた。一目ぼれでぞっこんまいってしまった
相手もあれば、はじめは反発しながらも奇妙
に心にこびりついて、いつしか忘れられない
人物になっていった人もある。
 【7】本がもたらしてくれた友人は、何も
作中人物ばかりとはかぎらない。たいていの
本にはその生みの親である作者がいて、その
人々との交流もまた楽しいものだ。【8】作
品自体はそれほど成功していなくても、また
文学書以外の実用書や科学書でも、それを書
かずにいられなかった作者や著者のよろこび
や痛み、その一冊にたくした夢や、時にはそ
の人間的弱味までが生き生きと、たくまずし
て伝わってきて、思いがけない親しみのきっ
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かけになったりもす る。
 【9】本のなかの子供――。作者という存
在を考えるとき、本のなかの人々はすべてそ
の作者の血をわけた生みの子であり、また本
そのものが彼らの子供だということもできよ
う。【0】

(矢川澄子の文章より)