1. 【1】赤字その他の理由で
姿を消した鉄道線路は、これまで数多くあるが、
私が夢の中でもいいからもう一度乗りたいと願っているものに
岡山県の小
私鉄、西大寺鉄道がある。
2.
岡山市の有名な後楽園のそばから西へ向かって、お寺の門前町、西大寺まで、たった一一・四キロ。【2】左右の線路の
間隔は九一センチ四ミリという日本ではめずらしい
狭軌である。明治十四年開業当時は西大寺
軌道と名乗っていたが、大正三年以来鉄道となり、戦後両備バス会社と
合併、昭和三十七年鉄道線が
廃止となった。【3】
私が乗ったのは戦後のことで、もう
蒸気機関車はいなくてディーゼル車であった。後楽園を出て間もなく、百けん川を横切るのだが、ここがおもしろいのだ。
3. 百けん川は
岡山市内を流れる
旭川の放水路であって、ふだんは左右の
堤防にはさまれた広い
河川敷には水は全然流れていない。【4】ほとんどが畑として利用されている。上流で大雨が
降り、市内に
洪水の
危険がせまったときだけ、こちらに水を流すのである。平常は何の役にも立たぬ余計者のように見え、非常の時だけその真価が
認められる。【5】
普通、鉄道が川を横切る時は、
堤防の高さまで上がり、橋で川を
渡る。JRの山陽本線も新幹線も、もちろんこのようにして百けん川を
渡っている。ところが西大寺鉄道はちがう。
堤防の一部を切りとり、河原にじかに線路をしいているのだ。
4. 【6】めったに水の流れない川に橋をかけるのは、金のむだづかいである。非常の際には切りとった土手を
頑丈な
扉でふさげばよい。線路の一部は流されるかもしれないが、水が引いた後またしき直せばよい。バカな、と笑う人もいよう。【7】
私も最初のうち、なんてみみっちい、と笑っていたが、次第に考えが変わってきた。
5. 鉄道建設は確かに人間のちえである科学技術による自然の
征服、おさえこみである。技術が進めば進むほどそのおさえこみ方が強引になってきた。【8】かつては自然の
障害物(例えば高い山や深い谷)があれば、線路の方がまわり道をしたり、坂で上り下りして――つまり、自然との
妥協によって問題を解決していたのだが、それ∵で満足できなくなってきた。
6. 【9】山があれば切り通しやトンネルで、谷があれば土手や橋を造ってごりおしに
突進するのが技術の進歩、人知の自然に対する勝利と見なされる。明治以来新幹線に
至る鉄道の歴史がそれを物語っている。しかし、その勝利のかげでどれほどの自然が、生きもの(人間をふくむ)が
犠牲になってきたことか。【0】
7.
私が西大寺鉄道に
脱帽したのは、自然に対して実に合理的に、しかも
謙虚に対応していたからだ。むだな金や力を使って自然の力をねじふせるのではなく、自然とうまく折り合いをつけ、だましだまし
共存しようという
姿勢に対してである。
8.(小池
滋『西大寺鉄道の
知恵』より)