1. 【1】
僕たちは人間として生きてゆく
途中で、
子供は
子供なりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。もちろん、それは
誰にとっても、決して望ましいことではない。【2】しかしこうして悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、
僕たちは、本来人間がどういうものであるか、ということを知るんだ。
2. 心に感じる苦しみや
痛さだけではない。【3】からだにじかに感じる
痛さや苦しさというものが、やはり、同じような意味をもっている。健康で、からだになんの
故障も感じなければ、
僕たちは、
心臓とか胃とか腸とか、いろいろな
内臓がからだの中にあって、平生大事な
役割をつとめていてくれるのに、それをほとんど
忘れて
暮らしている。【4】ところが、からだに
故障が出来て、
動悸がはげしくなるとか、おなかが
痛み出すとかすると、はじめて
僕たちは、自分の
内臓のことを考え、からだに
故障の出来たことを知る。【5】からだに
痛みを感じたり、苦しくなったりするのは
故障が出来たからだけれど、逆に、
僕たちがそれに気づくのは、
苦痛のおかげなのだ。
3. 【6】
苦痛を感じ、それによってからだの
故障を知るということは、からだが正常な状態にいないということを、
苦痛が
僕たちに知らせてくれるということだ。【7】もし、からだに
故障が出来ているのに、なんにも
苦痛がないとしたら、
僕たちはそのことに気づかないで、場合によっては、命をも失ってしまうかも知れない。だからからだの
痛みは、
誰だって
御免こうむりたいものに
相違ないけれど、この意味では、
僕たちにとってありがたいもの、なくてはならないものなんだ。【8】それによって
僕たちは、自分のからだに
故障の生じたことを知り、同時にまた、人間のからだが、本来どういう状態にあるのが本当か。そのこともはっきりと知る。
4. 【9】同じように、心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを
僕たちに知らせてくれるものだ。そして
僕たちは、その
苦痛のおかげで、人間が本来ど∵ういうものであるべきかということを、しっかりと心に
捕らえることが出来る。【0】
5.(
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』より)