長文 4.3週
1. 【1】何年か前、中米奥地おくちの調査に出かけた研究チームの報告を読んだ中に、こんなことがありました。調査団は、必要な器機等の持物一式を持って行くためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には完璧かんぺきな日程表ができていた。【2】そして初日から四日間はプログラムが予想以上によくはかどった。運搬うんぱん役のインディアンたちは屈強くっきょう従順じゅうじゅんで、日程どおりにことが進んだのだ。ところが五日目になって、彼らかれ は先へ行く足をぷっつり止めた。【3】だまって全員で輪になり、地べたに座りこんすわ   で、もうてこでも動かない。調査団の人たちは賃金ちんぎんアップを提案したがだめだった。しかりつけたり、ついには武器まで持ち出しておどしたりしてみたが、インディアンたちは無言で車座くるまざになったまま動かない。【4】学者たちはおてあげの状態で、とうとうあきらめた。日程には大幅おおはば遅れおく が生じた。と、とつぜん――二日後のことだった――インディアンたちは同時に全員が立ちあがった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。賃金ちんぎんアップの要求はなかった。【5】調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口をとざしたままだった。ずっと後になって、はじめてひとりが答えをあかした。【6】「はじめの歩みが速すぎたのでね。」という答えだった。「わたしらのたましいがあとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした。」この答えについて、わたしはよく考えこむことがあります。わたしたちは、外的な時間計画=日程をとどこおりなくこなしていきます。【7】が、内的時間、たましいの時間にたいするこまやかな感情を、とっくに殺してしまいました。わたしたちの個々人にはもはや逃げ道に みちがありません。ひとりでワクをはずれるわけにはいきませんから。わたしたち自身がつくってしまったシステムは、厳しいきび  競争と殺人的な業績強制の経済けいざい原理です。【8】これをともにしないものは落伍らくごします。昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに狂気きょうきと化した輪舞りんぶなのてす。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づけるわたしたちです。【9】が、あわただしく走り続けるわたした∵ちは、はたしていかなるみなもとから遠ざかりゆくのでしょう。わたしたちのたましいからですって? そうわたしたちのたましいは、もうはるか以前に途上とじょうに置き捨てす られました。それにしてもたましいを捨て子す ごにしたことで、肉体が病んでいきます。【0】だから病院は、ひとびとであふれています。
2. もうひとつの答えもひとりのインディアンの女性の口から出ています。ある山の頂上ちょうじょう彼らかれ の村があった。その地方一帯には水源すいげんがたった一ヵ所かしょしかなくて、それは山のふもとの井戸いどだった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りは重い水がめをかたにして一時間、山をのぼって行く。あるとき、女たちのひとりにたずねた――いっそ村ごと、ふもとの水源すいげん近くに移したほうがかしこいのではないかね――。女の答えはこうだった。「かしこい、かもしれませんね。でも、そうしたらわたしたちは、快適さという誘惑ゆうわくに負けることになると思います。」
3. 快適であることがなぜ誘惑ゆうわく呼ばよ れるのか。わたしたちが手にした自動車、飛行機、電話、コンピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは快適な生活のためにつくられたはずです。これらのものはくらしを楽にします。ほねの折れる仕事からわたしたちを解放し、もっと本質的なことのための時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしょうか、わたしたちを解放するんでしょう? そうです、確かに――。ただ何から解放するのでしょう。ひょっとして、まさに本質的なことから、だとしたら、いったいどうなっているんでしょう。わたしには、あのふしぎな言葉を口にしたインディアンの女性のほうが、ほんとうはこのわたしたちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ、という思いがつきまとってはなれません。

4.(ミヒャエル・エンデの文章より)