1. 【1】こうしてこれまでに人間は、平和のための備えをし、平和のためと
称する戦争を始め、いつしかそれが人間から平和を
奪うただの戦争になっていた、という経験をしばしばしてきました。【2】備えをすることが全く不要だとは言えないでしょうが、平和というものが相手のある問題、他者との関係である以上、備えさえあれば平和でいられるという
単純なものではないことも、次第に明らかになってきたのです。
2. 【3】加えて、平和についての
思索が進むにつれ、こういう別の問題も意識されるようになります。すなわち、戦争さえなければそれで平和と言えるか――。
3. たとえば、多くの人々が極度の
貧困にさいなまれ、
飢えに苦しんでいるような社会は平和だろうか。【4】また、人種や性による差別が根強く残り、女児の
就学率が男児のそれよりもいちじるしく低いような社会は平和だろうか。あるいは、字が読めないばかりに十分な社会参加ができず、自分たちが不利益をこうむっていることさえ気づかない人がたくさんいる社会は平和か。そういう問題です。
4. 【5】一九六〇年代も終わる
頃、それらもまた暴力と
呼ぶべきだ、と主張する学者が現れました。ノルウェーのヨハン・ガルトゥンクという人です。【6】いま述べたさまざまな問題は、
誰かが
誰かを
殴ったり殺したりするという意味での暴力ではないが、みずから望んだわけではない不利益をこうむる人は確実にいるのだから、それもまた別のかたちの暴力と
呼ぶべきだという考え方で、その種の「暴力」に「構造的暴力」という名前をつけました。【7】これに対し、人を
殴ったり殺したりするような種類の暴力を「直接的暴力」と
呼びます。
5. 「構造的」という言葉づかいはあまりなじみのないものかもしれませんが、おおよそ次のような意味です。たとえば、一つの社会の中で、一方には
巨額の富を
占め、
飽食している人がいる。【8】もう一方にはいくら働いても十分な
収入が得られず、あるいは職さえも得られず、十分な
食糧さえ得られない人がいる。それが当人たちの能力ややる気の問題ではなく、富の配分の仕組みが不適切であることの結果であるとしたなら、また、特定の人種や性が原因でなかば自動的に
貧困や
飢餓の中に
閉じ込められているとしたなら【9】―∵―それは社会構造が原因で生み出されている暴力と
呼ぶほかないのではないか。富める人々が貧しい人々を
殴りつけて
飢えさせているのではなく、したがって加害者は特定できないが、社会構造の
被害者はいるという意味での「暴力」なのではないか。【0】
6. この構造的暴力
論は、それまでの平和
論の見落としていた点を
浮き彫りにし、新たな地平を開くものでした。それまでは「戦争のないこと」が「平和」だとされていたのに対し、戦争がなくとも「平和ならざる状態」はある、という
視点を
理論化するものだったからです。その
背後には、平和とは何より社会正義の問題なのではないか、という問題意識があります。人間が自分の責任によらないことで差別され、
排除され、悲しみ、
傷つくのは平和とは言えないのではないか、という問題意識です。
7. 平和研究の課題は一挙に広がりました。戦争や武力
紛争や
軍拡が主題だった(少なくともそう信じられていた)のに対し、
貧困や開発や
人権や平等といった、いわば非軍事的な社会問題に関心を広げていったのです。いまでも平和研究といいますと戦争や
軍拡の研究ですねと言う方が少なくありませんが、けっしてそうではありません。それ以外の問題に対する関心も高く、その中にはジェンダーとか
環境とかいった、今日的な問題も
含まれます。それは単に「研究対象を広げた」ということではありません。暴力の意味が変わり、平和の意味が変わったからそれらの問題が必然的に平和研究に
入り込んできた、ということなのです。
8.(最上
敏樹『いま平和とは』)