長文集  6月4週  ○小学生のとき、夢中になって  ha-06-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2015/03/15 14:15:39
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は
一番目の長文です。】
 今年の秋、ウィーンの楽友協会ホールで武
満徹さんの新作クラリネット・コンチェルト
がウィーン・フィルハーモニーによって演奏
される。二百年前、モーツァルトのクラリネ
ット・コンチェルトがウィーンで初演奏され
たのを記念する催しで、百年前には同じ趣旨
でブラームスがクラリネット五重奏を作曲し
ていることを考える と、これは日本の音楽
界だけでなく日本にとって大きな出来事だと
思う。おそらくわが国の文化芸術の分野でこ
れに匹敵することはかつてなかったし、今後
もそうそうあることではなかろう。(中略)
 製紙会社の会長と作曲家武満とのかかわり
合いを不思議に思われる方もあると思うが、
家内同士が学校時代からの親友で、武満さん
が二十歳を過ぎたころから家族ぐるみのお付
き合いをしてもう四十年にもなろうとする。
だからといって私は彼の音楽をいっこうに理
解するものではないが、今回世界の存在とま
でなった武満さんの人生の来し方を眺め続け
てきた者として、その人間的バックグラウン
ドを語ってみたい。
 何よりもまず自分の道を自分のやり方で歩
いてきた人である。作曲家としても徒手空拳
、自ら一家をなしたので、音楽学校へいった
わけでも特定の師についたのでもない。本当
に才能のある人は既成概念で教育など授けな
いほうがよほど純粋に成長できるという真理
を彼もまたわれわれに示してくれた。大江健
三郎との共著「オペラをつくる」の中で彼は
こういっている。
「ぼく自身が音楽家としての四十年、音を表
現媒体として、自分でしか言い表せないよう
なことを表す。……音楽といってもその表現
のスタイル、形式は多様で、たんに慰めや娯
楽のための音楽であれば、時代の人たちが喜
ぶような表現方法はあるように思います。し
かし、ぼくがやっている音楽はそういうもの
でなくて、音というものを通して人間の実在
について考える。どちらかというと、詩とか
哲学とか、そうしたものに近い表現形式とし
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て音楽をやっているわけで、これがいちばん
むずかしいところなんですね」
 創造性と個性、いまの日本人にこれほど求
められているものはない。∵
 武満さんはまた世界人であると同時にすぐ
れて日本人である。彼の作風からもこのこと
はよくうかがえる。代表作であるノヴェンバ
ー・ステップスには和楽器である琵琶と尺八
が取り入れられ、本来西洋のものであるコン
チェルトに日本の音色を植えつけたことはあ
まりにも有名である。前述の本の中で彼はま
た、「僕の音は西洋音楽の音とはまったく違
う」とも述べている。彼の音楽は西洋の亜流
ではないようだ。そこが世界の注目をひき絶
賛を博しているのだと思う。(中略)
 ややしかつめらしいことを書いてきたが、
多くの人々が武満さんにひかれるのは、根っ
からの市井人である一面であろう。立派なサ
イレント・マジョリティの一員、卑近な言い
方をすれば熊さん、八つぁん的要素である。
熱狂的な阪神タイガースファンでシーズンに
なると外出先でもラジオを離さず一喜一憂し
ている。まさに日本人の判官びいきを絵に描
いたようなものである。
 私は彼の背広姿をほとんどみたことがない
。普通はズボンにセーター、改まったときは
、ネクタイなしだが独特のスタイルのジャケ
ットを着用している。最近、だれのデザイン
ですかと聞いたら、これは森英恵さんですと
答えた。これで日本はおろか世界中を通して
いる。私はひそかに浴衣がけの外交と呼んで
いる。あのとても頑丈とはいえない肉体で年
に何回となく外国に出かけるエネルギーは聡
明で献身的な奥さん、才気煥発のお嬢さん、
そして猫二匹という恵まれた家庭のたまもの
で、これは彼の最大の作品かもしれない。市
井人の常識が申し分なく働いている。ここに
もいまの日本人がともすればないがしろにし
がちなものがある。
 武満徹論を最後に締めくくれば、世界への
道の前に日本の道があり、日本への道の前に
わが道があったということであろうか。そし
て平凡の中に非凡があることがなんとも魅力
的である。

(河毛二郎()「逆風順風」)∵
 【1】小学生のとき、夢中になって『ファ
ーブル昆虫記』を読んだ。理科よりも国語、
算数よりも社会が好きだった私は、はじめこ
の本のタイトルを見て、敬遠していた。
 「おもしろいわよ。たまには、こういうの
も読んでみたら?」
 物語にばかり偏る私に、勧めてくれたのは
母だった。
 【2】朝顔の観察とか、蟻の巣づくりを調
べるとかいうことは、好きなほうではなかっ
た。たぶん、そんなようなことが、たくさん
書いてある本だろうと思っていた。そして実
際に読んでみると、たしかに内容は、そんな
ようなことである。【3】にもかかわらず、
ぐいぐい引き込まれていった。勧めた母親の
ほうがあきれるくら い、寝ても覚めても『
ファーブル昆虫記』、という感じだった。
 それでは、私はファーブルによって、昆虫
への理科的な興味を開眼させられた、といっ
ていいだろうか?
 【4】ちょっと違うような気がする。それ
まで夢中になった本と同じように、私はそこ
に「物語」を読んでいたのだ。
 登場する昆虫たちは、ユニークで頭がよく
て愛嬌のある主人公。彼らのくりひろげる「
生きる」という物語にすっかり魅せられてし
まった。
 【5】『ファーブル昆虫記』の素晴らしさ
は、ここにあるのだと思う。自然のなかに隠
されている、楽しくて不思議でときには厳し
い物語の数々を、現在進行形でファーブルと
ともに発見してゆく喜び。『オズの魔法使い
』や『不思議の国のアリス』を読んでいると
きにも似たような興奮が、そこにはあった。
 【6】なかでも印象に残っておもしろかっ
たのは「ふんころが し」すなわち「オオタ
マオシコガネ」の章である。今回あらためて
読みかえしてみて、この虫を描くときのファ
ーブルの筆には、ひときわ愛情がこもってい
るように感じられた。子ども心にもそれが伝
わったのだろうか。
 【7】自然の恵みを受けることと、自然と
戦うことが、表裏一体となって紡がれるドラ
マ。西洋ナシの形をしたお団子のなかで生き
る∵幼虫の話は、何度読んでも飽きないもの
である。虫の持つ知恵への驚きも、もっとも
大きい章だった。
 【8】ところで、昆虫というと、最近ちょ
っと気になる報道があった。
 昆虫採集は自然破壊につながるのでやめよ
うという意見があるという。子どもにも自然
を大切にする心を教えなければ、と。
 一瞬、なるほどと思いかけて、いやいや待
てよ、と思った。【9】蝉を採ったり甲虫を
つかまえることは、自然と親しむことにこそ
なれ、自然を破壊することにはならないので
はないだろうか。むしろ、そういう体験をす
ることなしに大人になってしまうことのほう
が、こわいような気がする。【0】
 貴重な高山植物や珍種の蝶を採ることはも
ちろん規制されてしかるべきだろう。が、そ
ういう特殊な例を除けば、昆虫採集の禁止 
は、それこそ近視眼的な発想ではないかと思
う。子どもが採集するぐらいで、蝉や昆虫は
絶滅したりはしない。山を切り崩したり、ゴ
ルフ場を造ったりするほうがよっぽど虫たち
を脅かすことになるだろう。
 そんな愚行から虫たちを守ろうと、将来発
想することができるのは、どんな育ちかたを
した子どもだろうか。蝉も甲虫も見たことが
ない、というのでは、はなはだ心もとない。
 ファーブルも、さまざまな実験の途中では
、多くの虫たちを死なせてしまっている。蝉
をフライにして食べちゃったりもする。が、
ファーブルが心から虫を愛していた人である
ことはいうまでもな い。昆虫採集禁止をと
なえる人は、ファーブルの行為もまた残酷だ
というのだろうか。
 愛情は、なにもないところからは生まれな
い。まず「知る」ことが、愛情のめばえのス
タートだ。

(俵万智「二十一世紀の子どもたちへ」(『
世界文学の玉手箱四 昆虫記 下』(解説)
(河出書房新社)所収)より)