1. 【1】「ガッツがある」とか「根性が足りない」とかいった言葉をよく耳にしますが、
私は、どうも好きになれません。そもそも〃guts〃なんて、「
臓物」という意味だし、この言葉の音が
汚いのも、
嫌いな理由の一つです。【2】根性も、本来の仏教語では、「草木の根にたとえられる人間の性質」のことですが、現在では
違った意味に使われるので
嫌な言葉の一つになりました。
2. ものごとを
一所懸命にやることは本当に大切なことです。ただ、目を血走らせ、ムキになった、むきだしの表情を、
私は好まないのです。【3】
闘志は表面に出さず、内に
秘めておくもの、これが
私の美意識だからです。
3. 「
一心不乱」はすばらしいのですが、「
盲目的ないちず」が
困るのです。いつも「主人公」が目覚めていなくては、お話になりません。そのためにも、そこに「遊び」が必要ではないでしょうか。【4】つまり、
余裕です。「遊び」には、大事な意味がいくつかあります。たとえば、
肝心なのは、「自分のしたいこと」を「楽しむこと」です。いわば、自分の好きなことをして「楽しむ」のです。それに、「機械の遊び」という場合の「遊び」のような「
余裕」「余地」、「遊びの時間」のような「ひま」が大切です。
4. 【5】自動車のハンドルにも、「遊び」があります。あの遊びがなかったら、ずいぶん運転しにくくなるでしょうし、第一、
危険です。ハンドルに遊びがあるので、少しばかり手がすべっても、急に変な方向へ曲がらないですむのです。【6】人生という車にも、この「
余裕」「ひま」という遊びがないと
危険です。
5.
子供たちの天職は、遊ぶことです。たっぷり遊ぶのが役目です。しかし、部活だの、
塾通いだの、受験勉強だの、すべて強制、半強制のわくの中で、せかせかした生活をしています。【7】小学校、中学校、高等学校を、このように過ごさざるを得なかった学生たちを見ていると、
私は、一大学教師として、もの悲しさで
一杯になるのです。
6.
私どものところでは、学生たちは、二年に進むとき、自分の
専攻したいコースを選びます。【8】その際、英米文学コースを志望す∵る学生たちを集めて、一人ずつ面接をします。そして、あれこれ質問するのですが、近年はますます
幼稚さが目立ちます。大学へ入ったけれど、一体自分が何をしたいのか分からない。【9】英米文学コースに所属したいらしいが、何を学びたいわけでもない。文学をやりたいなどと言いながら、文学作品などほとんど読んだことがない。人生や、
宗教や、友情や、人間の様々な側面に深い関心をもたずして、文学などと、まったく何をかいわんや、です。【0】
7.(中略)
8. ものをおいしく食べるには
お腹をすかせたらいい。そうしたら、強制されなくても、
誰だって自分から食べようとします。同様に、本来の人間に備わっている
好奇心が働き出せば、自然に
知識欲が
湧いてきて、自然に勉強したくなります。そんな状態においてやるのが、本来の教育です。
子供たちの、一人一人が持って生まれた「個性」、それを引き出してやるのが、教育者のはずです。しかしながら、無理やり、知識を頭の中へ
詰め込まれた結果、人間本来の
好奇心がすっかり消えてしまったのです。それも、感受性が最も強く、人間の心の勉強をするのに最も適している時期に、外から、よけいなもので
一杯にされて、本来の
好奇心の働く余地が、すっかりなくなってしまったのです。画一的に
鋳型にはめられた結果、遊びの
好奇心も、自由に働く想像力も、新しい発見の
創造力も、みんな学歴主義に
塗り込められてしまいました。
9. 想像力は心に必要な遊びです。心が本来の自由な
姿に
戻れば、人間の想像力が働き出します。この想像力の遊びもまた、心にとって栄養となります。想像は
創造につながります。想像がさらに深まれば、「思いやり」となって、人間関係を
創造するのです。