【1】少年のころの桜はもっと長く咲いて いた感じだが……と春ごとに同じ思いをくり 返してきたが、今年の桜は久しぶりに長かっ た。歩いて通勤できるようになって、花を見 る目のほうに少年時代ののどかさがもどって きたせいにちがいない。 【2】「桜前線」という言葉があるが、こ の言葉はいただきかねる。季節感はやはり「 ※1梅一輪ほどの」とか「※2風の音にぞ」 といった、微小感覚のものであり、大きく見 渡すといったところ で、「※3柳桜をこき まぜて」という程度なのであって、巨視的 に、日本列島全体を見下ろすスケールは、ど うにも花見のさまでないと思う。【3】つま るところ、昔からある「花便り」のほうが、 はるかに風情に富むのである。「つぼみふく らむ」「ちらほら咲 き」「八分咲き」「散 り初め」「落花盛ん」「散り果て」。花便り の言葉も、微小感覚を表し分けて、まことに 風情に富んでいる。 【4】ところが、散り初めのころのある日 、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面 に達するまでのあいだの状態を、ぴたりと表 す言葉がないのに気がついた。風が一斉に散 らす花には、「花吹 雪」「散り交う」とい う言葉がある。【5】だが一ひらまた一ひら と、自分の重みだけで木を離れ、○○○てゆ く花びらのありさまをいう動詞は、簡単には 見つからない。具体的に言えば、右の○○○ 印を「散る・落ちる・流れる・こぼれる」な どで埋めてみても、ぴたり、とはゆかないの である。【6】肌に感じるほどの風はなく、 空は青く晴れわたり、いましも枝離れした花 びらは、空気がそこにあるのだということを 気づかせる程度の支えを受けて、静かに漂う がごとくにしつつ、しかし確かに地表へ降り てゆく。それは「漂 う」でもなく、もとよ り「降りる」でもない。 これと似たような光景を、私は秋の信州で 見たことがある。【7】からまつのこまやか な葉が、同じように自分の重みだけで枝を離 れ、金色の光をひるがえしながら、音もなく 地表に降り積むのであった。からまつという |
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のを見るのが、そもそも初めてであったから 私はその美しさと静寂に息をのみ、林の中に たたずみつくした∵のを覚えている。【8】 そしてそれを日記に書こうとして、「からま つの葉が」とだけ書いてたちまち言葉につか えたものだ。青年時代の経験だが、今なおあ の光景を表す言葉を発見できないままであ る。 桜の花びらと、からまつの葉と、自然はつ いに言語の及びえないものなのであろうか。 【9】何をそうめんどうな、「降る」でよい ではないかとも思うのだが、雪よりも長く時 間をかけて、浮かびながら降りてゆく一枚一 枚の、数量と重量についての微小感覚が、「 降る」には欠けていてもどかしい。【0】 花便りのいろいろの言葉を作り出し、育て てきた日本語だから、私のまだ知らないとこ ろに、あの美しさを表す言葉があるかもしれ ない。もし日本語にそれがなければ、それは 日本語の語彙の貧弱を意味すると、二十年前 と同じことを考えさせられた。日本語になく てはならない言葉のように思えるのだが。 (渡辺 実氏の文章による) ※1梅一輪ほどの…嵐雪の句。「梅一輪一 輪ほどの暖かさ」を指す。 ※2風の音にぞ…藤原敏行の和歌「秋来ぬ と目にはさやかに見えねども風の音にぞおど ろかれぬる」を指す。 ※3柳桜をこきまぜて…素性法師の和歌「 見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけ る」を指す。 ※4語彙…言葉の総体。 |