長文集  4月4週  ○最近の日本には  ha-04-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2015/03/15 14:14:19
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は
一番目の長文です。】
「ばあちゃん、もう春は来とるんかな」
 ヨウはかまどに薪をくべているるい婆さん
に蒲団の中からちいさな顔だけを出して聞い
た。るい婆さんはもやのたちこめる暗い土間
の隅にしゃがんだままゆっくりとふりむいて

「春の夢でも見たんかや」
と日焼けした顔から白い歯をのぞかせて言う
と、こくりとうなずいた孫娘に、
「ああ、もうとっくに日向ッ原(ひなっぱら
)じゃ春の歌がはじまっとるぞ」
とうれしそうに笑いかけた。
 ヨウはおおきな目をかがやかせて、蒲団を
跳ね上げて立ち上がると、土間のサンダルを
つっかけ寝間着のまま外へ走り出した。
「こらっ、顔を洗ってから行かんか」
背後で聞こえる、るい婆さんの声にヨウは首
を横にふりながら、島の南西を見下ろせる裏
手の段々畑までの畔道(あぜみち)をかけ上
がって行った。
 昨日まではぬかるんでいた道をヨウは犬の
ように跳ねながら走 る。イモ畑を越え蜜柑
の木の下を抜けて、牛のモグがいる小屋の前
にたどり着くと、ヨウは立ち止まって朝陽に
光る海を見下ろした。
 半月余り続いた雨が上がった瀬戸内海は無
数の波頭(なみがし ら)が西へむかう鳥の
群れのように踊っていた。ヨウは肩で息をし
ながらおおきな目を少しずつ下げて行く。海
原にむかって突き出した皇子(みこ)岬、左
手にとんがり帽子のように頭を見せる岬の白
い岩肌が草のひろがる緑にかわると、そこだ
け円形のステージのように丸くなった草原、
日向ッ原が見えた。
「モグ、見てごらんよ。春が来とるよ。日向
ッ原に、いっぺんに春が来とるよ」
 ヨウは大声で叫んだ。
 日向ッ原はまるで花たちが一夜のうちに開
花したかのように菜の花とれんげが一面に咲
いていた。春風の織ったじゅうたんがヨウの
目にあざやかに映った。
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「やっぱり夢で見たとおりだよ、モグ」∵
 ヨウはその場で飛び跳ねると、いつものよ
うに口をもぐもぐとさせているモグの首に抱
きついた。モグは喉を鳴らしてから、ヨウの
身体を釣り上げるように首を回した。

(伊集院静「機関車先生」)∵
 【1】最近の日本にはプロフェッショナル
が少ないと思います。いつからか専門家とい
うか、プロフェッショナルが敬遠され始め 
た。なぜそうなったか分析はしていないけれ
ど、結果としてアマチュアがもてはやされる
国になってしまった。【2】何のプロでもな
い者が、日常感覚でものをいうことが大変重
要だというような、そんな価値観がはびこっ
ています。
 たとえば審議会などに参加しても、普通の
人としかいいようのない委員が堂々と日常感
覚の意見を述べる。【3】その情報はいわゆ
るマスコミで取り上げられるような程度で、
実際のところはどうなっているのか、そのデ
ータを知らないのに、ある限られた情報源に
基づく日常感覚があたかもすべての判断の基
準かのようなことを主張する。【4】またそ
れがもっともなことのように、マスコミで取
り上げられる。最近はそういうことを頻繁に
見かけます。
 本来、そういう場は、さまざまな分野のプ
ロフェッショナルの意見を聞くところでした
。【5】プロとはあることがらに関する事実
がどうなっているのか、少なくともある条件
下ではあるにしても、客観的なデータとして
把握しています。国というものは、プロフェ
ッショナルが運営しなければ危険きわまりな
い。【6】もっとも、最近の政治家も大衆に
迎合するばかりですから、その程度のアマチ
ュアの政治家が多いということですが。いま
の我が国は、この意味では限りなくアマチュ
アの国になりつつあると思います。
 【7】ここでいうアマチュアとは、その主
張の根拠がほとんどマスコミに出ている程度
のことにある人のことです。自分の知ってい
る範囲のことをすべてだと思い込み、あたか
もそれが正論であるかのように、堂々としゃ
べる。そんな風潮が目につきすぎます。
 【8】結局、そういう人たちには謙虚さが
ないということです。実際のところはよく知
りませんが、私の知っている範囲はこうだけ
ど――といういい方をするのが当然なのに、
そうではありません。これっぽっちの経験し
かないのに、それを拡大して、人類一般の普
遍的な話としてどうのこうのというような議
論までするわけです。【9】こういう状態を
見ていると、この国はどうしようもない国に
なったなという感じがします。∵
 プロフェッショナルがいないということは
、いいかえれば、エリートが少なくなったと
いうことかもしれません。いい大学に入っ 
て、いい会社に入って、というのがエリート
という意味ではありません。【0】自分の頭
できちっと考えることができる、しかもその
座標軸は古今東西の歴史から、芸術、哲学に
通じ、科学に通じる、それがエリートです。
このような広い時空スケールの中に自分の尺
度を持ち、したがってすべてのことが判断で
き、行動できる。それがエリートです。
 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人
間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆ
る秀才というのは所詮、与えられた問題が解
けるだけの人間です。解くべき問題がつくれ
ない人が、多い。問題がつくれない人はエリ
ートではありません。
 戦後教育は、あえてエリートをつくろうと
しなかったともいえます。すべての子どもに
、最初から我(が)がある、などという誤っ
た前提に立ったために、教育と呼べるような
教育をしてこなかったのではないでしょうか
。だから、当然のことながらエリートは育た
なかったのです。

(松井孝典『コトの本質』(講談社))