1. 【1】里山を歩いていると何人ものハイカーとすれちがいます。それぞれの人は何かの楽しみを求めて里山を
訪れているのです。遠い
故郷のかわりに、ダイエットのため、おいしい空気を
吸うため、写真をとったりスケッチをするため、バードウォッチングのため、つりのため、などさまざまでしょう。【2】それぞれの目的を気持ちよく、楽しく達成させてくれるのが里山の景観であり、それを構成する野生生物を中心とした自然です。
2.
奥武蔵の里山を
訪れたときのことです。秋の終わりで道ばたの草もほとんど
枯れていました。【3】せまい谷間に農家が点々とあり、だんだん畑がきれいに整備されています。雑木林やスギ林もきれいに手入れされています。たいへん美しい景観です。しかし、村のあちこちに立てられた
看板が目ざわりです。【4】
看板には、「
駐車禁止」とか「ゴミを
捨てるな」とか、「
私有地につき立ち入り禁止」とか、「山野草の花をつむな」とか、そして「山野草の採集は
窃盗罪」とまで書いてあります。何か
殺伐としています。里山をきれいに
維持している村の人びとにとって、ハイカーのマナーの悪さは目にあまるのでしょう。
3.(中略)
4. 【5】今、美しく
維持されている里山は、必要なてまひまをすべて山里の人びとの
善意に負っています。たまに
訪れる私のようなハイカーが里山を楽しむとき、山里の人びとの
善意にただあまえているだけです。また、里山には治山、治水という機能があります。【6】山が
荒れて
土砂を川に流しこみ、中流や下流に水害をおこさせないようにするはたらきです。おいしい水を川へゆっくり
供給するという機能もあります。
5.
私は、里山を
私有財産という
枠組みのなかだけで考えていたのでは守れないと思います。【7】都市に
暮らす人びとが、大切な里山を
維持してもらえるように山里の人びとに対して相応の
負担をするべきではないかと考えています。それは金銭的な
補助もあるでしょうが、人手が不足している里山で下
草刈りなどの世話をするボランティア活動であってもいいと思います。【8】里山は人間によってつくら∵れ、
維持されてきた自然だということを考えると、都市の人びとがここを
訪れて仕事をする後者のほうがよいと思いますが。これに行政側が資金的な
援助をすればよいのです。
6. 【9】早春になると里山のウグイスは町までおりてきます。このころには
立派に「ホーホケキョッ」とさえずることができるようになっています。すこし前まで東京の町でもウグイスのさえずりをたくさんきくことができました。【0】最近では都会のウグイスが少なくなってきたような気がします。都会の緑が少なくなってきたことが原因でしょう。それに、緑があっても、かなりとびとびになってしまったことも関係します。ウグイスはしげみを好む野鳥だからです。鳥ですから空をとべますが、体をむきだしにするのは不安なのでしょう。これでは都会にやってくることはできません。
7. 雑木林に生活する野生動物たちのなかには一生をそこで終えるものもいますが、一時期だけ
訪れるものもいます。一日の間にある雑木林から別の雑木林へと移動しながら食べ物を食べるサルのような動物もいます。里山と平地を行ったり来たりするウグイスのような動物もたくさんいます。開発が進む里山では、新しい道路がつくられ、野生動物たちが
訪れる林が分断されることが多くなりました。このため、里山の野生動物の交通事故がめだってふえているようです。「シカに注意」とか、「タヌキに注意」といった道路標識を見かけることが多くなっています。これまたとうぜんですが、シカやタヌキにはこの道路標識は読めません。人間の側の注意と
配慮がもっと必要です。野生動物たちにとっていちばんいいのは緑のコリドー(
回廊)です。野生動物の体をかくしてくれる緑の
廊下です。緑のコリドーとは人間が立ち入らないことにします。野生動物たちは安心して緑のコリドーを伝わって移動できます。工事費が多少高くついても、道路の一部を地面より下のトンネルなどにして緑のコリドーをつくる工夫が必要でしょう。
8. (
山岡寛人『自然保護は何を保護するのか』