長文集  4月1週  ○こうしてこれまでに人間は  ha-04-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2017/03/14 10:46:49
【長文が二つある場合、音読の練習はどちら
か一つで可。】
【1】「大丈夫、寒くない、寒くないぞ。」
 僕はドアを開けて外へ飛び出した。
 もうすっかり春とはいえ、半ズボンはさす
がに寒い。しかし、これに負けていてはいけ
ないのだ。僕には自分を鍛え直して健康にな
るという、大きな目標があるのだから。
 【2】僕は体が弱い。すぐに喉が痛くなっ
て熱が出るし、お腹を壊すし、貧血になる。
苦しい思いはたびたびしてきたが、今までそ
れで困ったことはなかった。周りもみんな気
をつかって、助けてくれていたからだ。
 【3】だが去年、僕は高熱を出してしまい
、林間学校に参加することができなかった。
その旅の様子は、みんなから聞いた話と、撮
られた写真でしか僕(ぼく)には分からない
。みんな最高に楽しそうな笑顔で写真に写っ
ている。
 【4】誰にからかわれたわけでもなかった
が、自分がみじめで悔しい思いがした。だか
ら僕は一念発起したのだ。今年は日光への修
学旅行がある。それには絶対に参加するのだ
、と。
 そのため、手始めに僕は半ズボンをはいて
通学し、寒さに慣れることにした。
【5】「大丈夫、恥ずかしくない、恥ずかし
くないぞ。」
 僕は自分に言い聞かせて、ドアを開けて教
室に飛び込んだ。見慣れない僕の半ズボン姿
に、友人たちは実にいろいろな反応をした。
「えっ。」という表情になる人もいたし、「
なに、その格好。」と笑う人もいた。【6】
しかし、そのくらい、なんてことはない。こ
れは目標達成のための、僕なりの努力なのだ
。笑いたければ笑えばいいという感じである

 そもそも、体育のときはみんな短パンで運
動しているのだ。私服の半ズボンだけ恥ずか
しがることはないはずだ。【7】僕はいつも
どおりに挨拶をして、席に座った。僕の覚悟
が伝わったのか、友達もすぐに何も言わなく
なった。∵
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 目標のためなら、人間は大胆な行動がとれ
る。むしろ、大胆な発想や決断なくしては人
間の進歩はないと言っていい。【8】そう考
えると、僕の似合わない半ズボン姿だって、
まるでピカソの芸術やエジソンの発明のよう
に輝かしいものではないだろうか。
 この前の朝礼のとき、校長先生が「寒い日
が続きますが、今朝、私の横を元気に駆け抜
けていった生徒が半ズボンで……」という話
をした。【9】それは間違いなく、僕のこと
だ。やはりこれは誇っていいことなのだと実
感した。僕はこれからも半ズボンをはき続け
ていこう。
「大丈夫。寒くないぞ。」
 僕は、今日も半ズボン姿で元気に学校に向
かう。【0】

(言葉の森長文作成委員会 ι)∵
 【1】こうしてこれまでに人間は、平和の
ための備えをし、平和のためと称する戦争を
始め、いつしかそれが人間から平和を奪うた
だの戦争になっていた、という経験をしばし
ばしてきました。【2】備えをすることが全
く不要だとは言えないでしょうが、平和とい
うものが相手のある問題、他者との関係であ
る以上、備えさえあれば平和でいられるとい
う単純なものではないことも、次第に明らか
になってきたのです。
 【3】加えて、平和についての思索が進む
につれ、こういう別の問題も意識されるよう
になります。すなわち、戦争さえなければそ
れで平和と言えるか――。
 たとえば、多くの人々が極度の貧困にさい
なまれ、飢えに苦しんでいるような社会は平
和だろうか。【4】また、人種や性による差
別が根強く残り、女児の就学率が男児のそれ
よりもいちじるしく低いような社会は平和だ
ろうか。あるいは、字が読めないばかりに十
分な社会参加ができず、自分たちが不利益を
こうむっていることさえ気づかない人がたく
さんいる社会は平和か。そういう問題です。
 【5】一九六〇年代も終わる頃、それらも
また暴力と呼ぶべき だ、と主張する学者が
現れました。ノルウェーのヨハン・ガルトゥ
ンクという人です。【6】いま述べたさまざ
まな問題は、誰かが誰かを殴ったり殺したり
するという意味での暴力ではないが、みずか
ら望んだわけではない不利益をこうむる人は
確実にいるのだから、それもまた別のかたち
の暴力と呼ぶべきだという考え方で、その種
の「暴力」に「構造的暴力」という名前をつ
けました。【7】これに対し、人を殴ったり
殺したりするような種類の暴力を「直接的暴
力」と呼びます。
 「構造的」という言葉づかいはあまりなじ
みのないものかもしれませんが、おおよそ次
のような意味です。たとえば、一つの社会の
中で、一方には巨額の富を占め、飽食してい
る人がいる。【8】もう一方にはいくら働い
ても十分な収入が得られず、あるいは職さえ
も得られず、十分な食糧さえ得られない人が
いる。それが当人たちの能力ややる気の問題
ではなく、富の配分の仕組みが不適切である
ことの結果であるとしたなら、また、特定の
人種や性が原因でなかば自動的に貧困や飢餓
の中に閉じ込められているとしたなら【9】
―∵―それは社会構造が原因で生み出されて
いる暴力と呼ぶほかないのではないか。富め
る人々が貧しい人々を殴りつけて飢えさせて
いるのではなく、したがって加害者は特定で
きないが、社会構造の被害者はいるという意
味での「暴力」なのではないか。【0】
 この構造的暴力論は、それまでの平和論の
見落としていた点を浮き彫りにし、新たな地
平を開くものでした。それまでは「戦争のな
いこと」が「平和」だとされていたのに対し
、戦争がなくとも「平和ならざる状態」はあ
る、という視点を理論化するものだったから
です。その背後には、平和とは何より社会正
義の問題なのではないか、という問題意識が
あります。人間が自分の責任によらないこと
で差別され、排除され、悲しみ、傷つくのは
平和とは言えないのではないか、という問題
意識です。
 平和研究の課題は一挙に広がりました。戦
争や武力紛争や軍拡が主題だった(少なくと
もそう信じられていた)のに対し、貧困や開
発や人権や平等といった、いわば非軍事的な
社会問題に関心を広げていったのです。いま
でも平和研究といいますと戦争や軍拡の研究
ですねと言う方が少なくありませんが、けっ
してそうではありません。それ以外の問題に
対する関心も高く、その中にはジェンダーと
か環境とかいった、今日的な問題も含まれま
す。それは単に「研究対象を広げた」という
ことではありません。暴力の意味が変わり、
平和の意味が変わったからそれらの問題が必
然的に平和研究に入り込んできた、というこ
となのです。

(最上敏樹『いま平和とは』)