ハギ の山 4 月 1 週 (5)
○こうしてこれまでに人間は   池新  
【長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。】
【1】「大丈夫、寒くない、寒くないぞ。」
 僕はドアを開けて外へ飛び出した。
 もうすっかり春とはいえ、半ズボンはさすがに寒い。しかし、これに負けていてはいけないのだ。僕には自分を鍛え直して健康になるという、大きな目標があるのだから。
 【2】僕は体が弱い。すぐに喉が痛くなって熱が出るし、お腹を壊すし、貧血になる。苦しい思いはたびたびしてきたが、今までそれで困ったことはなかった。周りもみんな気をつかって、助けてくれていたからだ。
 【3】だが去年、僕は高熱を出してしまい、林間学校に参加することができなかった。その旅の様子は、みんなから聞いた話と、撮られた写真でしか僕(ぼく)には分からない。みんな最高に楽しそうな笑顔で写真に写っている。
 【4】誰にからかわれたわけでもなかったが、自分がみじめで悔しい思いがした。だから僕は一念発起したのだ。今年は日光への修学旅行がある。それには絶対に参加するのだ、と。
 そのため、手始めに僕は半ズボンをはいて通学し、寒さに慣れることにした。
【5】「大丈夫、恥ずかしくない、恥ずかしくないぞ。」
 僕は自分に言い聞かせて、ドアを開けて教室に飛び込んだ。見慣れない僕の半ズボン姿に、友人たちは実にいろいろな反応をした。「えっ。」という表情になる人もいたし、「なに、その格好。」と笑う人もいた。【6】しかし、そのくらい、なんてことはない。これは目標達成のための、僕なりの努力なのだ。笑いたければ笑えばいいという感じである。
 そもそも、体育のときはみんな短パンで運動しているのだ。私服の半ズボンだけ恥ずかしがることはないはずだ。【7】僕はいつもどおりに挨拶をして、席に座った。僕の覚悟が伝わったのか、友達もすぐに何も言わなくなった。∵
 目標のためなら、人間は大胆な行動がとれる。むしろ、大胆な発想や決断なくしては人間の進歩はないと言っていい。【8】そう考えると、僕の似合わない半ズボン姿だって、まるでピカソの芸術やエジソンの発明のように輝かしいものではないだろうか。
 この前の朝礼のとき、校長先生が「寒い日が続きますが、今朝、私の横を元気に駆け抜けていった生徒が半ズボンで……」という話をした。【9】それは間違いなく、僕のことだ。やはりこれは誇っていいことなのだと実感した。僕はこれからも半ズボンをはき続けていこう。
「大丈夫。寒くないぞ。」
 僕は、今日も半ズボン姿で元気に学校に向かう。【0】

(言葉の森長文作成委員会 ι)∵
 【1】こうしてこれまでに人間は、平和のための備えをし、平和のためと称する戦争を始め、いつしかそれが人間から平和を奪うただの戦争になっていた、という経験をしばしばしてきました。【2】備えをすることが全く不要だとは言えないでしょうが、平和というものが相手のある問題、他者との関係である以上、備えさえあれば平和でいられるという単純なものではないことも、次第に明らかになってきたのです。
 【3】加えて、平和についての思索が進むにつれ、こういう別の問題も意識されるようになります。すなわち、戦争さえなければそれで平和と言えるか――。
 たとえば、多くの人々が極度の貧困にさいなまれ、飢えに苦しんでいるような社会は平和だろうか。【4】また、人種や性による差別が根強く残り、女児の就学率が男児のそれよりもいちじるしく低いような社会は平和だろうか。あるいは、字が読めないばかりに十分な社会参加ができず、自分たちが不利益をこうむっていることさえ気づかない人がたくさんいる社会は平和か。そういう問題です。
 【5】一九六〇年代も終わる頃、それらもまた暴力と呼ぶべきだ、と主張する学者が現れました。ノルウェーのヨハン・ガルトゥンクという人です。【6】いま述べたさまざまな問題は、誰かが誰かを殴ったり殺したりするという意味での暴力ではないが、みずから望んだわけではない不利益をこうむる人は確実にいるのだから、それもまた別のかたちの暴力と呼ぶべきだという考え方で、その種の「暴力」に「構造的暴力」という名前をつけました。【7】これに対し、人を殴ったり殺したりするような種類の暴力を「直接的暴力」と呼びます。
 「構造的」という言葉づかいはあまりなじみのないものかもしれませんが、おおよそ次のような意味です。たとえば、一つの社会の中で、一方には巨額の富を占め、飽食している人がいる。【8】もう一方にはいくら働いても十分な収入が得られず、あるいは職さえも得られず、十分な食糧さえ得られない人がいる。それが当人たちの能力ややる気の問題ではなく、富の配分の仕組みが不適切であることの結果であるとしたなら、また、特定の人種や性が原因でなかば自動的に貧困や飢餓の中に閉じ込められているとしたなら【9】―∵―それは社会構造が原因で生み出されている暴力と呼ぶほかないのではないか。富める人々が貧しい人々を殴りつけて飢えさせているのではなく、したがって加害者は特定できないが、社会構造の被害者はいるという意味での「暴力」なのではないか。【0】
 この構造的暴力論は、それまでの平和論の見落としていた点を浮き彫りにし、新たな地平を開くものでした。それまでは「戦争のないこと」が「平和」だとされていたのに対し、戦争がなくとも「平和ならざる状態」はある、という視点を理論化するものだったからです。その背後には、平和とは何より社会正義の問題なのではないか、という問題意識があります。人間が自分の責任によらないことで差別され、排除され、悲しみ、傷つくのは平和とは言えないのではないか、という問題意識です。
 平和研究の課題は一挙に広がりました。戦争や武力紛争や軍拡が主題だった(少なくともそう信じられていた)のに対し、貧困や開発や人権や平等といった、いわば非軍事的な社会問題に関心を広げていったのです。いまでも平和研究といいますと戦争や軍拡の研究ですねと言う方が少なくありませんが、けっしてそうではありません。それ以外の問題に対する関心も高く、その中にはジェンダーとか環境とかいった、今日的な問題も含まれます。それは単に「研究対象を広げた」ということではありません。暴力の意味が変わり、平和の意味が変わったからそれらの問題が必然的に平和研究に入り込んできた、ということなのです。

(最上敏樹『いま平和とは』)