長文 3.4週
1. 北極ほっきょく地方ちほうは、さむさがたいへん厳しくきび  うみもほとんどこおりでおおわれています。いまでは、北極ほっきょく陸地りくちがないことがわかっていますが、むかし地図ちずなかには、北極ほっきょくてん中心ちゅうしんに四つの大陸たいりく描かえが れているものがあります。北極ほっきょくてん陸地りくちうみかということさえ、長いなが あいだ、なぞだったのです。
2. 十六世紀せいきに、ふねによる北極ほっきょく探検たんけん始まりはじ  ました。北極海ほっきょくかいには、あつさが天井てんじょうたかさほどもあるこおりが一めん浮かびう  、ゆっくりと移動いどうしています。北極ほっきょく探検たんけんでは、移動いどうしてきたこおりふね閉じ込めと こ られて遭難そうなんするなど、多くおお いのち失わうしな れました。
3. もう一つ、探検たんけんたちに恐れおそ られていたのは、壊血病かいけつびょうという原因げんいん不明ふめい病気びょうきです。これはなかなか解決かいけつできない問題もんだいで、この病気びょうきによって隊員たいいんたちが次々つぎつぎ倒れたお ていきました。この病気びょうき原因げんいんは、ビタミンCの不足ふそくでした。航海こうかいちゅうには、野菜やさい果物くだものなどの新鮮しんせん食べ物た もの食べるた  ことが難しいむずか  ので、知らし 知らし ずのうちにビタミンCが足りた なくなっていたのです。
4. 十九世紀せいき終わりお  ごろから、探検たんけんたちはさまざまなルートで北極圏ほっきょくけん入りはい 地球ちきゅう最ももっと きたである北極ほっきょくてんをめざしました。ノルウェーのナンセンは、北極ほっきょくてんのすぐ近くちか までふね近づくちか  ことができました。しかし、すぐ近くちか 言っい てもその距離きょりは、東京とうきょう大阪おおさかほども離れはな ていました。また、南極なんきょく探検たんけん有名ゆうめいなアムンゼンは、大西洋たいせいようからアメリカ大陸    たいりくきた通っとお 太平洋たいへいようにぬける北西ほくせい航路こうろを、初めてはじ  通過つうかすることに成功せいこうしました。
5. 西洋せいようじんとして北極ほっきょくてん最初さいしょ立った たのは、アメリカのロバート・ピアリーだと言わい れています。しかし、かれ簡単かんたん北極ほっきょくてん到達とうたつできたわけではありませんでした。初めてはじ  北極ほっきょくてん挑んいど 探検たんけんだい失敗しっぱい終わりお  凍傷とうしょうによりあしゆび八本はっぽん失っうしな てしまったのです。普通ふつうだったらどうしようと途方とほう暮れく てしまうところですが、それでもピアリーは負けま ませんでした。失敗しっぱいした体験たいけん生かしい  長いなが 時間じかんをかけて計画けいかく練り直しね なお 再びふたた 新たあら 探検たんけんました。この探検たんけんでは、さむさに強いつよ 犬ぞりいぬ  や、イグルーというこおり作っつく いえをうまく使いつか 、ついに北極ほっきょくてん到達とうたつすることができました。十六世紀せいき北極ほっきょく地方ちほうへの探検たんけん始まっはじ  てから、やくひゃくねんもの年月ねんげつがたっていました。
6. 西洋せいようじんにとっては、長いなが あいだ北極ほっきょく未知みち世界せかいでしたが、北極圏ほっきょくけんには、もともと先住民せんじゅうみんぞく住んす でいました。彼らかれ はイヌイットと呼ばよ れており、何世紀なんせいきものあいだ外部がいぶとほとんど接触せっしょくをしないで暮らしく  てきました。うみ住むす アザラシやセイウチなどの狩りか 中心ちゅうしん生活せいかつ営みいとな 独自どくじ文化ぶんか作っつく ていたのです。イヌイットは、西洋せいようじんよりもはるかに北極ほっきょくのことをよく知っし ており、探検たんけんたちが、彼らかれ から学ぶまな べきことは多くおお ありました。最後さいご探検たんけんのとき、ピアリーは、厳しいきび  北極ほっきょく環境かんきょう慣れな 多くおお のイヌイットを連れつ ていました。イヌイットのちから借りか たことも、ピアリーを成功せいこうにみちびく大きなおお  要因よういんだったのでしょう。

7. 言葉ことばもり長文ちょうぶん作成さくせい委員いいんかい(κ)