1.
宮崎県の
幸島というところにいる
野性のサルのむれは、
人間がまいてやるサツマイモを
海の
波であらって、
塩水の
味つけをして
食べることで
有名です。
2. そのころ、
日本ではまだあまりサルの
研究をする
人がいませんでした。しかし、サルが
大好きだった
京都大学の
今西錦司さんたちは、
幸島のサルを
観察したくてやってきたのでした。ところが
幸島のサルは、
猟で
狩られたことがあったために、
人間をとてもこわがっていました。そこで
京都大学の
人たちは、サルを
安心させようと、サツマイモをまいてやりました。そのサツマイモを、サルはあらって
食べるようになったのです。それまで
外国では、サルの
研究をするとき、えさをまいてやるということはしていませんでした。
3. そのほかにも、
外国の
人がやっていないことを、この
日本の
若い研究者たちはしました。むれのサルに、
一匹一匹名前をつけて
観察したのです。たとえば、こわいボスザルには「カミナリ」、わかくて
頭のいいオスザルには「ヒヨシマル」といったぐあいです。
4.
日本での
研究になれてくると、
京都大学の
人たちは、アフリカに
行ってゴリラやチンパンジーの
研究もするようになりました。
5. そして、
研究したことを
国際会議で
発表しましたが、それを
聞いて
世界のサル
学者たちはたいへんおどろきました。
日本で、こんなにりっぱなサルの
研究がされていたとは
思っていなかったのです。
日本のサルの
研究がいちばん
進んでいる、と
世界のサル
学者たちは
感心しました。そんな
世界のサル
学者たちが
最も驚いたのが、
日本人がサルたちに
名前をつけていたことなのでした。
6.
世界の
学者たちは、サルに
番号しかつけていませんでした。それに、サルの
顔や
性格が
一匹一匹ちがうことにも
気がついていなかったのです。∵
7.
西洋の
人は、
人間と
動物はまったくちがうものだと、はっきりわけて
考えていました。けれど、
日本人は
昔から、
人間と
動物とはあまり
変わらないものだという
考え方だったのです。サルもタヌキもキツネも、
日本人にとっては
同じ村の
仲間のようなものでした。だから、
今の
時代になっても、
若い研究者はごく
自然に、サルになまえをつけたのでした。サルを
番号でよぶことのほうが、むしろやりにくかったのです。
8.
最初のころ、
世界の
学者たちは、
日本人がサルに
近いからそういうことができるのだと
考えていました。しかし、
今では、
世界中のサルの
研究者たちは、この
日本の
方法を
使って、サルたちに
名前をつけて
研究するようになっています。そのほうが、サルたちの
社会や
生活について、よく
理解できることがわかったからです。
9.
言葉の
森長文作成委員会(λ)