長文 9.1週
1. 二十年ぐらい前から、私は読書日記をつけています。それを見ますと、これまでに感銘かんめいを受けた本は、四書五経をはじめとして枚挙のいとまがありません。
2. その中で一冊を挙げるとすれば、クリスチャンである私は聖書としたいところです。が、あえて推薦すいせんしたいのは、家内と私が共に感銘かんめいを受けた遠藤えんどう周作の『沈黙ちんもく』です。
3. “沈黙ちんもく”といえば、キリスト教徒は、即座そくざ十字架じゅうじか上のキリストを思い出します。キリストは「何ぞ我を見捨てたもうや」と叫びさけ ますが、ついに神の救いは現れません。これを神の“沈黙ちんもく”といっています。
4. 実は、私は若いころからこの“沈黙ちんもく”に関して疑問を持っていました。その赤裸々せきららで根源的な疑問に人間味のある答えを出してくれたのが、遠藤えんどう周作の『沈黙ちんもく』だったのです。
5. 昭和四十七年に、私は住友銀行のロンドン支店に赴任ふにんしました。イギリスで、私は宗教上の悩みなや 抱えるかか  ようになったのです。英国の歴史をさかのぼ(さかのぼ)ると、宗教への疑問は増すばかりでした。
6. 一つは、女狂いおんなぐる で有名な国王へンリー八世です。かれは宗教上離婚りこんが認められないということで、七人のおきさきを次々と殺害して結婚けっこんを重ねたといわれています。かれのお城には、七人のおきさきのドレスが今でも物悲しく陳列ちんれつされていますが、かれはカトリック信者でありながら、なぜか罪を問われなかった。
7. さらには、宗教上の対立が激しい、北アイルランド問題があります。私自身、駐在ちゅうざい中に「なんじの敵を愛せよ」といっているカトリックとプロテスタントが互いにたが  を向け合っている事実を目のあたりにしました。次第に、私の中には「神は果たして人間を救ってくれるものだろうか」という思いが頭をもたげてきたのです。そうした問題と相まって、“沈黙ちんもく”についても疑問は深まるばかりでした。そんなとき、タイトルに引かれてふと手にしたのが『沈黙ちんもく』です。読むと、まさに目からうろこが落ちる思いでした。∵
8. 作者も主人公を通して「神は果たして存在するのか」と問いかけていました。遠藤えんどうさんは、キリスト教徒として、私と同じ問題を共有していたことを、ひしと感じたのです。
9. 小説は、「ローマ教会に一つの報告がもたらされた」という書き出しで始まります。鎖国さこくの日本に、三人の若いポルトガル人の司祭が日本上陸を果たした、その報告の形をとっています。
10. 当時の日本は、キリシタン禁制で島原の乱が鎮圧ちんあつされたばかりですから、命をかけた日本上陸でした。彼らかれ は間もなく捕らえと  られ、過酷かこく拷問ごうもんの責め苦に遭いあ 、背教を強いられるのです。
11. そして踏絵ふみえに足をかけるとき、
12.「その(キリストの)顔は今、踏絵ふみえの木のなかで磨滅まめつ凹みへこ 哀しかな そうな眼をしてこちらを向いている。(踏むふ がいい)と哀しかな そうな眼差しは私にいった」。「主よ。あなたがいつも沈黙ちんもくしていられるのを恨んうら でいました」
13.「私は沈黙ちんもくしていたのではない。一緒いっしょに苦しんでいたのに」
14. 作者は、キリシタン禁制という信仰しんこうのけわしさの中で、キリストは踏絵ふみえ踏まふ れつつ教者をゆるしていたのだ――という一つの答えを提示することでカトリックの「普遍ふへん性」を問いかけています。私にとっての宗教とは、生きるための一つの指針であります。その思いを強くひびかせてくれたのが『沈黙ちんもく』だったのです。

15. (月刊「知」伊藤いとう朝夫氏の文章より)