長文集  9月1週  ★二十年ぐらい前から(感)  1i-09-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2020/06/14 15:05:45
 二十年ぐらい前から、私は読書日記をつけ
ています。それを見ますと、これまでに感銘
を受けた本は、四書五経をはじめとして枚挙
のいとまがありません。
 その中で一冊を挙げるとすれば、クリスチ
ャンである私は聖書としたいところです。が
、あえて推薦したいのは、家内と私が共に感
銘を受けた遠藤周作の『沈黙』です。
 “沈黙”といえば、キリスト教徒は、即座
に十字架上のキリストを思い出します。キリ
ストは「何ぞ我を見捨てたもうや」と叫びま
すが、ついに神の救いは現れません。これを
神の“沈黙”といっています。
 実は、私は若いころからこの“沈黙”に関
して疑問を持っていました。その赤裸々で根
源的な疑問に人間味のある答えを出してくれ
たのが、遠藤周作の『沈黙』だったのです。
 昭和四十七年に、私は住友銀行のロンドン
支店に赴任しました。イギリスで、私は宗教
上の悩みを抱えるようになったのです。英国
の歴史を遡(さかのぼ)ると、宗教への疑問
は増すばかりでした。
 一つは、女狂いで有名な国王へンリー八世
です。彼は宗教上離婚が認められないという
ことで、七人のお妃を次々と殺害して結婚を
重ねたといわれています。彼のお城には、七
人のお妃のドレスが今でも物悲しく陳列され
ていますが、彼はカトリック信者でありなが
ら、なぜか罪を問われなかった。
 さらには、宗教上の対立が激しい、北アイ
ルランド問題があります。私自身、駐在中に
「汝の敵を愛せよ」といっているカトリック
とプロテスタントが互いに刃を向け合ってい
る事実を目のあたりにしました。次第に、私
の中には「神は果たして人間を救ってくれる
ものだろうか」という思いが頭をもたげてき
たのです。そうした問題と相まって、“沈黙
”についても疑問は深まるばかりでした。そ
んなとき、タイトルに引かれてふと手にした
のが『沈黙』です。読むと、まさに目から鱗
が落ちる思いでした。∵
 作者も主人公を通して「神は果たして存在
するのか」と問いかけていました。遠藤さん
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は、キリスト教徒として、私と同じ問題を共
有していたことを、ひしと感じたのです。
 小説は、「ローマ教会に一つの報告がもた
らされた」という書き出しで始まります。鎖
国の日本に、三人の若いポルトガル人の司祭
が日本上陸を果たした、その報告の形をとっ
ています。
 当時の日本は、キリシタン禁制で島原の乱
が鎮圧されたばかりですから、命をかけた日
本上陸でした。彼らは間もなく捕らえられ、
過酷な拷問の責め苦に遭い、背教を強いられ
るのです。
 そして踏絵に足をかけるとき、
「その(キリストの)顔は今、踏絵の木のな
かで磨滅し凹み、哀しそうな眼をしてこちら
を向いている。(踏むがいい)と哀しそうな
眼差しは私にいった」。「主よ。あなたがい
つも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦し
んでいたのに」
 作者は、キリシタン禁制という信仰のけわ
しさの中で、キリストは踏絵で踏まれつつ棄
教者をゆるしていたのだ――という一つの答
えを提示することでカトリックの「普遍性」
を問いかけています。私にとっての宗教とは
、生きるための一つの指針であります。その
思いを強くひびかせてくれたのが『沈黙』だ
ったのです。

 (月刊「致知」伊藤朝夫氏の文章より)