1. よく、教え方がよければ、子供の能力は
伸びる、といわれる。だが、
伸びるのはその子の持って生まれた能力に応じた学力である。ただし、先に述べたように、
伸び方に限りがあるが……。早い話、有名受験
塾がなぜ
入塾テストを
実施しているとお思いだろうか。素質のない子をいくら教えても、有名中学入試の高いハードルを
越えさせられないからである。
2. どうして、この種の情報がきちんと示されないのか。オフレコの約束で(ほとんどの関係者がそうだった)「知能指数と学力は大いに関連がある」と認めた何人かの教育学者に、「教育改革の柱にいつも入試改革が
掲げられるのは教育力に対する
幻想があるからだ。それを
打ち砕くためにも、その意見を公にしたほうがよい」と
迫ったことがある。いずれの学者の答えも同工異曲だった。
3. 「そんなことをしたら、学界で
袋叩きにあいますよ。科学的に証明するのはかなり難しいですし」
4. また、文部
官僚の多くはこういう表現をした。
5. 「それをいっちゃおしまいですよ」
6. 教育力が大きく見えたほうが都合がいい。国民が聞きたくないことをあえて声高にいう必要もないではないか、というわけだ。
7. しかし、こんなことは専門家の言を待つ必要もない。われわれ自身の学校生活を
振り返れば思い当たることである。
8. それなのに、親たちは受験産業の「学習能力は
伸びる」というかけ声に
踊らされて、子供を遊ばせるべき時期に
塾に通わせる。有名中には入れなくても、公立中に行けるのだから落ちてもともと、などと思うなかれ。その子の失ったものは大きい。傷ついたプライドを
癒すのは大人でも大変な作業だ。運よく合格したとしても、その学校生活は、それまでに
払った
犠牲に見合うものといえるのかどうか。∵
9. 意思決定の未熟な子供に深夜まで勉強をさせるのは
壮大なるムダだ(たとえ希望校に合格したとしても)。教育で人間の素質が
伸びるということはあり得ない。教育には、そんな
魔法のような力はない。大学入学が目標なら、高校の段階で自分で判断させるのが最適だ。そのころには自分の能力も適性も
漠然とながらわかっている。納得ずくの努力は、自立心を
培う。
10. 進学
塾通いにはまた、次のような
恐ろしさがある。それはコミュニティーの
核の一つである公立校の
地盤沈下の下地になっているからだ。進学
塾通いの生徒は、学校生活において消極的な姿勢になりがちだ。大手のある進学
塾では公然と「学校では手を
抜け」と親子に
勧めている。「とくに体育。運動会なんかで
頑張るのは、
愚の骨頂」というわけだ。リーダーになるべき子供たちが(その親も)上の空の状態なのに、
魅力ある学校になんかできるわけがない。
11. いま、
普通の公立中学校が
抱える問題は、
迎え入れる母集団に素質のある子が
抜けているうえ、有名中学不合格組を
抱えていることだ。不合格組は
挫折感を処理できず、問題行動に走る子も多い、という。生徒の母集団の力が弱まった学校をもり立てるのは容易なことではない。だから、親は子供を私立に
駆り立てる。
12. この
循環を断ち切るのは簡単だ。親が常識を
取り戻せばいい。午後十時、十一時に子供が
塾のかばんを背負って街を歩いているのは異常だと思うささやかな常識を、だ。
13. (月刊「
致知」石山
茂利夫氏の文章より)