長文 8.2週
1. 私は大田区のある町工場で、大企業きぎょうから持ち込まも こ れた試作品づくりの現場に出くわしたことがある。
2. 大企業きぎょうが示した設計図の問題点が指摘してきされる。この設計図では期待されるようには作動しない、この部分は曲線をもっと深くしないと噛み合わか あ ない、といったふうである。指摘してきするのは、作業衣を着た町工場のおっさんだ。
3. すぐに発注元の大企業きぎょうに問い合わせがなされる。多分大学出の設計専門家がコンピューターを駆使くしして書き上げた設計図なのだろうが、町工場の面々が指摘してきしたとおりに、たちまち修正される。つまり、大企業きぎょうの示した設計図は使いものにならなかったのだ。
4. この部分の材料になる鋼材は、どこそこでストックしているはずだ、ここの削りけず 出しはだれだれのところが得意だ、この旋盤せんばんはあそこにやってもらったほうがいい、ということで、町工場の面々は自転車に乗って飛び出していく。ここに出てくる「どこそこ」も「だれだれ」も「あそこ」も、すべて近隣きんりんの町工場である。
5. コンピュータで情報を検索けんさくすることもなく、電話さえも使わず、自転車で行き来しているうちに、たちまち段取りができてしまう。これはさまざまな技術を持った町工場が集積し、お互いに たが  いわゆるツーカーの関係を保っていればこそである。
6. そして、必要な材料や見事に加工された部分部分が寄せ集められ試作品が形をなしていく。
7. 私は息をのむ思いでことの成り行きを見つめていた。そして、経済大国日本の基盤きばんとなったモノづくりを根底で担った層がどこにいたのか、はっきりと見た思いがした。
8. しかも、その層はいまだに健在なのである。
9. 時代は確かに変わる。だが、変わってはならないものもある。その一つがモノづくりではないだろうか。
10. 過去の歴史にモノづくりをしなかった社会、モノづくりをやめてしまった社会がある。そして、そういう社会は必ず荒廃こうはいし、衰亡すいぼうしている。社会の根底にモノづくりの基盤きばん据えす 、それを保持しているかどうかは、その社会の未来を占ううらな バロメータといえるだろう。∵
11. 日本にはまだ、モノづくりを支える層が健在なのだ。これを時代に取り残されたなどと認識したら、大きな過ちを犯すことになる。
12. 経営学的視点からの批判にいたっては、見当はずれというべきだろう。企業きぎょう規模のふくらみにのみ評価の基準を置いて、成功不成功を判断することが唯一ゆいいつの物差しになっている悪癖あくへきのしからしむるものである。
13. 経営学的なものには最初から関心がなく欠落していたからこそ、技術の狭いせま 分野を特化して、モノづくりの基盤きばんを担うことができたということを知らなければならない。
14. 町工場の人びとに話を聞くと、決まって出てくるのが、モノづくりの喜びである。
15. 鋼材から思いどおりの曲面を削りけず 出すことができた。われながらほれぼれするような研磨けんまができた。そういう話をするときの彼らかれ の顔には、至福といっていい喜びが溢れあふ 出す。町工場の人びとを満たしているモノづくりの喜びに接するとき、私もまた幸福に感じずにはいられない。そして思うのである。モノづくりの喜びに満たされている町工場の人びとは、日本の宝だ、と。

16. (月刊「知」中沢なかざわ孝夫氏の文章より)