私は大田区のある町工場で、大企業から持 ち込まれた試作品づくりの現場に出くわした ことがある。 大企業が示した設計図の問題点が指摘され る。この設計図では期待されるようには作動 しない、この部分は曲線をもっと深くしない と噛み合わない、といったふうである。指摘 するのは、作業衣を着た町工場のおっさんだ 。 すぐに発注元の大企業に問い合わせがなさ れる。多分大学出の設計専門家がコンピュー ターを駆使して書き上げた設計図なのだろう が、町工場の面々が指摘したとおりに、たち まち修正される。つまり、大企業の示した設 計図は使いものにならなかったのだ。 この部分の材料になる鋼材は、どこそこで ストックしているはずだ、ここの削り出しは だれだれのところが得意だ、この旋盤はあそ こにやってもらったほうがいい、ということ で、町工場の面々は自転車に乗って飛び出し ていく。ここに出てくる「どこそこ」も「だ れだれ」も「あそこ」も、すべて近隣の町工 場である。 コンピュータで情報を検索することもなく 、電話さえも使わず、自転車で行き来してい るうちに、たちまち段取りができてしまう。 これはさまざまな技術を持った町工場が集積 し、お互いにいわゆるツーカーの関係を保っ ていればこそである。 そして、必要な材料や見事に加工された部 分部分が寄せ集められ試作品が形をなしてい く。 私は息をのむ思いでことの成り行きを見つ めていた。そして、経済大国日本の基盤とな ったモノづくりを根底で担った層がどこにい たのか、はっきりと見た思いがした。 しかも、その層はいまだに健在なのである 。 時代は確かに変わる。だが、変わってはな らないものもある。その一つがモノづくりで はないだろうか。 過去の歴史にモノづくりをしなかった社会 、モノづくりをやめてしまった社会がある。 |
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 |
そして、そういう社会は必ず荒廃し、衰亡し ている。社会の根底にモノづくりの基盤を据 え、それを保持しているかどうかは、その社 会の未来を占うバロメータといえるだろう。 ∵ 日本にはまだ、モノづくりを支える層が健 在なのだ。これを時代に取り残されたなどと 認識したら、大きな過ちを犯すことになる。 経営学的視点からの批判にいたっては、見 当はずれというべきだろう。企業規模のふく らみにのみ評価の基準を置いて、成功不成功 を判断することが唯一の物差しになっている 悪癖のしからしむるものである。 経営学的なものには最初から関心がなく欠 落していたからこそ、技術の狭い分野を特化 して、モノづくりの基盤を担うことができた ということを知らなければならない。 町工場の人びとに話を聞くと、決まって出 てくるのが、モノづくりの喜びである。 鋼材から思いどおりの曲面を削り出すこと ができた。われながらほれぼれするような研 磨ができた。そういう話をするときの彼らの 顔には、至福といっていい喜びが溢れ出す。 町工場の人びとを満たしているモノづくりの 喜びに接するとき、私もまた幸福に感じずに はいられない。そして思うのである。モノづ くりの喜びに満たされている町工場の人びと は、日本の宝だ、と。 (月刊「致知」中沢孝夫氏の文章より) |