長文集  8月2週  ★私は大田区のある町工場で(感)  1i-08-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2020/06/14 15:04:23
 私は大田区のある町工場で、大企業から持
ち込まれた試作品づくりの現場に出くわした
ことがある。
 大企業が示した設計図の問題点が指摘され
る。この設計図では期待されるようには作動
しない、この部分は曲線をもっと深くしない
と噛み合わない、といったふうである。指摘
するのは、作業衣を着た町工場のおっさんだ

 すぐに発注元の大企業に問い合わせがなさ
れる。多分大学出の設計専門家がコンピュー
ターを駆使して書き上げた設計図なのだろう
が、町工場の面々が指摘したとおりに、たち
まち修正される。つまり、大企業の示した設
計図は使いものにならなかったのだ。
 この部分の材料になる鋼材は、どこそこで
ストックしているはずだ、ここの削り出しは
だれだれのところが得意だ、この旋盤はあそ
こにやってもらったほうがいい、ということ
で、町工場の面々は自転車に乗って飛び出し
ていく。ここに出てくる「どこそこ」も「だ
れだれ」も「あそこ」も、すべて近隣の町工
場である。
 コンピュータで情報を検索することもなく
、電話さえも使わず、自転車で行き来してい
るうちに、たちまち段取りができてしまう。
これはさまざまな技術を持った町工場が集積
し、お互いにいわゆるツーカーの関係を保っ
ていればこそである。
 そして、必要な材料や見事に加工された部
分部分が寄せ集められ試作品が形をなしてい
く。
 私は息をのむ思いでことの成り行きを見つ
めていた。そして、経済大国日本の基盤とな
ったモノづくりを根底で担った層がどこにい
たのか、はっきりと見た思いがした。
 しかも、その層はいまだに健在なのである

 時代は確かに変わる。だが、変わってはな
らないものもある。その一つがモノづくりで
はないだろうか。
 過去の歴史にモノづくりをしなかった社会
、モノづくりをやめてしまった社会がある。
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そして、そういう社会は必ず荒廃し、衰亡し
ている。社会の根底にモノづくりの基盤を据
え、それを保持しているかどうかは、その社
会の未来を占うバロメータといえるだろう。

 日本にはまだ、モノづくりを支える層が健
在なのだ。これを時代に取り残されたなどと
認識したら、大きな過ちを犯すことになる。
 経営学的視点からの批判にいたっては、見
当はずれというべきだろう。企業規模のふく
らみにのみ評価の基準を置いて、成功不成功
を判断することが唯一の物差しになっている
悪癖のしからしむるものである。
 経営学的なものには最初から関心がなく欠
落していたからこそ、技術の狭い分野を特化
して、モノづくりの基盤を担うことができた
ということを知らなければならない。
 町工場の人びとに話を聞くと、決まって出
てくるのが、モノづくりの喜びである。
 鋼材から思いどおりの曲面を削り出すこと
ができた。われながらほれぼれするような研
磨ができた。そういう話をするときの彼らの
顔には、至福といっていい喜びが溢れ出す。
町工場の人びとを満たしているモノづくりの
喜びに接するとき、私もまた幸福に感じずに
はいられない。そして思うのである。モノづ
くりの喜びに満たされている町工場の人びと
は、日本の宝だ、と。

 (月刊「致知」中沢孝夫氏の文章より)