長文集  8月1週  ★私が森信三先生を知ったのは(感)  1i-08-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2020/06/14 15:03:42
 私が森信三先生を知ったのは二十八年前の
昭和四十三年、神戸市立魚崎(うおざき)中
学校の教頭になったときでした。私たち新任
の教頭たちの研修会に、森先生が講師として
来られたのです。
 ところが、先生は一時間も遅刻され、会場
である市役所の会議室にみえたのは午前十一
時。もう残り時間は三十分しかありません。
そこで先生がお話しになったことは、
 「みなさんの学校ではゴミが落ちていませ
んか。落ちている紙くずに気がつかないで、
子供の心がわかりますか。このゴミをね、誰
に命じるのでもなく、みなさんが拾ってくだ
さい。それも、黙って黙々と拾うのです」。
 ゴミ拾いのこと、ただそれだけでした。
 会場には六、七十人ほどいましたが、「遅
れて来たうえに、ゴミ拾いの話とは何ごとだ
」と非難の声もあがったようです。しかし、
私にはなぜか理屈抜きに心に響いてきた言葉
でした。
 翌朝から紙くず拾いを始めました。朝早く
学校に行き、教員室の机にカバンを置くと、
そのままの恰好で校地の周りなどを歩いては
黙ってゴミを拾いました。このことは昭和六
十二年に定年退職するまで続きます。私にと
っては単なるゴミ拾いではなく、教員生活の
支えともなった大きな学びだったのです。
 こんなことがありました。問題校のT中学
校に校長として赴任した朝、校庭のゴミ拾い
をしていた私に、数人の男子生徒が十メート
ルもない距離から石を投げてきたのです。
 私は、平静を装って立ち上がり、彼らと対
面しました。「うるさい」、「校長のバカ」
。そんなことを叫んで、彼らは走り去りまし
た。
 校長に石を投げてくるとは……初めての体
験でした。しかし数日後、彼らの行為の意味
を考えているうちに、ハタと思い当たったの
です。∵
 彼らは石を投げてきた。でも、私の体のど
こにも石は当たっていない。石を当てようと
思ったら、全部命中させられる距離だった。
では、なぜそうしなかったのか。あれは私へ
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のサインではなかったか――と。
 先生がたにその生徒たちのことを聞いてみ
ると、学業の成績が悪く、漢字もあまり書け
ないし、 掛け算の九九もおぼつかないとの
こと。また欠席も目立ちます。そういう状態
ですから、三年生にもなっていまだに進路も
決まっていない。「やっぱり、そうか」と思
いました。彼らは新しくきた校長に「こんな
自分たちをなんとかしてくれ」と訴えてきた
のではなかったか。

 (月刊「致知」田中繁男氏の文章より)