長文集  7月2週  ★丸山真男東大名誉教授が(感)  1i-07-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2020/06/14 15:02:01
 丸山真男東大名誉教授が八月十五日亡くな
られました。彼とは昭和六年、一高入学以来
の親しい友人でした。高校三年間同じクラス
で学び、大学も同じ学部に進みました。大学
を出てから彼は東京大学に残り学究生活に、
私は大阪でサラリーマン生活をすることにな
りました。思想的には必ずしも同じではあり
ませんでしたが、交友は生涯変わらず、「機
会があったら貴兄と儒教談義、いな諸子百家
談義をしたら楽しいだろうな……」という手
紙をもらったのは三年前でした。その楽しみ
も果たさず他界され、惜しみても余りありま
す。心からご冥福を祈ります。
 昭和十四年、私はノモンハン事件で戦傷を
負いました。東京第一陸軍病院に収容された
時、彼から一通の葉書をもらいました。そこ
にはただ、
 Durch Leiden Freude
-L.v.Beethoven
 と書いてあるだけでした。隻脚(そうきゃ
く)になった私の前途は苦難に満ちたもので
あろうが、ベートーベンのようにその苦悩を
克服して強く生きてくれという、彼の友情に
あふれる力強い激励の言葉と私は受け取りま
した。「苦しみを通じて喜びへ」、彼に教え
てもらったこの言葉が心の糧となり私の今日
までの人生を支えてくれました。
 また、見舞いに来てくれた時、
「おい、靖国神社に行かなくてよかったな」
 と手を取って心の底から喜んでくれたこと
は忘れられぬ思い出です。
 拙著『古教、心を照らす』が出版された時
、彼からこんな手紙が届きました。
「……貴著をひもときながら一九六〇年代に
オックスフォードに滞在していた時のことを
思い出しました。そのころは、オックスフォ
ード大学に経営学の講義がなかったので、ど
うしてなのかと、教授の一人に聞いたところ
、∵
『経営なんていうものは古典と歴史をしっか
り勉強すればできるものだ。わざわざ教える
必要はない』
というのが答えでした。
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 アメリカの経営学を日本が盛んに輸入して
いるころでしたから、彼の返答が非常に印象
的でした。イギリス人の痩せ我慢といってし
まえばそれまでのことですが、やはり一つの
見識で、いかにもオックスフォードらしいな
と思ったものです。」
 私は経営学は勉強したほうがいいと思いま
す。しかし、「古典と歴史を勉強すれば経営
はできる」という見識には首肯されるものが
あります。
 「もっと古典と歴史を」
 そういっている彼の声が聞こえるような気
がいたします。

 (月刊「致知」新井正明氏の文章より)