長文集  2月3週  ★千葉ドーナツ事業の研修に(感)  1e-02-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 千葉 ドーナツ事業の研修にアメリカに渡
った私たち一行五人 が、ボストンの郊外に
あるホテルの部屋に入ろうとしたときでし 
た。年齢は私と同じくらいの日本人が、向か
いの部屋のドアを開けようとするのが目につ
きました。
 ――それが、西武の方だった。
 千葉 ええ。ミスタードーナツはもともと
ダンキンドーナツから枝分かれした会社で、
同じ町に本社を置いています。西武からも研
修に行ったという情報を入手していました。
だから、ピンときたのです。
 日本に帰れば西武という大きな会社と戦わ
ねばならない。この機会にうまいこと話をつ
けておかなければいかんと思いましてね。私
たちの部屋を使って日本食パーティーにご招
待した。
 魚を焼き、ラーメン、ご飯を食べ、ビール
やお酒を飲みながら「将来はお手柔らかに」
などと肩をたたき合ったり、笑い話で場が盛
り上がりました。やがて自己紹介をしようと
いうことになり、私たちが口火を切りました

 今度は、向こうさんの番。その人は「高知
ですわ」と言われました。私は隣の愛媛県の
出身ですから、「高知でしたらよく知ってい
ます。学校は野球の強い高知商業ではないで
すか」と尋ねました。すると、その人はフッ
と上を向いて、ムッとしたような顔で、一瞬
間を置いて、「東大ですわ」と言われたので
す。
 その「東大ですわ」という返事を聞いた私
たちは、少なくとも三十秒間は声が出なかっ
た。いまのいままで肩をたたぃたり、笑った
りしていたのに、もうだれも声が出ません。
 ――わかるような気がします。
 千葉 「西武さんなら、そうやろうな」と
思いました。あそこは日本一だから東大出ぐ
らいいくらでもいる。英語だってペラペラ 
で、だから通訳なども付いてきていないんだ
ろう。「こんな連中と戦わなければならない
のか」と思ったら、頭の中が真っ白になりま
した。
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 千葉 ところが、その人の一言がわれわれ
を救ってくれたので す。「クサッています
んや」。その人がそう言われたのです。
 西武に入った同期のなかで、自分だけがこ
んな所に回された。大勢の部下を送り込むと
言いながら、まだだれも応援が来ない。毎日
毎日パン屋のような格好をして、仕事をさせ
られている。そういうようなことを言われた

 その言葉を聞いた瞬間、「勝った」と思い
ました。間違いなく勝てる、この人には勝て
る、この会社には勝てる、と思った。生意気
なようですが、絶対的な確信がもてました。
 ――と言いますと。
 千葉 われわれ五人は、本当に学歴もたい
したことはない、英語もしゃべれない、業界
の経験もなければ知識もない。会社規模も西
武とダスキンでは月とスッポンほどの違いが
ある。
 けれども、私たち五人は、ダスキンの社運
をかける大事業に参加しているのだという使
命感と、何としてでも鈴木社長の期待に応え
なければという気持ちでいっぱいです。私ら
は消し炭のような質の悪い炭だけど、赤々と
真っ赤に燃えている。彼とは心構えが違う。
だから、私は「勝てる」と思ったのです。翌
日、鈴木社長あてに「西武に勝てる」という
意味の電報を打ちました。
 ――すばらしいお話です。
 千葉 われわれ五人といえば、それまで汚
れたぞうきんを洗濯していたり、荷造りなど
をやっていた者ばかり。しかし、そんな人間
が社運をかける大事業でアメリカにやらして
もらった。その喜び、感謝の気持ちが溢れて
います。何としてでも会社に、鈴木社長に報
いなければならないと力んでいました。
 対して、向こうさんは「クサッている」。
ドーナツはどちらもゼロからの事業です。わ
れわれ五人の力を合わせれば、いくらエリー
トとはいえ、クサッている一人の人間より何
十倍、何百倍もの力になるに違いないと思っ
た。

 (「致知」九七年八月号 千葉弘二氏の文
章より)