長文集  2月1週  ★近時、大学教師の悩みの種は(感)  1e-02-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 近時、大学教師の悩みの種は、授業中の私
語の多さである。私はいつも最初の講義のと
き、「オシャベリはいけない」と学生たちに
厳しい態度を示してから講義に入ることにし
ている。
 問題は私語ばかりではない。昨年あたりか
ら、教室に新現象が起こり始めた。四月、い
つものように私語禁止を言い渡してから講義
に入った。学生たちは静かに聞いている。今
年の学生は質がよいのかと、私はうれしくな
った。が、ふと見ると、前から三分の一あた
りのところで、机上に英語の教科書と辞書を
広げている者がいる。ちなみに私の授業は「
西洋精神史」であって、英語ではない。だか
ら、彼女の行為は「内職」である。
 授業中の内職は、別に新しい現象ではない
。だが、内職は教室の後ろのほうで、机の下
でこっそりとやるから内職というのである。
前のほうで、しかも机の上で堂々とやる内職
は初めて見た。つま り、彼女には、自分が
悪いことをしているという意識がまったくな
いのである。
 こういう学生を叱るのは実に骨が折れる。
「なぜ悪いのか」をわからせるのがひと苦労
なのだ。もともと内職が悪いことだとは毛頭
思っていないから、注意すると、ただポカン
として私の顔を見つめる。彼女らはおそらく
、小学校でも、中学校でも、高校でも、また
家庭でも、そうしたことで注意されたことが
ないのであろう。
 同じことはアクビについても言える。授業
中にアクビをするなと言うと、学生たちは不
思議な顔をする。「生まれて初めてアクビを
注意されました」と言わんばかりである。
 こんなことは昔なら一言、「礼儀を重んじ
なさい」と言えば済んだ。それがいまは通じ
ない。「いけないこと」を一つひとつ示し、
「なぜいけないのか」を丁寧に説明しなけれ
ばならないのである。原理原則に従う行動様
式、思考様式を持っていないから、原理を示
しても無駄なのだ。
 評論家やジャーナリストは、こういうタイ
プの人間を「指示待ち人間」「マニュアル世
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代」などと名付けるが、現象だけしか見な 
い、皮相なとらえ方である。彼らは単に、指
示を待たなければ、マニュアルがなければ行
動できないというのではなく、抽象的な原理
に従って行動することができないのである。
つまり、自分の中に行動の原理原則がないの
だ。いわば、自分の中心に背骨がないような
ものである。それゆえ、本質を見るならば、
こういう型の人間はずばり「背骨のない人間
」「無脊椎人間」とでも呼ぶべきなのであ 
る。
 行動の原理原則の中でいちばん大切なのが
「善悪」の原理であ る。そして、これを教
えるのは主として父親の役割である。母親 
は、個々の行為について「よい」「悪い」を
注意するが、父親は、そもそも世の中にはし
て「よい」ことと「悪い」ことがあるのだと
いう原理を教えるのである。
 ところが、いまは父が父の役割を果たして
いない。その結果、善悪の感覚のない人間が
成長してしまう。たとえ「よい」「悪い」の
区別を教えられたとしても、その基準はせい
ぜい「他人に迷惑をかけない」「他人を傷つ
けない」という程度だから、礼儀やマナー、
あるいはその行為が「美しい」か「醜い」か
、「他人に不快感を与えない」かどうかとい
う視点が欠落してしまう。だから、遅刻も内
職もアクビも居眠りも、すべて「悪くない」
ということになってしまい、たまたま注意を
受けると意外だという顔をするのであろう。

 (「致知」九七年七月号 林道義氏の文章
より)