長文集  1月2週  ★松下電器産業では(感)  1e-01-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 松下電器産業では昭和四十一年に中米のコ
スタリカにラジオと乾電池を作る工場を建設
、稼働させました。中南米と言えば、この間
のペルーの日本大使公邸人質事件でもわかる
ように、政情不安な国がほとんどです。その
中で当社がコスタリカに進出したのは、この
国が例外的に安定していて、非常に平和なこ
とが調査でわかったからです。
 工場には社長、ラジオと乾電池のそれぞれ
の責任者、それに経理の四名の日本人をメキ
シコから回しました。また販売会社も設立 
し、日本人を十人ほど派遣しました。工場生
産が順調で、製品を輸出するまでになったの
です。
 私は昭和五十五年に視察に訪れました。人
びとは明るく仕事熱心で、気候も大変暮らし
やすい、ずうっとこの国にいたい、と日本人
は口々に言っていました。また、コスタリカ
大統領からは、輸出産業が育ってありがたい
と感謝されました。
 ところが、その二年後に事件が起こりまし
た。コスタリカの販売会社の社長が出勤途中
ゲリラに襲われ、車で拉致されたのです。そ
の車が国境付近で警備隊と遭遇、銃撃戦にな
り、ゲリラは全員射殺されましたが、拉致さ
れた日本人社長も重傷を負いました。この事
態を憂慮した大統領じきじきのお見舞いをい
ただき、アメリカの病院に移送する手配もし
ていただきました。しかしそのかいもなく、
日本人社長は亡くなってしまいました。
 私は大統領からお手紙をいただきました。
大変厳しく残念な事件だが、工場はコスタリ
カで重要な役目を果たしているので、日本に
引き揚げるようなことはしないで欲しい、と
いう内容でした。
 もちろん、私は工場の引き揚げは考えませ
んでしたが日本人は引き揚げなければならな
いだろうと思いました。というのは、その前
にエルサルバドルで、やはり日本人社長が殺
され、だが、ゲリラは身代金奪取の目的を遂
げられず、さらに日本人の重役を誘拐する事
件が起こっていたからです。コスタリカの当
社の場合も、ゲリラは身代金奪取の目的を果
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たしていません。同じことが繰り返される恐
れは十分にありました。
 私は工場の二名を一年間だけ残すことにし
て、全員の即時帰国を指示しました。あとは
すべて現地の人に任せることにしたのです。
 ところが、どうでしょう。日本人が引き揚
げてからの決算が非常にいいのです。私はに
わかには信じられない気持ちで、メキシコの
責任者を調査にやりました。すると、決算に
間違いはない、すっかり変わって、非常によ
くなっているという報告です。
 日本人がいたころよく耳にした話は、コス
タリカの人たちは言われたことをやるだけで
、仕事を覚えようとしない、といったもので
した。それがすっかり変わって、全従業員が
前向きに仕事に取り組むようになったのです
。好決算はその成果でした。
 日本人が引き揚げたあと、大統領が工場に
出かけ、がんばれと従業員を励ましたことも
一つの要因です。しかし、何よりも従業員自
身が、自分たちがやらなければ、という気持
ちになったことが決定的だったのです。
 信じて任せる――私はこのことの大切さを
改めて教えられた思いでした。この教訓は徒
(あだ)やおろそかにはできません。その陰
には、犠牲になった一つの命の重みがあるの
ですから。

 (「致知」九七年七月号 山下俊彦氏の文
章より)