長文 4.2週
1. 私は最近、九十
歳を
越えていまなお
活躍しているある人が書いたものを読んで、大変
感銘を受けた。
2. ご老人は功成り名
遂げた人だから、多分日常は快適な
環境の中で暮らしておられるのだろう。だが、ご老人は毎朝冷水を浴びることを一日も欠かしたことがないという。朝起きて、大気と十度以上も差のある冷水を浴びる。毛穴がすぼまり、血管が
引き締まる。その
刺激がその人の生物体としての適応能力をよみがえらせる。快適な毎日にあって、一時でも厳しい
環境の中に身を置くことで、生物体としての適応能力を
刺激する地道な営みが、ご老人が九十
歳を
越えてもなお元気に
活躍している一つの要因になっているのだろう。
3. いま、私は家で
鯉を飼っている。
鯉や金魚を飼っている人は多いが、聞いてみると、よく死なせている。私は
自慢ではないが、
鯉も金魚も信じられないほど長生きさせることができる。いや、
自慢するほどのことはない。カレルの理論を応用しているだけなのだ。
4. そのコツは
餌を十分にやらないことである。ときには一週間わざと
餌を
与えなかったりする。いま飼っている
鯉は、これで
攻撃的なエネルギーを発揮し、元気いっぱいに長生きしている。
5.
餌を十分にもらえないことは、
鯉にとって快適な
環境ではない。いささかの
飢餓状態に置かれている。これが
鯉に
攻撃的なエネルギーを
与え、元気に長生きさせる要因なのだ。反対に十分な
餌を
与えると、適応能力が
刺激されず、生物体の価値を低めてしまって、早く死んでしまうことになる。
6. 最近は犬でも
猫でも栄養満点のペットフードを
与えられ、満ち足りているようである。かつて
猫と言えば高い木や
塀に登り、
鼠を
獲るものと相場が決まっていた。ところが、いまの
猫は木にも
塀にも登らなくなったし、
鼠も
獲らなくなった。栄養満点で
飢餓を知らず、空調
冷暖房完備の部屋でヌクヌクと
寝そべっているうち、∵適応能力が失われ、木にも
塀にも登れなくなったし、
鼠を
獲ることもできなくなったのである。満ち足りた
環境の中に長くいると、適応能力が
衰えたまま、固有の能力も退化してしまうのである。
7. そう言えば、
盆栽の名人からいい
盆栽を育てるコツは、「切りすぎずに切る」ことだと教えられたことがある。植物を限られた
状況に置くのが
盆栽である。だから、そのままにしておくと
盆栽はすぐだめになってしまう。枝を切ることで適応能力が奮い起こされ、いい
盆栽になるのである。
8. 人間もまた、同じである。アレキシス・カレルは
要旨、次のように言っている。「食うだけ食って、
寝たいだけ
寝て、人間の向上などはあり得ない」
9. まさにその通りだと思う。
10.
眠たいのを
振り切って起き上がったことのない青年が、将来物の役に立つ人間になるとは思えない。
眠りというのは生物の個体にとって極めて重要で、これが極度に
妨げられると、生命の危険にさえ立ちいたる。逆に
眠りたいだけ
眠って満ち足りると、生物の個体はそれ以上は
眠れない。生物体は生物学的に必要があるから、必要な分だけ
眠るのだから、「
惰眠」などということはないはずである。それなのに「
惰眠をむさぼる」などと言う。なぜか。
11.
眠りたいだけ
眠ることは、生物体の適応能力を
刺激しないだけでなく、精神の適応能力にも、
響いてくるのである。
眠りに満ち足りると、生物の個体は何かに向かって努力するという気持ちを失ってしまうのだ。従って、
眠りたいだけ
眠ることは「
惰眠」なのである。
12.
眠いのを
振り切って起きた経験がなくて、向上した人間はいない。これは
肝に
銘ずべきことである。向上して将来大いに世の中の役に立つ学生は、いま
眠いのを
振り切って机に向かい、勉強しているはずである。 (「
致知」
渡部昇一氏の文章より)
長文 4.3週
1. 経済の原点である産業構造は時代とともに変化する。日本の場合、第二次大戦後の混乱期が終わってどうやら経済が成長に移りはじめた一九五二年
頃の最大の産業は農業であって、その規模は十六・二%のシェアを
占めていた。これに対して、製造業は一四・五%であった。だからその
頃の日本は農業国であったわけである。それ以降日本では急速に製造業の規模が拡大していって、年度にもよるが三〇%前後のレベルにまで成長した。一方、農業は二・二%に減少している。この間各産業の就業人口の数ももちろん変化した。
2. このように日本の経済では製造業が
牽引力になってきたことは確かだが、産業別に見ると、その中には急速に成長したものもあれば
衰退していったものもある。アルミ
精錬は一時アメリカに次ぐ世界第二の規模であったが、二度のオイルショックによる電力料金の
高騰によって、自家水力発電によるもの以外は姿を消した。
3. 経済の原点である産業構造は時代とともに当然変化していく。日本の場合、第二次大戦後、政府はまず経済を建て直すために基幹産業として石炭、造船、続いて鉄鋼といったものを選んだ。そのなかには、実はアルミ
精錬も入っていたのである。
4. ところが、時代とともに技術は変わっていく。たとえば、日本の家電産業というのは世界のトップを走っているけれど、戦後間もなくはラジオを主につくっていた。これは戦争で
破壊され
尽くした日本の家庭の中で、まずその
頃の最も近代的なメディアはラジオであったからである。しかし、ラジオは
普及し終わる。
5. 次に出てきたのは白黒テレビである。白黒テレビがひとわたり
行き渡ったところでカラーテレビが出てくる。カラーテレビはかなり長く続いたが、それでもやがて
普及が
行き渡る。その次に引き続いて出てきたのはビデオである。そして、その次にビデオカメラ、こういった調子で日本の家電メーカーは主力商品を次から次へと移してきている。これを
大雑把にいうと、一〇年で新しい商品と入れ代わっているということを読み取ることができるのである。∵
6. このところ、日本のテレビメーカーが海外に生産
拠点を移した。そのためもあって、国内生産よりも海外の生産のほうが多くなった。これを産業の
空洞化という言い方をする人がある。しかし、これは私にいわせると、非常に
短絡的な、近視眼的な見方である。このように成熟した技術は、むしろそういった
途上国に持って行くべきである。その地域ではまだこの種の新しい家電製品、その他が
普及していない。そして、その日本の
企業は次の世代の製品をつくればいいわけである。現実にそれが続いている。
7. それだけに、日本の
企業というのは研究開発投資を必死でやっている。日本の製造業は過去三〇年の間に売上金額が約三倍になっている。ところが、この間に研究開発投資が一〇倍増えているのである。このような努力を続けることだけが、日本の製造業を末永く
維持するエネルギーになるのである。
8. (「日本・陽は必ず
昇る」
唐津一 PHP研究所より)
長文 5.1週
1. 地球が
抱えるこれからの課題というと、
一般的に
誰の頭にも
浮かぶのが地球規模で進む人口の
爆発的増加と、これに対応できるかどうかの
食糧生産の可能性、さらにはエネルギー消費の増大、人々の生活の高度化による
廃棄物の増大といったことになるが、それが日本国内ということになると様子がいささか変わってくる。出生率の低下から日本の人口についてはむしろその減少ということが問題になるので、地球規模で語られる話とは様子が変わってくる。エネルギーにしても、日本で実証
炉が動くことになっている
核融合がモノになれば事態は一変する。
2. そこでここでは日本を中心とした話題をまず取り上げ、その上で地球規模で展開しつつある各種の問題と、これに対応する技術の動きという順序で検討していくことにする。
3. まず人が生きていくには
食糧がいるが、日本の自然的条件としては、国内での自給自足は可能である。それには現在までの
状況はすべて無視して、
食糧生産の原点から考えてみると全く別な姿が見えてくる。
4. 農業の場合まず必要なのはもちろん土地だが、日本列島の土質は幸いなことに農業には最も向いている。スペインの上を飛ぶと、どこまで行っても赤茶けた
埃(ほこり)だらけの
粘土質の土地が続いて、これではオリーブかせいぜい
葡萄くらいしかできないことがすぐわかる。ところが日本列島は飛行機で飛ぶと南から北まで緑
滴る島である。
5. 次は水だが、周囲が海に囲まれているおかげで
欧州の平均値の二倍から三倍は雨が降る。
6. 最後に太陽だが、
亜熱帯のおかげで
欧州とは比べものにならないくらいに日照時間は長い。つまり農業の原点である土地と水と太陽がこれだけそろっている。それでいながら日本の農業がとやかくいわれるとしたら、明らかに人災であって天災では絶対にない。その
証拠はいくらでもある。∵
7. まず
食糧の基本は穀類であるが、日本は音から
瑞穂の国といわれるように米作については世界でも
珍しいぐらいによい条件を持っている。米という作物は同じ場所で連続してつくっても、地力が
衰えることがない。
8.
一般的にいって、植物というのは一回その場所で実をみのらせると、地力が
枯れてしまって、あと何年かはその場所ではつくれないことがある。ところが米は連作がきく非常に便利な作物である。
9. しかも、日本の米作技術は長い間の積み上げによって、世界のトップレベルをいっている。現に日本から現在
途上国に
派遣されているOECDの
援助による技術指導員の中には、米作をその地域に伝えるための人々が
圧倒的に多い。それは、よくいわれる
食糧危機に備えるために、
途上国に日本の米作技術を伝えるということで、先方からの熱い
要請によって行っているのである。
10. さらに、品種改良についても日本は世界でも高いレベルにある。現実にいま日本の政府は米がとれすぎるということを
恐れて、減反政策というのをとっている。ところが減反をやってもやっても、米ができすぎるのである。それは農家の方々が米というのは非常に生産性の高い穀物であることをよく知っていて、それをつくることを続けた結果である。
11.
一般的にいって、米というのは食べるための加工が非常に簡単である。水を入れて火にかければよい。ところが、その他の穀類というのは、食べるまでの
途中の処理が大変である。小麦にしても、またトウモロコシにしても、その加工技術をうまくやらないと、できあがった食物というのは我々の
喉をうまく通らない。
12. しかも、米というのは非常に美味しい。よくいわれるように、中国においては、貧しい時代にはコーリャンとか、トウモロコシを食べていた。ところが一度米を食べてみると、その味の
魅力に引かれて、コーリャンとかトウモロコシを食べなくなった。それぐらい味についてもいい。これだけ優れた米をつくる力を日本の国土は持っているわけである。その
証拠がいくらでもある。∵
13.
皆に自由にやらせたら、どれだけ米がとれるかということのひとつのモデルは秋田県の
大潟村である。
大潟村というのは
八郎潟を
干拓して、日本の新しい農地をつくろうということでスタートしたわけである。そのときに全国から、やる気のある農村の人々を集めてつくった、全く新しい人工の村である。また、農業のためのいろいろな機械も大量に投入した。だから一人当たりの生産性は非常に高い。
14. その地区の豊かさを示す数字は民力というのがあるが、日本の全体平均を百としたときに、地方都市ではせいぜい九〇前後である。ところが、
大潟村は一三六なのである。
大潟村に行ってみるとよくわかるけれど、農民の方々は実に豊かな生活をしている。つまり、日本の農村というのは、自由に米をつくらせると、ものすごい生産性を持っているということがこれを見てもわかるのである。
15. (「日本・陽は必ず
昇る」
唐津一 PHP研究所より)
長文 5.2週
1. このような社会的な
傾向が三〇年先にどのようになっているかを現在時点で予測することは困難だし、またその結論を保証することはできないが、次のような手法は可能だし、また
企業として将来の目標を立てるために使える。それにはまず、
2. (1)三〇年先の望ましい社会または個人の姿を設定する。
3. (2)それに
到達する上でのボトルネックに何があるかを洗い出す。
4. (3)そのボトルネックを解決するには行政、
企業、個人はどのようなことをすればよいかをリストアップする。
5. (4)そのための技術、製品、流通、などとして何が考えられるか。という方法論である。
6. 三〇年先へのボトルネックといってもピンと来ないかもしれないが、いくつかの例を示せば次々と見えてくるはずだ。そのひとつはもちろん
高齢化社会への移行から来る数々の問題だ。問題があるということは、それを解決するための方法が見つかればビジネスとして成立するということである。
7. すでに日本だけではなく
高齢化が進む工業先進国の間では、そのための技術開発が次々と進められている。日本でも
一般住宅用のエレべーターが開発されて、新しい市場が生まれた。また二四時間
沸き放しの
風呂も若い人からの要求ではなく、ある
年齢層以上の市場を
開拓した。
8. ここで日本のボトルネックの例としてまず
高齢化の話を取り上げたが、日本の経済という立場からすると、最も大きな課題は世界の中で日本の産業が三〇年先でも優位性を保つことができるかどうかということである。もっとわかりやすくいえば、どの種類の産業で
稼ぐことができるかということだ。
9. 産業の競争力を示す
一般的な指標として使われるのは生産性である。つまり生産のために投入する人、設備、資金、原材料、時間などが単位当たりどれだけの付加価値を産出できるかという数字である。これらが低いレベルにあればコストが高いということに相当するのだから
稼ぎが少なくなり、それだけひ弱な経済ということになる。
10. 日本のボトルネックとして現在
誰でもいうのが日本の物価高だが、その原因は簡単だ。∵日本国内には海外に比べて生産性の低い分野がかなりあるからだ。日本国内ではすべての物価が高いわけではない。海外よりもむしろ安いものも結構ある。自動車はそうだし、エレクトロニクス製品がそうだ。
一般的に海外製品と直接ぶつかり合うものはだいたい日本製は強い。それは負けると会社が
潰れるから、石にかじりついても何とか生産性を上げて価格競争に
耐えているのである。
11. ところがこのような海外との競争原理の働きにくいところではどうしても経営が
甘くなって生産性が低く、内外価格差に直接効いているのである。このことはデータから明らかに示されている。
12. このようなことが長続きするはずはない。必ず生産性革命が起きる。むしろこれらの分野は日本国内にまだ
眠っている未利用資源である。これらはすべてニュービジネスの種になる。
13. いまマルチメディア革命という言葉がはやっているが、マルチメディアの使い道で一番インパクトの大きいもののひとつは物流の効率化である。その原理は、必要なときに必要なものをその数だけ生産し、要求されたところに届けるということであって、それらを管理するのが時間という情報である。そしてこれは情報技術があって初めて可能なのだ。
14. 日本では製造業の高い生産性は
誰もが認めていたが、流通業には革命がいるといわれていた。これに対して全く新しいシステムの構築に成功したセブン−イレブンは好調である。日本のセブン−イレブンはアメリカの本家がおかしくなったのを日本で開発したシステムを逆に持って行って建て直しに成功した。セブン−イレブンの流通管理のシステムの生産性は世界のトップレベルにある。
15. このような日本人独特のきめの細かさで実現した生産性の高いシステムを逆に海外
企業に持って行って成功した例が最近では
珍しくなくなっている。
16. このことは重要である。どのようにすれば海外以上の生産性を上げることができるかのノウハウは、日本国内に結構あるし実績を持っている。したがってこれからの日本国内では、低い生産性分野で新しい革命が文句なしに進むと考えてよかろう。これに
高齢化による国内独自の圧力が加わるから、その速度は予想外に早いはずだ。そしてその新しい社会革命の中で最も有効に使われる道具が情報技術である。
17. (「日本・陽は必ず
昇る」
唐津一より)
長文 5.3週
1. 人はよく「波長が合う」「合わない」ということを言います。ある人と初めて会って話をしたら、すごく気が合ってたちまち仲良しになった。あるいは何度会っても、打ちとけられず、会わなければならないのだが、いつも気がすすまない−−−−人間関係では
理屈の前にこういう感情が先行することがよくあります。
2. 波動理論ではこれを共鳴、非共鳴という言葉で表現しています。共鳴というのは、人間世界での用語では「同じ思想や考え方で
一致すること」ですが、科学的には「
振動体や電気回路に固有
振動数と等しい
振動を外部から
与えたとき、
振動の
幅が大きくなること」を意味しています。
3. このニつの共鳴の定義は関連性があります。私たちはある人と会って、その人と自分の考えが同じであったようなとき、うれしくなって一挙に親密度が増しますが、これは私たち自身が
振動体であり電気回路の一種ですから、同じ
振動を
与えられると、それまで自分の中にあった固有の
振動がより
増幅されるのです。
4. 自分の考えに同調する人がいると、その考えに確信が持てるのは、こういう
理屈でとらえると納得がいくと思います。波動効果というものは、共鳴することでプラス波動としての効果を発揮し、非共鳴の場合はマイナス波動を生じさせるのです。
5. つまり波動が合うと共鳴し、波動が合わなければ非共鳴になる。よく一目
惚れというのがありますが、あれなどは
お互いが持っている波動がほとんど
一致する場合です。好きな人でも波動が合わないとぎくしゃくする。そういう人とはいくらつき合っても共鳴現象が起きずに
破綻することになります。
6. ただ人間の持つ波動は、非常に複雑な合成波ですから、ある部分の波動が合わなくても、根本のところにある波動が合うということも考えられる。たとえば同じ郷里の出身者は、その士地の磁場(地球には磁場があり、地域によって磁場は異なる。これを磁気的波動とも言います)を身体に受けて育ってきているので、身体のどこかで波動の共有が見られます。∵
7.
お互いがその部分で共鳴すれば、他の面で波動が合わなくても、人間関係がうまく行くことも大いにありえます。また病気になったとき、故郷へ
戻ると治ることがある。これは水、食物も
含めて、その土地固有の波動が身体と共鳴しやすいからです。
8. 初めて会ったばかりなのに「
一杯飲みに行きましょうか」となるのは、波動が合っている、共鳴しているということなのです。逆に「こいつとは飲みたくないな」と
違和感を感じるようだったら、少なくともその時点での波動が共鳴しないのです。
9.
彼と
彼女の発する波動が共鳴すれば、両方が一目
惚れして愛が芽生えるし、波動が合わないと共鳴現象が起きず、片思いに終わることになってしまいます。こういうことはたぶん
皆さんも何度か経験されていることと思います。
10. それではそんなとき、あなたはいままでどうしておられましたか。私だったら、一歩さがって相手が共鳴できるような波動を自分が持つよう心がけます。自分が許容できる
範囲内で相手に自分の波動を近づけるのです。そうすると相手のことがわかってきますし、相手も自分を理解してくれます。
11. いじめ問題というのも波動の側面から考えれば、いじめる側もいじめられる側も、波動の乱れが生じ、それが原因となって悲しい出来事が起きていると思われます。なぜそんなに波動が乱れるのか。家庭、学校、地域社会、マスコミ
媒体、子供を取り巻くすべての社会の波動が乱れ、
歪みが生じているからと言えるでしょう。
12. 子供というのは、周囲の波動を
敏感に感じ取ります。自分が発するよりも受けるほうが大きいのです。そうやって
敏感に感じ取ってしまった波動の乱れが、純真で正常だったはずの子供の心に、悪いものを植えつけてしまう。しかし良いものも植えつけることも容易なのですから、大人は子供に良い波動を植えつけるようにしてあげなければいけない。いまはそれができていないのです。
13. (「
蘇生力」中根
滋 ビジネス社より)
長文 6.1週
1. プロローグで日本
企業の国際化について
触れた。
欧州の場合はもともと多くの国が寄り集まっているので、国際化という言葉自体あまり意味がない。アメリカはもともとが寄り合い所帯だから、海外での生産もまた会社自体の多
国籍化には
抵抗感はない。その中で日本だけが新しい現象として
企業の国際化が急速に進んだわけである。
2. このような
傾向はあと三〇年もたつと日本
企業にとっては当たり前のこととなるだろうが、その
過渡期においてどのようにうまく対応するかがそれぞれの
企業内でのボトルネックとして考えておかなくてはならない重要
事項である。
3. 現在すでに海外進出
企業で問題になっているのが、
企業の経営
陣のトップにまで外国人を分け
隔てなく登用(とうよう)するかという課題である。日本
企業ではこの点でどうしても
及び腰のためにせっかく有能な社員を育てても、やがては他に職を求めるというのがむしろ
一般化している。有能な社員を育てるにはずいぶん会社として投資しているはずだ。それが簡単に出て行かれたのでは全く割に合わない話である。
4. これは日本
企業として大間題であるはずだが現実ははかばかしくない。これは年次を積み重ねても何とか解決すべきボトルネックそのものになるはずだ。しかし問題があるということは新しいビジネスチャンスがそこにあるということであって、すでにそのための動きがある。
5. 日本
企業から
中堅社員を留学生として、一流大学のビジネススクールへ
派遣するのがそのひとつである。これはアメリカで勉強させることもさることながら、人脈の予備軍をねらっているのだ。一流大学からは将来アメリカの指導的地位に就く人物が出る可能性が高い。ハーバードやプリンストンのキャンパスに行くと日本人だらけになったのである。
6. これらの大学は学生を厳しくしごくから、生半可な努力ではついて行けない。だから学生も
優秀だ。
彼らと親しくなっていればそのうちに役に立つだろうという遠大な計画だ。これをねらった留学である。これも日本
企業の国際化の努力の現れである。∵
7. 日本
企業は明日に生きるためとなると思い切ったことをやる。社内会議はすべて英語という
企業も出てきた。もともと外国語というのは一種の体育と考えればよい。スポーツだからその上達には
繰り返しの原理しかない。毎日しゃべっていれば必ずうまくなる。その
証拠にイギリスに行けば頭の良し悪しとは無関係に子どもでも
皆英語をしゃべる。
8. このように考えると三〇年先の日本
企業にはやたらに外国人がいて、社内では英語だけでなく各国語が飛びかっているに
違いない。すでにいまでも若者の言葉がわからないというではないか。
9. これを日本文化の
破壊ということはない。いまの日本語も、どんどん新語が取り入れられているのだから、あまり気にしないほうがよい。めいめいの生活
環境や職業によってその場でしか通用しない言葉を使うというのは
普通のことであって、
誰も気にすることはない。国際化が進めばそれに見合った言葉が
一般化することは
間違いない。
10. (「日本・陽は必ず
昇る」
唐津一 PHP研究所より)
長文 6.2週
1. 人間の体はオーケストラのように
響き合って、全体として一つのまとまった一定の波動を出しています。しかしそのことは、ふだんは自覚できません。ちょうど地球がぐるぐると回っているのに、そんなことを意識しないのとまったく同じです。
2. 私たちの回りにはテレビの電波やら
携帯電話の電波などが
錯綜して飛び交っているけれども、そういう自覚も私たちはほとんどありません。目に見えない、体で感じないことに私たちはかなり
鈍感なのです。
3. でも波動を活用するためには、目に見えないものや体で感じられないものへのきめ細かい感受性を持つことが求められます。そういう見方をしていかないと、なかなか波動というものの真の価値を理解することができません。
4. 「見えないものはない」「五感で感じられないものはない」「科学的に合理性のないものは信じられない」という感覚の持ち主は、波動的人生は送れないといってよいでしょう。実際は感じないことなどありえないのです。ただその感じたものを、自分の心でどうとらえるかが人によって異なっているのです。
5. たとえば氷に
触れれば
誰でも冷たいと感じます。しかしそれは、ただ冷たいという感覚だけでは物理的な温度を感じただけなのです。ガラスにさわってみるとやはり冷たい。でもその冷たさを「ひんやりしていい気持ちだね」と感じるときもある。きめ細かな感受性とはそういう感じ方のことです。
6. このような感受性を養うには、
握手をするのがいちばんよい方法です。
握手をするときただ手を
握るのではなく、こちらの想いを
込めて
握るのです。そうするとその想いは相手に伝わると同時に、相手の気持ちもこっちに入ってくる。そういう感じがするかどうかを意識してやってみることです。
7. そうした感受性が養われると、波動というものが直接感じられるようになります。たとえば目を見ただけで相手の気持ちがピンとわかるようになる。目は波動を出していますから、それをキャッチできるのです。
8. 自分が愛している人の言動には
誰でも
敏感です。
新婚ホヤホヤの
奥さんなら、
旦那さんの
玄関の開け方、
靴の
脱ぎ方、「ただいま」という声の調子、そういうものから心理状態を読み取れる。愛しているからそれがわかるのです。∵
9. 同じように私たちは自然を愛し、人生を愛することができれば、自然のささやきも人生のすばらしさもひしひしと伝わってくる。もしいま人生がつまらない、自然など
忙しくて関わっている
暇がないと思うようだったら、かなり波動的な人生から遠ざかった心理状態にある。はっきりいって不健康な心の状態です。
10. 前にも申し上げたように人間の体はアンテナなのです。
発振アンテナを持っている。同時に受信アンテナを持っている。人間はみんなほぼ同じような
発振、受信アンテナを持っていますので、自分が
発振した気持ち(波動)がむこうに通じるということを信じることも大切です。
11. 人間同士のコミュニケーションは、言葉や行動よりも波動が理想的です。波動は
瞬時にすべてを理解する。脳の働きでいえばデジタル脳の左脳ではなく、アナログ脳の右脳で理解する方法です。
12. こういう理解ができる感受性を養うには、自然にできるだけ
触れ、自然の持つ密やかできめ細かな営みを知ることが一番です。
13. (「
蘇生力」中根
滋 ビジネス社より)
長文 6.3週
1. 近代以降の
医療は西洋医学が中心で、西洋医学は
分析医学になって、傷んだ
箇所を物理的に治そうとしてきました。歯が悪ければ悪い
箇所を
削ってつめものをして、それが最良の
治療ということです。
2. 胃が悪ければ胃薬を差し出す。それで胃が治れば医学の勝利なのです。歯がなぜ悪くなったのか、悪くさせないためにはどうしたらいいか、ということには非常に不熱心になってしまいました。ガンのお医者さんはガンを退治することしか考えない。そのための手術が体のどこにどんな
悪影響を
与えるかは知っていても無視する。自分の担当部位が治れば「
俺の勝ち」みたいな一種の
巧名争いが起こっているのです。
3. もし虫歯の予防がうまくいって「痛い、痛い」と言う人が少なくなれば、歯医者さんはやっていけなくなる。だから
極端なことを申せば「治す技術はしっかりありますから、虫歯になっても
大丈夫ですよ」という感じでやってきたわけです。
4. 歯医者に限らず
医療はみんな同じ発想でやっています。その結果、病気の本質が見えなくなってしまった。そのことを
端的に示しているのが最近言われ始めた「胃ガンピロリ
菌説」ではなかろうかと思うのです。
5. 胃ガンの人を調べると、胃の中にヘリコバクスター・ピロリという
菌がいる。この
菌が胃ガンを作る
元凶だとマスコミなどでも報じられていますが、こういう結論のもって行き方が現代の
特徴なのです。
6. 私に言わせれば、なるほど胃ガンの人の胃の中にはピロリ
菌はいるだろう。しかしピロリ
菌が胃ガンを作った確証はない。胃ガンになったからピロリ
菌が住むようになったと考えることだってできると思います。因果関係は全然わかっていないのですから。それにもかかわらず「ピロリ、ピロリ」と
騒いでいる。波動的な考え方をしますと、胃ガンになるからピロリ
菌というものがたぶん出てくるのであろうと、そういうふうに推定できます。原因と結果を
取り違えているのです。結果と見えていることは実は原因であり、原因と思われることは結果である。そういう見方も必要と思います。∵
7. ガンについては発ガン物質がどうの、やれ
煙草がいけない、食品
添加物の中には発ガン物質がいっぱい入っていると
騒いでいますが、ガンの原因は全然別のところにあって、いま言われているような物質は、全然関係ないとは言いませんが、その
関与の仕方は現在言われているのとずいぶん
違っているように思われます。
8. たとえば、O−157という
大腸菌が各地で食中毒を起こしました。そうすると「手をきれいに洗いなさい」「よく熱を通して食べなさい」と食品衛生の専門家がテレビなどで指導をしています。これは一見正しいようでどこか
違っている。注目しなければいけないのは、食中毒にかかった子供ではなく、同じものを食べて平気だった子供のほうです。
9. 同じ物を食べて中毒を起こす子供と起こさない子供がいた。起こさなかった子供はその
菌が口から入らなかったのか。そうではないでしょう。食べたけれども
抵抗力があって中毒にならなかったのです。こちらに着目すれば新しい視点が開けます。
10. (「
蘇生力」中根
滋 ビジネス社より)