長文 6.1週
1. プロローグで日本企業きぎょうの国際化について触れふ た。欧州おうしゅうの場合はもともと多くの国が寄り集まっているので、国際化という言葉自体あまり意味がない。アメリカはもともとが寄り合い所帯だから、海外での生産もまた会社自体の多国籍こくせき化には抵抗ていこう感はない。その中で日本だけが新しい現象として企業きぎょうの国際化が急速に進んだわけである。
2. このような傾向けいこうはあと三〇年もたつと日本企業きぎょうにとっては当たり前のこととなるだろうが、その過渡期かときにおいてどのようにうまく対応するかがそれぞれの企業きぎょう内でのボトルネックとして考えておかなくてはならない重要事項じこうである。
3. 現在すでに海外進出企業きぎょうで問題になっているのが、企業きぎょうの経営じんのトップにまで外国人を分け隔てへだ なく登用(とうよう)するかという課題である。日本企業きぎょうではこの点でどうしても及び腰およ ごしのためにせっかく有能な社員を育てても、やがては他に職を求めるというのがむしろ一般いっぱん化している。有能な社員を育てるにはずいぶん会社として投資しているはずだ。それが簡単に出て行かれたのでは全く割に合わない話である。
4. これは日本企業きぎょうとして大間題であるはずだが現実ははかばかしくない。これは年次を積み重ねても何とか解決すべきボトルネックそのものになるはずだ。しかし問題があるということは新しいビジネスチャンスがそこにあるということであって、すでにそのための動きがある。
5. 日本企業きぎょうから中堅ちゅうけん社員を留学生として、一流大学のビジネススクールへ派遣はけんするのがそのひとつである。これはアメリカで勉強させることもさることながら、人脈の予備軍をねらっているのだ。一流大学からは将来アメリカの指導的地位に就く人物が出る可能性が高い。ハーバードやプリンストンのキャンパスに行くと日本人だらけになったのである。
6. これらの大学は学生を厳しくしごくから、生半可な努力ではついて行けない。だから学生も優秀ゆうしゅうだ。彼らかれ と親しくなっていればそのうちに役に立つだろうという遠大な計画だ。これをねらった留学である。これも日本企業きぎょうの国際化の努力の現れである。∵
7. 日本企業きぎょうは明日に生きるためとなると思い切ったことをやる。社内会議はすべて英語という企業きぎょうも出てきた。もともと外国語というのは一種の体育と考えればよい。スポーツだからその上達には繰り返しく かえ の原理しかない。毎日しゃべっていれば必ずうまくなる。その証拠しょうこにイギリスに行けば頭の良し悪しとは無関係に子どもでもかい英語をしゃべる。
8. このように考えると三〇年先の日本企業きぎょうにはやたらに外国人がいて、社内では英語だけでなく各国語が飛びかっているに違いちが ない。すでにいまでも若者の言葉がわからないというではないか。
9. これを日本文化の破壊はかいということはない。いまの日本語も、どんどん新語が取り入れられているのだから、あまり気にしないほうがよい。めいめいの生活環境かんきょうや職業によってその場でしか通用しない言葉を使うというのは普通ふつうのことであって、だれも気にすることはない。国際化が進めばそれに見合った言葉が一般いっぱん化することは間違いまちが ない。
10. (「日本・陽は必ず昇るのぼ 唐津からつ一 PHP研究所より)