1. プロローグで日本
企業の国際化について
触れた。
欧州の場合はもともと多くの国が寄り集まっているので、国際化という言葉自体あまり意味がない。アメリカはもともとが寄り合い所帯だから、海外での生産もまた会社自体の多
国籍化には
抵抗感はない。その中で日本だけが新しい現象として
企業の国際化が急速に進んだわけである。
2. このような
傾向はあと三〇年もたつと日本
企業にとっては当たり前のこととなるだろうが、その
過渡期においてどのようにうまく対応するかがそれぞれの
企業内でのボトルネックとして考えておかなくてはならない重要
事項である。
3. 現在すでに海外進出
企業で問題になっているのが、
企業の経営
陣のトップにまで外国人を分け
隔てなく登用(とうよう)するかという課題である。日本
企業ではこの点でどうしても
及び腰のためにせっかく有能な社員を育てても、やがては他に職を求めるというのがむしろ
一般化している。有能な社員を育てるにはずいぶん会社として投資しているはずだ。それが簡単に出て行かれたのでは全く割に合わない話である。
4. これは日本
企業として大間題であるはずだが現実ははかばかしくない。これは年次を積み重ねても何とか解決すべきボトルネックそのものになるはずだ。しかし問題があるということは新しいビジネスチャンスがそこにあるということであって、すでにそのための動きがある。
5. 日本
企業から
中堅社員を留学生として、一流大学のビジネススクールへ
派遣するのがそのひとつである。これはアメリカで勉強させることもさることながら、人脈の予備軍をねらっているのだ。一流大学からは将来アメリカの指導的地位に就く人物が出る可能性が高い。ハーバードやプリンストンのキャンパスに行くと日本人だらけになったのである。
6. これらの大学は学生を厳しくしごくから、生半可な努力ではついて行けない。だから学生も
優秀だ。
彼らと親しくなっていればそのうちに役に立つだろうという遠大な計画だ。これをねらった留学である。これも日本
企業の国際化の努力の現れである。∵
7. 日本
企業は明日に生きるためとなると思い切ったことをやる。社内会議はすべて英語という
企業も出てきた。もともと外国語というのは一種の体育と考えればよい。スポーツだからその上達には
繰り返しの原理しかない。毎日しゃべっていれば必ずうまくなる。その
証拠にイギリスに行けば頭の良し悪しとは無関係に子どもでも
皆英語をしゃべる。
8. このように考えると三〇年先の日本
企業にはやたらに外国人がいて、社内では英語だけでなく各国語が飛びかっているに
違いない。すでにいまでも若者の言葉がわからないというではないか。
9. これを日本文化の
破壊ということはない。いまの日本語も、どんどん新語が取り入れられているのだから、あまり気にしないほうがよい。めいめいの生活
環境や職業によってその場でしか通用しない言葉を使うというのは
普通のことであって、
誰も気にすることはない。国際化が進めばそれに見合った言葉が
一般化することは
間違いない。
10. (「日本・陽は必ず
昇る」
唐津一 PHP研究所より)